園庭の石段からみた情景〜園だより1月号より〜 2013.1.26
<初春、成長の一歩それぞれ>
 新年がスタートして早ひと月、子ども達も早々に園生活のリズムを取り戻したようで、おつりと言うか利子と言うか新年のうれしい成長の一歩を見せてくれています。登園時、あれほどお母さんと離れられなかった子が、今ではあっけそっけもなく「おかあさんは帰って」とツレナイ言葉。なにか嬉し淋しいようなエピソードですが、子どもなんてそんなもの。また何かあれば「おかあさーん」と泣きついてくるに決まっているのですから、今は勇気をもって踏み出せたその一歩を共に喜んであげましょう。新学期、欠席が重なり『出遅れちゃった気分』の女の子は幼稚園の日常が戻って来たなら、すぐさまとんとんギアを上げてトップギア。発表会でやる『カブ』の役を張り切りがんばってやってます。このあたりがポジティブ思考のいいところ。ネガティブの子ならば「出遅れちゃった、幼稚園行きたくないなぁ」となるところを「早く幼稚園行かなくっちゃ」と駆けつけて、人のふり見ながら自分の役どころをすぐさまぱっと理解して、トロトロやっていた子達をごぼう抜き。「○○ちゃん、一番上手!」と褒められてやっとほっと、そして「それほどでもー」って顔をしておりました。きっと自分的にはもっともっと上手に出来る気がしているのでしょう。こういう幼子の向上心、そして虚栄心は何にも代えがたい糧となるもの。それをパワーにがんばれる子はやはり素敵に輝いて見えるものなのです。

 3学期に入って、もも組の女の子達がサッカーに興味を示し出しました。サッカー教室が始まって9か月、最初の頃はサッカーボールを蹴ったこともなかった女の子達がその思うようにならないボールと男の子達の荒々しさに気後れしていたのですが、段々とボールを自分の思うように扱えるようになってきたのでしょう。毎朝外遊びの『イの一番』に、「サッカーやるー!」と外に飛び出して行くようになりました。確かにボールを扱う技術もとても上手になりました。習ったことを自分に生かせる、この勤勉さと向上心がこの子達の強みです。そんな彼女達は今、男の子やすみれさんに交じって大喜びでサッカーボールを追いかけ走りまわっています。
 サッカー教室ではボールを複数個使ってゲームをしています。これは個人の実力差を上手に埋める方法だなと最近感心しています。僕がキーパーをやったなら、たいていの子どものシュートは防げるのですが、いっぺんに二人がそれぞれボールを蹴り込んで来たなら防ぐのも結構難しいのです。人間、目に見えてはいてもなかなか二つのものに同時に反応することは出来ないみたい。それに気がついたのがもも男子、「△△君、こっち来て」と別のボールを持っている仲間を呼び、ゴール前で「いっせーのーせ!」で蹴り込んでくるのです。賢いと言うか知恵が回ると言うか、それはそれで感心してしまうのでした。でもそれならばこちらも作戦をと、複数個あるボールを砂場の上や階段の下などぼかーんと遠くに蹴飛ばします。子ども達がそれを取りに走っているうちに残った一個を相手のゴールにナイスシュート!まだまだ『小ズルイ知恵比べ』では負けません。それに比べてすみれ男子。防がれても防がれてもボクトツなほどにゴールめがけてシュートを蹴り込んで来る子があります。作戦も何もありません。こういうひたむきさには好感を持ってしまいます。これではなかなか入らないのですが、その蹴り続けたおかげかシュートも段々と鋭くなって、ゴール手前1m程の所から蹴り込まれたら僕も反応出来ない程の見事なシュートとなりました。『こけの一念岩をも通す』は本当です。『あたまでっかち』君達に「爪の垢でも…」と言いたくなるところはあるのですが、それぞれのクラス・個人の個性と言うことで今はただただそれがモノになってくれる時が来ることを楽しみに待つことにしています。みんなそれぞれ、違っているから素晴らしい。

 今月の聖句は『イエスは知恵が増し背丈も伸び、神と人とに愛された』ですが現代の子どもにおいては背丈より先に知恵が増してゆくようです。毎日事あるごとに「おトイレ行った?」と先生に言われて続けて、「ない!」「行って!」の押し問答に飽き飽きしていたのでしょう。ばら組のある女の子、最近は従順にトイレに行っているなと思って見ていたのですが、トイレの入り口で見ていた僕はある日何か違和感を感じました。「さっきまでずっと待っていたこの子が、なんで誰よりも先に出て来るの?」。その時は入った所を見てから15秒と経っていなかったと思います。あまりに不自然な情景に、「本当にちゃんとしたの?」と問いかければ「・・・」。再度の問いかけに「してない」。そこで彼女の不正が発覚してしまったのでした。これは完全なるフェイク。個室に入ってから出て来るのですから。担任の先生などは「さっき行ったはずなのに、また行くって言うんです」と心配していたんですから。それまでは入ってからのインターバルを十分に取って出て来ていたのでしょう。その成功が重なるうちに段々とその『頃合い』が短くなって、ついにこの日バレチャッタのでした。「こんな知恵ばかり増して…」とみんなで笑ってしまいました。
 子どもばかりでなく兎角『あたまでっかち』の多くなったこの現代、自分の体験と失敗をもって学ぶことの意義が昔にまして重みを増して来たのでしょう。理論や理屈、言葉の上でのやり取りには必ず抜け道があるもので、『ああ言えばこう言う』は『なんにも出来ないくせに口は立つ』この子達の最もお得意な分野でしょう。だからこそそんな今時の子ども達に対して『自分の体験・失敗をもって自意識を高めること』は、彼らにとって何よりもインパクトのあることとなるのです。良くも悪くも色々自分で考え挑戦し、その跳ね返って来た結果こそが深く自分の中に根付くもの。物事をマニュアル通りに教えることより、子ども達の放った浅知恵悪知恵シュートに身を挺して、節理倫理を教えるのが僕ら大人の役目なのかも知れません。


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