園庭の石段からみた情景〜4月の書き下ろし2〜 2011.4.29
<君は『あそんでわんこ』>
 毎日ばたばたの連続でしたが4月をなんとか無事にやり終えて、ちょっとほっとの最終週。この一ヶ月間を振り返りながらばら組の子ども達のことを想いながら過ごしています。自分なり一生懸命にやってきたこのひと月だったのですが僕自身と子ども達のことなど、ちょっと分かって来たような気がする今日この頃です。

 ある日、クラスが少しずつ落ち着いてきた様子を見せ始めたので、他クラスのレポート写真とビデオを撮ろうとばら組を離れて新館の方へ出かけて行きました。入りたての我が『わちゃわちゃクラス』を相手にした後ではあのすみれやもも組が立派に立派に見えるもの。改めて時の流れの大きさと3年間に渡る幼児教育の力強さを感じます。しかし人はこのように相対的に評価できる資料を列べて見たときに初めて客観的評価と言うものができるのかも知れません。子どもの成長は『3歩進んで2歩下がる』、そんなものです。3歩の感動が瞬間的には歓喜を僕らに与えてくれるのですが、その分2歩下がった時の落胆の大きいこと。『いってこい』で差し引きしても『確実に一歩』先に進んでいるのになかなかそのように肯定的に捉えることができないものです。でもこの子達は確実に『差し引いても一歩一歩』先に進んでいます。春休みのこの子達のことを思い出してみてください。お母さん以外の人とは決して関われなかった子ども達がお友達と仲良く遊び、教師と笑い合えるようになりました。年中年長の子ども達も小さい子達のお世話をしながら、進級した誇りと喜びを胸にみんな幼稚園の子として毎日がんばっています。そんなちょっとした情景が僕らをいつも勇気づけ、励ましてくれているのです。
 取材を終えて自分のクラスに帰ってきたのですが、その時ちょうど潤子先生が絵本を子ども達に読み聞かせしている所でした。クラスの中を見渡してみれば、そこではいつもの『わらわら君』達もちゃんと座って先生の絵本に聞き入っているではありませんか。その光景を見ながら「おっ、ちゃんとやってるじゃん」と思ったのですが、僕の姿を見て取った途端走り出した数名のわらわら君。「えー、この落ち着きのなさの原因は僕にあるの?」と見てはいけないものを見てしまったようで『がっくし』してしまいました。確かに去年のひよこクラブではお母さんから離れられずにうじうじしていたこの子達が園生活を楽しめるようにもなり、自分を出しながら表現しながら過ごせるようになりました。その過程で僕と彼らの『おふざけ遊び』が大いにこの子達の心を解きほぐしてくれたことでしょう。しかしこれが彼らを『おふざけわんこ』に育て上げ、僕の姿を見れば『パブロフの犬』のように「あそんで!あそんで!」と走り回り逃げ回りして、落ち着きのないものとしてしまったようなのです。『逃げ出せば僕が追いかけるからそれがうれしく面白い』、となんとも困ったものです。でももしそうであるならば「こんな作戦はどうでしょう」と今度は『知らんぷり作戦』を試みてみました。遊んで欲しいわんこの気を引くコツは、ちょっと知らんぷりをして見せること。最初は走り回り逃げ回りしていた男の子がいつもと様相が違うことに気づきます。「あれ?追いかけてこない」。すると静々と僕の膝下まで戻ってきてまた逃げ出す素振り、でも先生は追いかけてこない。そのうちみんなの輪の中に戻り、一緒に絵本に聞き入り始めたのでした。うまくいった『わんこ作戦』にちょっと満足感を感じてしまいましたが、心の中では「おまえは『あそんでわんこ』か!」と吹き出しそうになりました。まったくかわいいぼうやです。その次からは「彼らのお楽しみにも応えてあげないと」と『追いかけミッション』にも1〜2回ちゃんとつきあってあげて、三度目は『知らん顔作戦』をとそんな硬軟取り混ぜた配球も試みています。彼らのうれしそうな顔を見ていると本当にありもしないしっぽを振ってじゃれついてくるわんこに見えるからおかしなものです。

 また別の『やだやだ君』との奮闘記も別な展開を見せ始めました。「おかたづけだから遊ぶのおしまい!」で地団太踏んで「やだやだ!」、いつまでも終わらない手洗いうがいに「もう十分だからおしまい」で「やだやだやだ!」。毎日事あるごとに僕らの我慢比べが繰り広げられています。ある時、「やだやだ、もう先生出ていけ」との言葉に「じゃあ出て行く、バイバイ」と彼に背を向けみんなの所に向かおうとするとひっくり返ってその子が泣き出しました。その声をよくよく聞いてみると「せんせい来て!」と呼び求める言葉が聞こえます。彼の元に戻ればその男の子は腕の中に抱きついて来ました。「あっちいけ言ったでしょ。ひとりじゃいやでしょ。ほら一緒に行こう」と手を差し出すと彼も素直に従ってクラスの中に戻ることが出来ました。その途中その子はつないだ手をしっかり握り返して僕を見上げ、「せんせい、だいすき」と言ってくれました。そう、きっと子どもはそんなもの。お家でも「お母さんあっちいけ」なんて言った後で本当に置き去りにされてはまた大泣きしているのではないでしょうか。頭に血が登った子どもの言葉には責任能力なんてありません。その言葉を真に受けてお母さんもかっとなってしまえば二人して収拾がつかなくなってしまうことでしょう。そんな時には子ども達の言葉や行動の現実や不義を指し示しながら、相手が『投了』してくるのを待てばいい。ちゃんと逃げ道を用意してあげながら。そんな最後の最後に手を差し伸べてくれる優しさに、子どもはちゃんと感じ入り心をひらいて来てくれる、きっとそんなものだと思うのです。

 そんなこんなやりながらお互いに信頼感を日々深めつつある僕とこの子達。我慢比べに知恵比べは毎日続いていますが。でも朝一番に僕の所に駆けてきてくれる子ども達となんかいい関係を作れているような気がして本当にうれしく思っています。


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