園庭の石段からみた情景〜5月の書き下ろし5〜 2011.5.26
<対決ばらばらKIDS>
 いつの間にか梅雨入りが宣言されたと言う話を聞いて、今更ながら「やっぱりあれは梅雨空だったんだよなぁ」と、この1〜2週間の空模様を思い出しているこの週末。でも『今更想えば』と言うものは僕らの生活の中にもよくよくあるものです。わちゃわちゃばら組のクラスの中も思えばこの1〜2週間で本当に落ち着いてきました。クラスの子ども達ひとりひとりと一通り、つばぜり合いの我慢較べを演じてきて、お互いに互いのことを分かってきたのがちょうど今時分と言うことなのでしょう。「この辺がグリップの限界、これ以上コーナーを攻めるとスピンアウトで大クラッシュ」とF1マシーンの特性を解析するように、こちらは子ども達の挙動や特性がかなり理解できるようになってきました。そのおかげか地団駄踏んでの『やだやだやだ』もめっきり少なくなって来ました。一方の子ども達も、僕らが言い続けてきたこと、「朝来たらシールを貼って」から始まって「食事は最後まで席に座って」まで、「これができればいいんだよね」とこれらのことが自分の中に入って来たようで、自分達の習慣として出来るようになって来ました。後から想えば、きっと「この子達の成長の始まりは、あの梅雨に入ろうとしていたあの頃だったんだよね」と懐かしく思い出すことでしょう。

 そんな境地に入ったせいか、はたまた『父の日のプレゼント製作』に勤しんでいたせいか、いつもなら子ども達の『はちゃめちゃ』をたしなめるのは僕の役割なのですが、今週は潤子先生が大奮闘。子ども達のやりたい放題に四苦八苦していました。中でも一番憤慨していたのが『障子穴あけ事件』。図書室の入り口の障子を子ども達がみんなして『ぷすぷす』穴を開けて遊んでいるのを見つけた潤子先生。子ども達を捕まえてお説教です。「僕はしていない!」と反論する男の子。「穴は開いていた。そこに手を入れただけだ」の弁証が聞こえてきたのですが、遠目に見ていてもなんか『手応え』のあるような手の動きとなんともうれしそうなあの表情。「あれは黒だな」なんて思いながら子ども達と潤子先生の攻防を眺めていました。遠目に見つめていて気がつくのは、子ども達が上に上に、背伸びをするように穴を開けていること。一番手の届きやすいはずの膝や腰の高さの障子には目もくれず、手の届く限界の一面をクリアしてから『もう一つ上の一段』に挑戦しているようなのです。まるで『自分の成長を確かめている』と言ったなら、良いように見過ぎでしょうか。子ども達は『お仕事』としては何の役にも立たないこと、いえ逆に大人のお仕事を増やす迷惑千万なことではあるのですが、「自分で設定した到達目標に向ってチャレンジしていたのではないのかなあ」とそんな考察を一人組み立てていた僕でした。僕のこんな考察遊びもこの子達の『障子穴あけ』と一緒でなんの役にも立たないのですが、根底にある想いはこの『穴あけ君』達と同じなのかも知れません。
 一つの仮定・考察にたどり着いて自己満足した後、それでもせっかく破られた障子を『教育教材』に使わないと本当の無駄になってしまうので、お説教の現場に参戦します。子ども達をたしなめる時の注意は複数の大人が『同じ言葉でしからない』と言うこと。お互いに感情的になっている二人の間に入るのですから「まあまあ」とちょっと間を取ることから始めます。同じ言葉で畳み込めば、子どもはかたくなになってしまうもの。「ごめんなさい」の逃げ場も自分で潰してしまいます。そんな時は違った切り口でアプローチ。「○○ちゃんもやってたの?穴が開いていたの?そう。でも一緒にやってたよね、それっていいの?穴、なんか大きくなっていない?」。その子も自分の第一の主張があっさりと受け入れられて拍子抜け。でも「最初から穴が開いていた。○○君がやっていた。そっちの方が悪いでしょ」と責任転嫁論法で無罪を主張しようとしていたのが「君もやったんだよね」と切り返されたことから、『共犯』と言う考え方が世の中にあることを学びます。そこで手詰まり、投了で勝負あり。「誰かが楽しそうにやっていたって、それがいけないことだと分かっていたらやったらだめなんだよ。やっている子にも『ダメだよ』って言えないと」、最後のくだりはまだ3歳のこの子達には期待しすぎなのですが、そこまで諭してのお説教。これもきっと繰り返し繰り返しの種まきです。すぐに芽が出るとは思っていませんが、その度に言葉を投げかけることが大切なのだと思うのです。それが教育と言うものなのだから。

 一方、首謀者と仲間から訴えられた○○君は潤子先生とお話中。「もうしたらだめよ」、「うん」の振り向きざまにまた『ぷすぷすぷす』。これには申し訳ありませんが笑ってしまいました。僕も言葉を変えながら一言二言お説教、それには「うん、せん」と素直に応じるのですが、障子を見れば『ぷすぷすぷす』。チャップリンの映画のようなベーシックなお笑いに「これはもひとつ手ごわいぞ」と大人がみんなで頭を突合せ、何か良い手立てはないものかと考えてもみたものでした。最初は『破った所を自分で貼りなおさせて』なんて作戦も考えてみたのですが、すでに『穴』を通り越して『障子紙の欠損状態』と化している大方骨だけになりつつある障子戸に「なんか効果なさそう」。そもそも奥に行かない様に開かなくしてある障子戸へのフラストレーションから始まったであろう『ぷすぷす』。それがこの子の『面白い』に変わり、『自分への挑戦』へと昇華してしまった今となっては彼の野望を阻むものはありません。最終的に導き出された答えが「障子があるから破るのだ。先に破っちゃえ。これから夏だし」。大の大人が『ぷすぷすぷす』、障子に穴を開けておりました。さあ、いつも後手後手に回って四苦八苦していた大人チームが大人気なく繰り出してきた『先手必勝作戦』を受けて子ども達はどう出るか。お楽しみ?に。


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