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<クリスマスの贈り物> 十二月に入り、また一段と寒さを増してきた今日この頃。先日までは寒いと言っても『最高気温十度』の日々に「まだまだ大寒の頃の寒さを思えば」と心に喝を入れていたのですが、雪がちらついたり『最高気温五度』なんて天気予報の数字を目にするようになると「クリスマス礼拝の日にはちょっとでも暖かくなって」と願うばかり。『ホワイトクリスマス』などと言えばロマンティックではありますが、ホールの外で聖劇の出番を待つ子ども達の為にも「穏やかなクリスマスになって」と祈るばかりの幼稚園の『クリスマスイブ週間』でした。その祈りが天に届いたのでしょうか。当日は薄曇りでそう冷え込むこともなく、子ども達も会場内のお客さん達もほっとする朝となりました。みんなちょっと高揚したような、それでいて緊張したような、いつもと違う顔で「おはよう!」の挨拶を交わしたものでしたが、仲間がそろって来れば段々と『いつもの顔』に戻って行った本番当日の子ども達でした。 今年はクリスマスの準備も順当に進み、細部については手直しを毎回加えながらも、概ね本番までのストーリーは良好に出来上がってゆきました。その辺がベテラン先生達の『キャリア』なのでしょう。僕も園長も「この流れに任せておいて大丈夫だな」と昼行燈の感慨でクリスマスへの日々を過ごしておりました。それが直前になっての『お休みラッシュ』。こればかりは誰にもどうにもなりません。聖劇ではすみれの代役を見渡してみても、もも組の子ども達も今の自分の役を果たすのに精一杯。「代役なんだからばら組の子でもいいんじゃない?」と無責任なB型の僕が発言をすれば、「もも組を差し置いてそれはちょっと…」と順当な正論で返されて「そうだね」と発言撤回。ばらの子のキラキラとした可能性を見ているとどうも『ファンタスティック』になってしまうのか、はたまた僕の『実利直結型思考』が短絡的すぎるのか、どうも自分の思考回路がセオリー(常識)と言うものと相いれないと言うことが分かりまして、僕も考え勉強させられた今回の聖劇エマージェンシーシフトでありました。そんな苦慮も結果的にはうれしい無駄骨と終わりまして、本番当日は全員出席で無事に迎えることが出来ました。これも神のなせる業。たるんでいる僕らには心の喝を入れながら、本番ではみんなの体調をきちんと整えて『全員出席』で迎えさせてくださったこと、神様に心より感謝です。 そのクリスマス、そんな本番の中でも色々と子ども達のドラマがあったようです。いつもはそつなく聖劇の役をこなしていた子が本番の舞台の上の緊張からかいつもより声が出なかったり(それでもその声はちゃんと後ろの僕の所まで届いていたのですが)、普段は何事においてもせかされてばかりの子がここぞとばかりに誰よりも落ち着きはらった面持ちで客席をゆーっくりと見渡しながら大きな声でセリフを言っていたとか。はたまた合奏の部では張り切り過ぎた女の子が先生やお母さんの指揮と制止を振り切ってノリノリのままに自分のパートが終わってもどこまでもタントン!やっていた…等々。今となっては笑って話せるエピソードも一杯生まれたクリスマスとなりました。 こうして振り返ってみれば色々話題もあるでしょうが、みんながそろってクリスマスの舞台に立てたこと、今それが何より感謝すべき事のように思います。ちょっと前までは体調不良で出れるか出られないか分からなかった子、気分次第で歌や合奏などドタキャンしかねない子達も何人もありました。本番の緊張とは大人子どもに関わらず、皆に生じる生理現象なのでしょう。その証拠に子どもばかりではなく先生の中にも「あーあそこ間違えちゃった!」としきりに言っていた人がありましたが、リハーサルを知らないお客さんはもちろん僕にも分からなかったような些細なことをずーっと反省しておりました。自分の中の達成度として100%に至らなかったと言うことなのでしょうが、それを補って余りある子ども達のがんばりに、僕などは「今までで一番よかったんじゃない」なんて感想を述べる出来なのに。劇も歌・合奏もみんなで作りあげる共同作品です。誰か一人が自己満足の100点を取るよりも、みんなそれぞれ足りなかった所を謙虚に受け止めながらも、それを補い合いなんとか作り上げて得た総合得点の方がどれほど価値のあるものとなることでしょう。それこそが神様の御心。『誰が一番よかったか』を競う個人の発表会ではなく、足りない者同士がかばい合い補い合って作り上げた『一緒懸命』の作品の美しさを、僕らに教えてくれたクリスマスの聖劇と発表会でした。それこそが僕達への神様からの何よりの贈り物・クリスマスプレゼントだったのではなかったでしょうか。 新たなる園生活に順応するだけで精一杯だった1学期から成長を遂げ、色々なカリキュラムを通して自分の可能性を広げ伸ばして行ったこの2学期、子ども達は色々な顔を僕らに見せてくれました。運動会の体操やダンスを未だに喜んで踊っている子、ふた月遅れで突如湧き上がった『唐獅子ブーム』に自作の唐獅子で園内を闊歩している子、毎朝の縄跳びチャレンジの成果で何とか『らしく』跳べるようになった子等々。設定遊びが起源となって、でも僕ら教師が設定したそのカリキュラム以上に自分の中で昇華し、素敵な遊びや自己啓発の課題となして行った子ども達。僕らでもそうですが『やらされること』は決して長続きすることはありません。僕らの提案に『そうなりたい』と感じ入り、その働きかけに感動し、自らの想いでがんばれたものこそ長く自分の中にとどまり続けるものとなるのです。そう、そんな感動を子ども達に伝えられるように、これからも僕らはがんばってゆきたいと思うのです。『感動』こそ僕らのモチベーションの動力源。皆さん、感動に満ち満ちたクリスマスと年末をお過ごしください。そこからきっと何かが始まることでしょう。 |