園庭の石段からみた情景〜園だより4月号より〜 2012.4.29
<自然保育をご覧あれ>
 今年はのんびりのんびりとした春の訪れ。いつまでたっても肌寒い日が続き、「本当に今年は春が来るんだろうか」とありもしないことを危ぶみながら過ごした春休みでした。『ひげのおじちゃん』などは「入園式に間に合わないんじゃなかろうか」と子ども達の為にお世話してきたチューリップのプランターを日向に移したりしながらヤキモキしてくれたものでした。それが四月に入って温かい日が2〜3日続いたなら桜はあっという間に満開を迎え、チューリップも入園式前に咲きそろってしまい、「入園式が終わるまでもってくれるだろうか」と逆の心配のひげのおじちゃん。僕らはいつも目の前の『早い、遅い』に一喜一憂してしまうものですがちょっと遠い所から俯瞰の目線で見てみれば、早い遅いもそのバラつきはほんの2週間ほどのもの。毎年僕らに必ず春は訪れ、短いながらも暑さ寒さの上で一年のうちに一番過ごしやすく、新緑は青く芽吹き色とりどりの花が咲き始める『この世の春』を謳歌させてくれるのです。そう、そのさまはまるで入園したてで、人としての成長を始めた目の前の子ども達の姿を見ているよう。この子達の春は今始まったばかりです。

 この春入ってきた新入児、初日はケロッとした顔をしていた子ども達もお母さんがいない日常を体験してゆく中で『幼稚園楽しい』と『お母さんがいなくて淋しい』の想いの間を行ったり来たり。みんなそれぞれひとしきり「おかあさーん!」「お母さんは?」とやっている姿を見せておりました。でもこれが大事な第一歩。自分の想いを発散し自分と折り合いをつけることで、周りの世界を見回す余裕も徐々に徐々に生まれてくるのです。入園からひと月たった今でも何かあれば「おかあさーん!」とやっている今年のばら組の子ども達ですが、それで気が晴れたならみんなと一緒に『幼稚園での時間』を楽しめるようになってきました。
 そんなこの子達の気晴らしになってくれたのが『おやまのおさんぽ』です。ある子は菜の花を摘んで来ては涙を晴らし、またある子は幼稚園の庭にあるみかんの木からまだ酸っぱいはずの夏みかんをもいで来て園庭の石段に座りかぶりついています。僕らがいくらあやしても受け入れてくれることのなかったこの子達が日土の自然に抱かれてご機嫌を直してくれるのですから、この自然をこの幼稚園に与え子ども達を慰めてくださる神様に感謝するばかりです。
 そう、そうやって気を晴らした子ども達はさらに日土の自然に興味を深く深く示してゆきます。採ってきた菜の花とお水をビニール袋に入れ一緒に絞って、「はい、菜の花ジュース」と色水遊び。お弁当箱に盛った砂の上に拾ってきた木の実をふんだんに盛り付けて、「出来ました、木の実弁当!」。きっとうれしかったお母さんの手作りお弁当を思い出して、その想いを表現しているのでしょう。廃材の仕出し弁当のプラ容器を自分のお弁当箱に見立て、小分けされた容器にきれいにごちそうを盛り付けて遊んでいたのには感心してしまいました。このように何も経済的価値などない自然の中に自分の心の琴線を鳴らす魅力あるものを見つけ、自らの想いと好奇心にいざなわれて自分達の遊びを開発・発展させてゆく子ども達。『何が出来る』よりも、『自分は何をしたいのか』『そのためにはどうしたらいいのか』と言うことを自ら探し出した遊びの中で学び体得してゆくのです。言わばこれはアルゴリズム・『考え方やそれを解決するプロセス』を自分の中に構築してゆく『お勉強』。そういう子がこれからの世の中にとって価値あるものを創造し、提案してゆくオピニオンリーダーとなってゆくことでしょう。『三つ子の魂百まで』と言うように、この時期に体得した考え方や想いはこの先この子達の生きてゆく上ですべてを支える基本、そして糧となってゆくのです。

 そんなばら組にあって、泣くこともなくいつもケロケロっとしていた女の子がありました。調子やおふざけも出てきていつもケロケロ笑っていた彼女が、ある日自分の想いを爆発させ「おかーさーん!」と泣き出したのでした。平気のように見えてお調子することで自分の中のバランスを取っていたのでしょう。何かの拍子に堰を切り溢れ出した感情がどうにもこうにも止まりません。誰がどうなだめても大きな声で泣き続ける彼女でしたが、あやしながらある箇所に差し掛かるとその泣き声レベルが下がります。「落ち着いたのかな?」と思って抱き上げよそに連れて行こうとするとまた大声で泣き出すのです。そこはばら組へのエントランスの入り口でした。いつもそこにお母さんが迎えに来てくれると言う記憶が潜在意識の中に残っていたのでしょうか。そこに座ればなぜか落ち着きを取り戻す彼女なのでした。
 とりあえずは泣き止んだ女の子ですがそこから一向に動いてくれそうにありません。クラスのみんなは礼拝の最中なので、しばらく二人っきりの『まったりタイム』を過ごすことにしました。エントランスに座って園庭を眺めていると鳥の鳴き声が聞こえてきます。「ピーヨ、ピーヨ」と甲高い声で鳴いているのはヒヨドリ。「ホーホケキョ」はご存知ウグイスで、遠くの方から聞こえてくる「キリリリリ」の声はカワラヒワ。「小鳥さんだねぇ」と話しかけると興味を示し始めた彼女。「飛んでこないかねぇ」、「うーん」と小鳥談義に花がほころび始めました。その時、頭の上の電線に一羽のヒヨドリが停まりました。「あ、あれ!小鳥さん」とヒヨドリを指差して言うと「ちがう!」と答える女の子。確かに大きく灰色一色のヒヨドリは子どもの目から見て『かわいい小鳥さん』と呼ぶには、お気の毒にも少々かわいらしさが足りなかったのでしょう。ヒヨドリが「ダメ」と言われてしまってはなかなか厳しい『小鳥ちゃんあやし作戦』。ウグイスはなかなかヤブから出てきてくれないし、雨まじりのこんなお天気ではメジロも現れないでしょう。そんな時、砂場の向こうの青桐の木にカワラヒワが舞降りてきたのが見えました。うぐいす色の身体に黄色紋の小さな鳥が彼女の目にも飛び込んで来たのでしょう。「あっ、みどりの小鳥さん!」と遠くを指差しささやけば、「うん!」と曇り顔を一瞬にして晴らしてくれました。『取り付く島』をやっと見つけた僕は鳥の図鑑を持ち出して、『鳥談義膨らまし作戦』に出ました。まずはカワラヒワのページを開いて「これよね、これ!」と彼女に図鑑を見せたなら「うん、うん!」と大いにうなづく女の子。あんな遠くのスズメほどの野鳥、素人や子どもが視認出きるはずもないのですが、彼女の瞳の奥にはこの『ことりちゃん』が生き生きと羽ばたき出したのでした。図鑑に興味を示した女の子、次々とページをめくってみせれば興味を示して見せるのが採餌の場面。「みみず食べてる!」、「これはお魚食べてる」とちょっぴりおどけて紹介してみれば、これまたツボにはまったようで大きな声で「たべてるー」とケラケラ笑い出しました。そんな彼女の横に礼拝が終わったお友達がやってきて、ちょこんと座って一緒に図鑑を眺め出します。ある子などは自分の水筒を持ってきてひと休みしながらお茶会など始めてくれます。また製作を終えたすみれ男子も集まってきて、彼女達以上に野鳥の図鑑に興味を示します。挿絵の図を見ながら三択クイズなどを出してやれば、身を乗り出しながらノリノリで競い答えあう男の子達。エントランスに『野鳥同好会』のサークルが急遽立ち上がってしまったのでした。
 そんなまったり&ワイワイムードの中でいつものテンションを取り戻した女の子、またいつものようにエントランスの坂道をケラケラ笑いながら駆け出しました。ポールに掴まりクルクル回れば、またあのお調子笑顔が戻ってきます。それがちょうどお昼の時間と重なって、ケラケラ駆け回る彼女を『ニワトリを小屋へ追い入れる』がごとく、やっとお部屋の中に戻してあげることが出来たのでした。たびたびのぶり返しに僕も少々ドギマギしましたが、とりあえずほっと一息の彼女との初対戦、無事終息です。全ては神様がよこしてくれた一羽の小鳥ちゃんのおかげでした。

 その日のお昼の後、すみれ男子が僕の所に「また鳥クイズしよう!」とやっていました。体育会系ばかりと思っていた彼らがこんなものにこれ程興味を示すとは思ってもみなかったのですが、知的好奇心は大いにあるようです。嬉しい嬉しい新発見。彼らお好みの『おちゃらけスパイス』を所々にちりばめたのが当たりだったのか、「おーふくろうがネズミくってるー!」とやってやれば一同「おーすげー!」「くってるー」とウケまくり、しばらくやいのやいの言っては「つぎは?」と次の問題をリクエスト。僕らの図鑑学習会は続いて行ったのでありました。
 また数日後の雨の日のこと、美和先生がイモリを捕まえ、観察ケースの中に入れて持ってきました。「イモリって何を食べるんだろう」と興味津々の子ども達。僕がいつも分からないことがあると「図鑑で調べよう」と言うので今回も彼らは僕の元に持って来ました、昆虫図鑑。「おしい!」と言いながら「きっとこっちに載ってるよ」と動物図鑑を持ってきて索引を調べてみせた僕でした。そこには分類紹介の小さなイラストが一枚載っていただけで、生態や飼い方の記事は書いてなかったのですが、次回は飼い方図鑑を探してこの子達に色んなことを教えてあげたいとそう思ったものでした。僕らにとっていつもこの自然が学習教材。お勉強のきっかけを提示してくれる素敵な素敵な教材なのです。

 さあ、進級して張り切っているももさんに目を向ければ、いま虫取り遊びに夢中です。男の子も女の子も一緒になって『てんこ』を手に手に、頭の上をモンシロチョウが飛びゆけば「いたぁー!あっちー!」とみんなで追いかけ走ります。その姿は壮観なもの。女の子達が先頭になって追いかけているところを「へぇー」と興味深く見つめていたのですがこれにもオチがついておりました。勇ましくモンシロチョウを追いかけていた彼女達。虫籠がないと言うので探して渡してやったなら、「○○君、持って」と男の子に手渡します。「なんで、自分達で持ったらいいじゃん」と言えば、「だって虫捕まえられないもん!」と女の子達。そうです彼女達、持ち手付きの虫網でなら蝶も捕まえられるのですが、それを素手で掴んで虫籠に入れる事は出来ないのです。虫を捕まえては「○○君、はやく入れてよ!」と偉そうに男の子に指図している彼女達。あんなに勇ましそうにしていながら自分の手で虫が触れないなんて、「ちゃんちゃん!」のオチに笑ってしまいました。彼女達も「怖い虫も網で隔離してあれば大丈夫」と言う『頭でっかちちゃん』なのでしょう。
 まあ、そこが女の子のかわいいところと言えばそうなのですが、『親しき仲にも礼儀あり』。「自分で触れないんでしょう、そんな言い方はないんじゃない?ちゃんとお願いしたら」とついつい僕も男の子に加勢してしまいます。当の男の子は別に何とも思っていなかったようですが、「ちょっとその態度ってどう?」と僕の問題提起。彼女達、「ちょっと調子に乗っちゃったかな」と殊勝な顔をして「○○君、おねがい」とお願いしておりました。男を使おうとするのはきっと女性の本能なのでしょう。自分のパフォーマンス以上のものがそれによって得られることを知っているから。それはきっとそれでいい。でも男は単純な生き物だから、『ちょっといい気持ちにさせといて、上手に使ってあげてほしい』、それが彼女達への僕からのお願い。お年頃になるまでにそんなテクニックをしっかり身につけて、素敵なパートナーを見つけて欲しいものです。きっと余計なお世話ではありましょうけど。

 そう、このように日土の自然が子ども達の、そして僕らの先生で、色んな事を僕らに教えてくれています。その声に耳を傾けてこそ、この田舎の自然の中で保育を行う意義があると言うもの。それを皆さんにも共に感じてもらえたらと思うのです。


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