園庭の石段からみた情景〜園だより5月号より〜 2011.5.21
<たけのこ狂想曲>
 今年も新緑の頃の雨・『穀雨』とその後の上天気のせいでしょうか、たけのこがすくすくと伸び始めました。たけのこと言ってももはや『半ば竹』の状態なのですが、毎年近所の農家の方が「山に入って取っていいよ」と言ってくださる言葉に甘えて探検に出かけてゆくのです。そんな訳で、今週の合同礼拝後にすみれ組からばらさんまで皆で連れ立ってたけのこ探検に繰り出しました。大人の背丈以上もあるたけのこを驚きの表情で見上げていた子ども達でしたが、それで大人しく帰るはずもありません。がっ!と身体ごと巨大たけのこにすがりつく子ども達。しかしなかなか相手も簡単に折れてはくれません。遊びに来ていた小学生も一緒になってその上から一人そしてまた一人としがみつき、みんなでたけのこと大格闘を演じておりました。中には勢い余って崖から転げ落ちそうにある子もありましたが、その斜面や崖下には『雑草』と呼ばれてしまう野の草花達が密に密に生えており、そこに引っかかって助かったと言う一幕も。崖と言っても1m程のもので草のクッション効果とあいまって落ちても大事には至らなかったと思いますが、これが都会のコンクリートでがちがちに固められた地面だったならまた一大事になっていたかも知れません。『わらにもすがる思い』で助かった男の子、『何のやくたいもない』はずの雑草に神様はちゃんと役目を与え自分を助けてくれたと言う体験が、自然を慈しむ想いを育む基となってくれたらうれしいことです。
 
 そんなこんなでたけのこ取りでひと盛り上がりした後、幼稚園に戦利品を持ち帰った子ども達。一斉に『たけのこ皮剥き』が始まりました。『たけのこ遊び』など初めてであろうばら組の子達までみんなみんな夢中で皮を剥いでいます。大きい子の仕草を見よう見まねで真似てみれば、「これって結構面白い!」。誰が教えた訳ではないけれど、誰に命じられた訳でもないけれど、子ども達の遊びなんてこんな風に発生・伝播してゆくものなのでしょう。みんなで剥いだたけのこ皮は、実にコンテナ3杯にも4杯にもなりました。
 自然遊びが楽しいと言っても子ども達の興味の度合い・集中力の継続時間はそれぞれです。早くも飽きてしまった子がブランコなどで遊びだした頃、潤子先生に文句を訴える子ども達の声が聞こえて来ました。「くたい!くたい!」、どうも手が臭いと言っているようです。夢中で皮を剥きながらふと我に返ってみれば、なんだから臭い変な匂いが・・・。それも自分の身体から匂ってくるではありませんか。僕らには感じられなかったのですが、この女の子達にとってたけのこ独特の青臭さがたまらない異臭に感じられたようです。きっと彼女達はこの自分の日常にはない自然の匂い、特に僕らが『香り高い』などと形容するような匂いには免疫がなく、臭いと感じてしまうのでしょう。しかもこの子達にとって一大事となったのはこの匂いが自分の手に移り、この匂いから逃れられなくなってしまったこと。執拗に「くたい!くたい!」を繰り返し、その日はそれで大騒ぎの子ども達でした。
 嗅覚とは周りの環境によって鋭くも鈍くもなるもののようです。僕も東京に住んでいた頃はあまり鼻が利く方ではなかったのですが、日土で暮らすようになってから半ば過剰気味と思えるほど敏感になりました。僕も「あれが臭い、何が臭い」と言いながら生活の中に紛れ込んでくる不穏物を察知しては匂いを頼りにその所在を探索しています。それは放置されて腐ってしまった有機物だったり、動物達のソソウの跡であったり。しかしそんな僕の遥か上手をゆくこの子達。自由遊びを終えてのお着替えの後、いつも持ち主不明の靴下が幾つも転がっています。時々名前のないものもあり、僕ら教師にも持ち主が分からないことがよくあります。そんな時、この女の子達がおもむろに持ち主不明の洗濯物を拾い上げて鼻の前で『くんくんくん』。「これ○○ちゃんの!」と言ってのける超人技を披露しては僕らを笑わせてくれています。名指しされた当人に尋ねてみれば「うん、そう」なんて言うものだからびっくらこ。正解率はいかほどか分かりませんが、なにより『匂いで判別しよう』というインスピレーションには驚ろかされてしまいます。まるでTVドラマのパロディーのようなエピソードなのですが、そんな下心、この子達に微塵もありません。この子達、いつも大真面目に鑑識鑑定に協力し、警察犬のように誇らしげに胸を張って僕らに報告してくれています。わんこはわんこでもこちらはかわいい『デカわんこちゃん』達です。それだけ僕らの暮らしているこの環境が、清浄であることの証なのでしょう。匂い過ぎて今回のように『くたいくたい騒動』なんてことになることもあるのですけれど。

 お昼から再開した『たけのこ遊び』では遊びの形態にも新しさと発展性が見えてきました。半ば竹となったたけのこを半分に割って節をくりぬき、『そうめん流しごっこ』が始まりました。井戸水遊びのホースを源流に設置し、たけのこを段々に重ね連ねてつないでゆきます。途中で高低差が逆転してしまい水が流れなくなれば頭をひねりながら補修工事に駆け回ります。これが彼にとって生れて初めての物理学のお勉強。あっちこっちに下駄をはかせながら、水が下まで流れるように水路を構築しながら遊んでおりました。そんな姿を見つめながらあのたけのこの生えていた丘を見上げてみれば、僕らが取りっぱなし・散らかしっぱなしにして来てしまった竹の切り株や切り残し達が早々に綺麗に片付けられていることに気がつきました。やりっぱなしの僕らに代わってこの山のご主人が片付けてくれたのでしょう。すっかり片付けられた山を見ながら申し訳なく思うとともに、こんな僕らの保育をそっと支えてくれる日土の自然と人々への感謝の想いを強く強く感じたものでした。


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