園庭の石段からみた情景〜5月の書き下ろし3〜 2011.5.14
<僕らは『ガンバルマンちゃんず』>
 今週は雨続きの一週間と言うことでお部屋で過ごす時間が多い週でした。お部屋遊びが多いということは子ども達との物理的距離も普段より近く、関わり方や子ども達の中に見つける発見も普段のものとはまた違ってくると言うもの。今回はそんなレポートをもう一本お届けしましょう。

 お外で思いっきり遊べない子ども達、こんな天気ではやはりフラストレーションが溜まります。子ども達にとって一番のストレス発散法は身体を思いっきり動かすこと。広いお外でそれが出来ないとなればお部屋でそれを求めようとするもの。雨による湿度の高さとあいまって、子ども達はいつも以上に汗だくだくになりながらお部屋の中を走り回っていました。そんな中、「見て見て!」と鉄棒の前回りを自慢げに見せるばら組の女の子がありました。身体のつくりはコンパクトですがしっかりついた筋肉と生まれ持ってのボディーバランス&運動神経のよさのせいでしょう、とてもきれいにくるくる回って見せてくれました。その華麗な姿に魅せられて、「この子ならいけるかも」と逆上がりに挑戦させてみせました。この室内鉄棒の付属品の『逆上がり補助ベルト』をこの子の腰にかけ、さあ挑戦開始です。逆上がりは懸垂によって鉄棒を自分の腰周りまで持っていけるかどうかがポイント。その為には自分の身体を鉄棒まで下からぎゅっと持ち上げる力が必要です。腕力の弱い子ども達はこの懸垂がなかなか出来ないので、その出発位置の高さをキープするのがこの補助ベルトの役目。このリフトアップの距離が短い方が逆上がりの成功率も高まるのです。元々がんばり屋の女の子、その子はベルトに加えて少し回転介助をしてやれば逆上がりが出来るようにまでなりました。「出来た!」の想いが彼女の心に大きな喜びと自信を焼き付けました。何度も何度も僕の所にやってきて「逆上がりやる!」とちょっとのお手伝いをリクエスト、その度に気持ち良さそうにくるくる回っておりました。
 同級生の成功事例と言うものは子ども達の何よりの励みになるようです。彼女の成功を横目で見ていて『自分達にも出来る!』とわかった男の子、「僕もやらして!」と挑戦してきました。この子はたんぽぽの時には「できん!できん!」のイジケ虫君だったのですが、ばらになってからなんか自信がついたのか、積極的に何でも挑戦出来るようになりました。自分より経験値の低い同級生が一杯入って来て、「なんだこんな僕でもいけてるんジャン!」と感じたのでしょうか。いきなりクラス内での偏差値がぐんと上がり、自信がついたのかもしれません。結局この子達にとって『出来る・出来ない』を決めるものは『自信と出来るようになりたい想い』なのです。だから僕らがこの子達に望むものは、『出来る・出来ない』そのものよりも『まだ出来ないものに挑戦できる勇気とがんばれる心』。この勇気さえ幼い時分に身につけることが出来たなら、なんにでも向ってゆける子どもになれるはず。結果として『出来た・出来なかった』はあっていい。幼稚園は子ども達の心と想いを育てる幼児教育の場であると、僕はそう思うのです。この男の子もベルトと多めの介助のおかげで『出来る満足感』を一杯に感じ、その喜びをあのくりくり笑顔一杯に表現していました。この想いがこの子のこれからの励みになってくれたらと願っています。

 もうひとつ、お弁当狂想曲の続報を。あの「たべれん!」と大騒ぎしていた子達も今はすっかり落ち着いて、自分のペースでお弁当に向き合っています。最初はお弁当箱一杯に敷き詰められたお弁当に「こんなに食べれない!」と思ったのでしょうが周りをよくよく見てみれば自分より食べれない子が一杯いるのに気付きました。決して早くはない彼女達の食ですが、それでも地道にこつこつ食べていれば気もそぞろの友達より早く完食できることも学びました。今の彼女の心の糧はひとつ食べる毎に僕らに語りかける「あとこれだけだよ」の言葉とそれに対する僕らの「おーすごいねー、またこんなに食べれたの!お姉さんになったねえ」の感嘆リアクション。その合間合間に彼女の口からは「あの子、まだ食べていないよ」、「私はこんなに食べれたよ」の言葉がこぼれます。これも自己肯定と『こんなにがんばっている私を見て』のPR。そう、人間は自分を肯定できた時・肯定してもらった時、一番励みに感じることができるのです。それは大人も子どもも、そう僕もこの子達もお母さんもきっと同じ。みんな『がんばれた自分』が大好きなのだから。
 クラスの時間でも『僕はちゃんと出来る子・あの子はちゃんとできない子』、『自分を見て見て!』と子ども達はアピールしてきます。一番単純な二元論、「ちゃんと出来るはいい子、出来ない子は悪い子」と彼らの論理は訴えるのですがそこに一言付け加えます。「出来た君は偉かった、いい子だよ。でも今は出来ない子もきっと出来るようになるから待っててあげて」。飛び出したい想いをこらえてがんばっているこの子を想えば本当に難しいサジェスチョン。そんな時は「君も出来ないこと・出来ない時があるでしょ、それでもがんばっている君は偉いんだよ」と声をかけるのですが、まだまだ納得いかない表情の男の子。それはそうです。大人の僕らだって「不公平だ!」と色んなことに不平を言っているのだから。そんな時は『出来る自分の幸せ』を神様に感謝してみましょう。きっと「そうかな」と思えるはずだから。

 そう、僕らにとってこの子達にとって、『がんばれる』と言うのはそれだけで『能力・才能』なのです。そのがんばれる想いから全ては生まれてくるのだから。だから僕らはこの子達に『がんばれる子に育って欲しい』と、毎日祈りながら向き合いながら保育を行っているのです。


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