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<気分は「おとうばん!」> 前々回の『障子ぷすぷす』は『大人チームのご乱心』かと思いきや、最初からそのつもりだったのか『和彦おじさん』が涼しい顔して障子を早々に張り直してしまったので見ている僕も拍子抜け。「こんな所に障子があるからいけないんだ」、「障子も穴空きのまま汚くしているからいけないのだ」と言いながら破れた障子を一人で修繕してくれた想いが子ども達に届いたのか、「破いちゃだめよ」と先生やお母さんから言われ続けた言葉が彼らの心でようやく芽を出し始めたのか、はたまた障子を『破き飽きた』のか、あれ以降『障子ぷすぷす』は見られなくなりました。でもこうやって体験を通してこの子達はひとつひとつ、『社会性』と言うものを体得してゆくのでしょう。無理やり押し付けてもダメ、その場で成果が得られなくて苛立ってもダメ、今回のことでは『和彦さん』が一番『大人』だったのかも知れません。 そう、この子達は毎日何かしらうれしい新たな成長の足跡を僕らに見せてくれています。ばら組では先週から始まり2巡目となったお当番、この日はどうした巡り合わせか『ほわほわちゃん』と『ほよよん君』のほわほよカップルとなりました。さあ、お昼の時間がやってきました。さっさと『おトイレ・手洗い・うがい』を済ませたご両人、二人して前のお当番ポジションにニコニコしながらすっくと立っています。もう「パンありますか?」のお当番の唱和を今か今かと待っている様子。でもお当番さんにはその前に『机拭き』から始まってお皿配りにパン・牛乳・いりこ配りまで一杯一杯お仕事があるのです。ここずっとみんなのやりようを見ていたはずの彼らでしたが、印象に残っていたのはあの「パンありますか?」の晴れ舞台だけだったようです。思わず笑ってしまったのですが、なんとも幸せそうな二人のにこにこ顔にこちらも幸せを分けてもらったようなうれしい想いにさせてもらいました。そう、気分だけは「お当番!」。彼らも『お当番は色々お仕事も大変なのよ』とこれから経験を積みながらあれこれ気が回るようになってゆくことでしょう。そのモチベーションの糧として『気分だけでもお当番!』、いいんじゃないでしょうか。 さあ、机拭きからやり直しです。ちょっと台ふきんを触っただけで「もうふいた!」と言い張る彼ら。しかし机にはクレヨンやら粘土カスやらが残っており、ちゃんと拭くことの難しさと大切さをお勉強。この地味な仕事を終えてからやっとお皿やパン配りが始まります。これもまだみんな自分達の準備の途中で全員が席についてはいないので、どの机のどこにいくつ配ったらいいのか難しいミッションです。お友達が「僕のない!ない!」と騒ぐ声なぞどこ吹く風で「出来た!出来た!」とご満悦のお当番さん。ちゃんと僕らがフォローしながらやっと準備が出来ました。彼らが待ちに待った『御唱和』が始まります。「パンあります!」と言い切るお当番君に「『ありますか?』でしょ」と助言すれば「うん、あります!」と答える男の子。そうだよね、いつもはそう答えているもんね。見よう見まねで挑戦するお当番役とはなんと難しいのでしょう。でもこういう経験をこうやって自分でいくつも重ねてゆくことによってこの子達は自分で色んなことを出来るようになってゆくのです。 昔からこの年頃の子ども達を『男の子と女の子』と言う切り口で見てみれば、「やっぱりしっかりしているなぁ」と思うのは女の子。しかしこのクラスの女の子達はそれ以上に『社会』と言うものを上手に自分の味方につける術を本能的によくよく知っているなぁと感じます。この子達、まだまだ幼さ一杯で所構わず泣いてみたり「できーん!」と自分の弱さを包み隠さず表現してみたり、それがこの子達の『フラストレーションの発散』だと思っていたのですが実はそれだけではないようなのです。何か事が起こり、ひとりが涙していると必ず誰か別の女の子がそばに寄ってきて、慰めてみたり優しくお世話してみたり。それも『お世話する側・される側』が固定メンバーではなくて、上手にローテーションしてお世話しあっているのです。この彼女達の人間関係から考察するに、この共同体の中では『涙やわがまま』など遠慮のない自己表現による『発散』に加え、お世話してあげることによって『自己実現の満足感』も充足されこの子達の想いを上手に満たしているようなのです。『弱っているお友達を支えてあげられる自分』、これは彼女達にとって『お姉さん』の証。例えさっき自分が涙していたとしても、自分も別の誰かの涙を乾かしてあげられたなら、それが自分の引け目を軽く帳消しにして何倍も何倍も大きな満足感としてその心の中に残るのでしょう。これは彼女達が最初に心に宿す原初の母性なのかも知れません。『母は強し』です。これがお世話される一方では段々と劣等感と言うものを感じ『甘え一方』か『イジケ虫』になってしまうと思われる彼女達の人間関係の中で、彼女達は上手に上手に受け止め合い支え合ってがんばっているのです。ここで彼女達が学ぶ『誰にでも調子の悪い時はある』、『私も誰かのお役に立っている』の自己肯定の想いが強く強く自分達の背骨を支えてくれるものとなるのです。 その点、男はいけません。人の弱みを見ればかさにかかって揚げ足を取りにゆき、逆に自分の弱さを露呈してしまえばへこんでなかなか立ち直ることが出来ません。男は幾つになっても見栄っ張りで虚勢を誇示する生き物なのでしょう。何かあるごとに「○○ちゃんが悪い!」、「あの子、いけんよなあ!」と訴えてくる彼ら。自分もちゃんと出来ずにそちら側に回ることもしょっちゅうのくせに、自分の事は棚にあげて。社会と言う共同体の本質、そして『救い』である『お互いさま』を本能的に知っているのはやはり女の子達のようです。彼らも『気分だけはお当番』による優越感を動機付けとしながら『相手との人間関係』と言うものに興味を示し、相手の気持ちや立場を感じてあげられる子どもに育って行って欲しいものです。 |