2013.1.20
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2月の子育て講座は僕の『ひきがたり』です。自分の生き方・哲学と言うとなかなか言葉にしようとすれば難しくもあり、相手に対して難解になってしまうもの。人の心、想い、生き方と言うものは一つの言葉では定義出来ないから。一言で『これ!』と言えば分かりやすくはありますが、その枠から必ずはみ出してしまう『自分』があるのです。「これは?」と問われると「この場合はこうだけれど、こっちの場合は…」と言ったように。そうそれほどに人と言うものは単純ではないのです。でも、それを歌で表したなら「こんな気持ち分かるよね」と共感しあえることもあると思うのです。口下手であり且つ文章にしてみれば理屈っぽくなってしまう僕ですが、「これが僕の好きな歌!」と歌ってみれば想いを共有できるような気がするのです。それはきっとお母さん達もそう、自分の想いを代弁してくれる歌を子ども達に向かってうたってあげてください。「どうしてお母さんはその歌が好きなの?」、そんなうれしい会話が出来る日がきっと来るかもしれませんね。今回は2/27(水)13:00〜14:00、ホールにて行います。どうぞ遊びに来てください。 ○散歩道<JUDY AND MARY> 『フワフワ浮いてるあの雲に乗れるくらい、頭やわらかくしよう』 いつも歩く散歩道。変わってゆくのは移ろいゆく季節と、神様によって生かされている自然と生命達のイロドリだけ。でもそんな情景の中でいつも違った何かに気づかせてくれる、そんな素敵な散歩道を子ども達と歩くのが僕は大好きです。日土の里は何もない所ですが、じっと見つめてみれば毎日その表情を変えていることに気づかせてくれます。それを感じ取れるしなやかな感性を子ども達の魂の中に育んでゆくこと、それがよそにはない日土幼稚園の良さだと信じています。 ○手引きのようなもの<井上陽水・奥田民生> 『ただひたすらやさしく たぐり寄せるとよい』 B型の僕は人にやらせるのもやらされるもの嫌いなへそ曲がり。だから『これでないと』と言うどうしても譲れない一点以外は、相手の「こうしたい」に「いいんじゃない」と答えてしまうところがあるようです。でも何事も「その過程はどうでもいい。やる人が自分の想いをもってやりたいようにやればいい」と思ってしまうのです。それが一つのことを成就する上でなによりの糧になることを自分自身よくよく知っているから。『目指す高みを指し示しながらも、その行き方は彼らの想いに任せればよい』、子ども達との関わり方もきっとそんなものだと思うのです。 ○夏草の誘い<佐野元春> 『思い出して欲しい、二人で過ごした街の外れの小高い丘の上』 幼稚園のお仕事は、幼子の時代にこの子達のこれからを支える糧となる心を育んであげることだと思うのです。『何かが出来るようになること』は結果のおまけ。何かに興味を持つこと、その事が出来るようになりたいと願うこと、自ら取り組みやり続けられること、それらはみな心の成長なのです。塾やお稽古事と違って結果はすぐに得られないかも知れません。でもその想いはいつか自分を支えてくれる、大きな力となってくれるはず。子ども達がいつか自分の幼稚園時代を思い返し、自分のアイデンティティーを探し求めにここにやってきた時、この変わらぬ風景をもって彼らを迎えてあげたい、僕はそう思っています。この風景を一目見た時に、幼き日々に先生が説き証してくれた神様の愛と優しさがその胸に甦ってくるように。そこまでが私立幼稚園のアフターサービス、教会幼稚園の使命だと思うから。 ○…ふたり…<安全地帯> 『欲しいと思わせるもの 捜すのがとてもうまい』 僕ら大人が子ども達の成長の為にしてあげられること、それは物事を教え込むことではなく、やってみせること・感動させること・憧れをいだかせること、だと思うのです。子どもは言うことを聞かない生き物。その分自分で「これ!」と決めた事に関してはどこまでも頑張れる、そんなかわいい奴等なのです。ならば僕らは自分の腕を磨き、感性を磨き、彼らの心に響くパフォーマンスを投げかけることこそが一番、そう信じて日々子ども達と大人気もなく張り合っている僕なのです。 ○青空と人生と<オフコース> 『私の歌で何が出来ただろう、寂しさに耐えかねて ああ消えてゆきそう』 僕の歌を聞きに来てくれて、ありがとうございます。この幼稚園と同じく、時代に迎合することを潔しとせず、独り善がりが多分にある事、重々承知しているつもりです。だからいつも始まる直前になると「誰が来てくれるんだろう」と不安にかられ、寂しい想いが押し寄せて来るのです。今回も自分が作った歌をうたう訳ではありません。また自分が作った幼稚園で自分のカリスマ性をもって保育を行なっている訳でもありません。でもそこに共感出来る何かがあるから、歌を信じここに幼稚園を作ってくださった神様を信じて、子ども達に歌いかけながら保育を行なっているのです。自分の無力さに打ちひしがれてしまう時も多々あります。でも日々の行ないが実りを結んだ時、子ども達が笑顔を見せてくれた時、そしてお母さん方が喜んでくださった時、それが何にも替えがたい僕の喜びとなるのです。そしてそれが次の一歩を踏み出す為の励みとなるのです。まるで幼稚園の子ども達と同じなのですが。僕はこれからもそうしながらこの地で生きてゆきたいと思うのです。 ○さすらい<奥田民生> 『さすらおうこの世界中を 転がり続けて歌うよ旅路の歌を』 何度くじけたってさすらえる強さがあったなら、次の一歩は必ず見つかるんだよ。 |