園庭の石段からみた情景〜9月の書き下ろし4〜 2011.9.29
<Let it be>
 先週は朝方には寒さを感じるようなお天気だったのに、今週はまた日中に暑さを感じさせる陽気に逆戻り。季節や自然の姿をあるがままに受け止めたいと日々思っているはずなのに、毎号の巻頭言に『暑いだの寒いだの』綴っている自分の言葉を振り返ると、「Let it be 〜自然や時の流れに身を任せて生きる解脱者(げだつしゃ)にはまだまだ程遠いなあ」と思ってしまう今日この頃です。これは子どもに対しても同じこと。『子どもも自然』であるならば、彼らの一挙手一投足も笑って見ている懐の深さが欲しいものなのですが、彼らの行動はいつも僕らの想像以上。ついついあたふたわらわらしてしまうものですが、教師や親とはそうやって子ども達から一生学んでゆくものなのかも知れません。

 たんぽぽさんも入園からひと月が経とうとしています。初めは少々緊張気味だった彼女達もだんだんと自分を前に出せるようになってきて、嬉しそうな黄色い声を聞かせてくれています。ブランコが大好きな彼女達。よくよく一緒にブランコで遊ぶのですが、みんな「おして!おして!」の大合唱。「てー、ちゃんともっててよ」と確認しながら少々大降りに揺らしてあげれば、「きゃーきゃー」言っての大喜び。「これがこの前までお澄まし笑いしていた子達か?」と見紛うばかりのはじけぶりに、こちらも嬉しい限りです。そんな彼女達ですが、『みんなが喜んで遊んでいる』と言うことは当然『みんながブランコで遊びたい』と言うこと。と言う訳で次のステップの『みんなで譲り合い』を早くも体験することとあいなりました。
 これまでは先生の後ろで「私もやりたいー」ともじもじしていた彼女達が、年上の子達とのやりとりのなかで「かーしーて」「いーいーよ」の魔法の言葉を知りました。あどけないかわいい顔で「かーしーて」などとお願いすれば、すみれの男の子などは「いーいーよー」と二つ返事の誇らしげな顔で代わってくれるのです。「まったく男って奴は、かわいこちゃんとかわいい笑顔に弱いんだよね」とそんな彼等を笑いながらも彼らのばら時代を思い出せば、「こんな譲り合いなんか到底できなかった彼らが偉くなったよね」と嬉しい成長を感じずにはいられません。たかがブランコ遊びですが、やはりこう言った『譲り・譲られ』の経験の積み重ねがこの子達の心を育ててゆくのだと改めて思います。一方、たんぽぽさんに目を向けて見るとやはり出来ない「いーいーよ」の返事。最初の最初はそれで当たり前。でもこのたんぽぽさん達らしいのは、ちゃんともっともらしい答弁の言葉がついてくるところ。「わたしは乗ったばっかだから、こっちに言って」と隣の子を指差しながら矛先をかわし、お友達が「一緒にすべりだいしよう」と誘いにくれば「ブランコとられるからやらん!」とツレナイ返事。『自分も譲ってもらったから今度は譲ってあげる』と言うロジックがこの子達の中に芽生えるのはもう少し先になるでしょうか。でも「おーしーてー」の『お願い弱み』もあるのか「十おしてあげたら交代してあげてね」と僕の言葉に素直に応じて、段々と「いーいーよー」が出来るようにもなってきています。甘え上手な子などは、「いいよー」とブランコから降りると、今度はタイヤブランコによじ登って「こっちおしてー」と素敵な笑顔でニコニコおねだり。「こういう懐の広さと柔軟性を持った子は、きっと色んなことに対して上手にやり取り出来るようになってゆくのだろうな」と彼女の賢さと気立てのよさをまぶしく見つめています。周りの状況に応じて自分の思いを上手に実現できる天性の才能、これはきっとこの子にとってこれからの大きな大きな財産となることでしょう。
 一方、『これでないとダメなの』『だって私が乗りたいんだもん』と言う子に対しては僕が手を変え品を変え『代わって交渉』を試みます。「さっき代わってもらったよね」のGIVE&TAKE説得作戦、「お姉ちゃんも乗りたいんだねー」の泣き落とし作戦、「代わってくれる人にはまた押してあげようかな」のご褒美作戦と、彼女達の『がんこさ』を懐柔しようと色々やってみるのですが『敵もさるもの』、なかなか心にクリーンヒットを打ち込むことが出来ません。一種釣りの醍醐味にも似たこの子達のエゴと僕の投げかけのせめぎ合い。上手に食いつきポイントにリリース出来ればそれをきっかけに発展もあるものですがダメならまたルアーやキャスティング方法を変えなければいけません。でもそんなやりとりを楽しみ、子ども達の成長の過程を見ることが出来るのはきっと教師の役得なのでしょう。大変と言えばそうかも知れませんが、自然のありのままを受け止めるごとく自分は子ども達の姿を見つめながら自分の出来ること・するべきことを淡々とする、きっとそれでいいのではないでしょうか。子ども達の反応や行動を楽しむと言った多少の遊び心を持ちながら。

 そんなたんぽぽさんに対して『私はお姉さん』の自負を持って優しさを見せてくれるのがばらの女の子達。ブランコを代わってあげたり後ろから押してあげたり、素敵な『お姉さん』をやってくれています。同じばらさんでもまだこういう場面で意識が『お兄さん・お姉さん』まで分化していない子達は「のりたい!のりたい!」とブランコの前でただただジタバタするばかりなのですが、言葉でも自意識でもたんぽぽさん達の方がいくつもうわて。軽く丸め込まれています。でもこの子達もこうした経験を通じて、ジレンマを感じながらも今までは自分達が『末っ子特権』を行使させてもらっていたことに気づき始めていい頃なのかも知れません。人の関わりとはよく出来たもので、そんなばらさんを見ているうちにたんぽぽさんの方が代わってあげる気になってくれたりして、全く面白いものです。僕達が大上段に「ここは教育しなければ」とやることより、よっぽど上手に人の関わり合いと言うものを学びあってくれています。僕らはそれをそっと見つめていればいいのでしょう。


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