園庭の石段からみた情景〜園だより9月号より〜 2012.9.17
<共に育つ『育ちあい』>
 「暑い暑い、長い長い」と思われた夏休みもお盆を過ぎる頃にはその想いに蔭りも見え始め、明け方の冷え込みにくしゃみひとつで起こされたり、残り時間と後に回した仕事の残量を見比べたりしながら『秋の気配』を感じ過ごしたものでした。そのような季節の『わびさび』や『風情』などと言ったものは心落ち着き『まったり』過ごしている時にこそ感じることの出来る想い。つまり僕もこの夏は充電前の『ディスチャージ・放電』が十分出来たようで、すっきりした状態から2学期への準備を始めることが出来ました。そう、家電の充電バッテリーでもそうですが、度々詰め込むように充電するよりも空になるまでしっかり使って、もしくは放電して、それからたっぷり充電した方がハイパワーを発揮出来るそうです。子ども達もこの夏休み、しっかり欲求不満を放電し、すっきりと2学期を迎えられたでしょうか。そんな彼らの様子をそーっと覗き見守りながら歩み出した今年度の第2章です。

 2学期の始まりと言えばまず気になるのがたんぽぽ組の新入児。たんぽぽから幼稚園に来ようと言う子は、ばらの春に入園して来る子に比べて『意欲旺盛』な子が多いもの。「お母さんと離れても幼稚園に行きたい」と言う想いが不安を乗り越え、今までしたことのない我慢や努力までをも後押しし、ばらさんよりもしゃんとした姿を見せては僕らを度々驚かせてくれるもの。それに僕らは両手を上げて大喜びしてしまうのですが、でもそれはハイパフォーマンスの瞬間値なのかもしれません。それはそれで彼らの、そして僕らやお母さん達にとって『また次に頑張るための大事な糧』なのですが、僕らはそれに慣れてしまってはいけないのです。
 たんぽぽさんのはじめの一歩もひとりひとり、やはりみんな様々でした。初日にぐずった子もあって、お母さんにしてみれば「うちの子は・・・」と思われたことでしょう。でもこれも大切なディスチャージ。ぐずって感情を発露させることは大事な成長へのステップです。想いを発散すると共に、その想いを誰が受け止めてくれるのか、どのように自分に相対してくれるのかを子ども達はしっかり見つめ観察しているのです。その『お手合わせ』を経て、その子は自分の相手を選び接し方に方向付けをしていたのでしょう。一週間の園生活を終える頃には自分がペースを支配しながら、時には相手をおちょくるように、上手に先生達の間を渡り歩けるようになって行ったのでありました。なかなかのパフォーマンスぶりに彼の周りは今では大人の笑いが絶えません。
 ばら組のお兄ちゃんお姉ちゃんにお世話されしばらくがんばっていた子達も、園生活のリズムや決まり事、そしてお母さんから離れることに対するストレスが段々とたまって来たのでしょう。「もっと大変と思っていたのに」と言う子達も予想外の落ち着きと頑張りを見せていたのですが、最近時々ちゃんと爆発してガス抜きしてくれるようにもなりました。それは成長のプロセスとして必要なものだとは分かっているのですが、ひとたび癇癪に火がつけば誰もそれを収めることは出来ません。その子自身も自分の感情が暴走してコントロール出来ない状況に陥っているのでしょう。だからどうしたらいいのか本人にも僕ら教師にも、きっと誰にも分からないのです。結局、時に「うりゃうりゃ、わりゃわりゃ」言いながら『爆発』することで溜まったエネルギーを消費しながら投げかけられた『言葉遊び』の面白言葉に笑って機嫌を直したり、しばらく『ふて寝』してすっきり起きたなら機嫌よくケロケロ笑って見せたり、とその子によって発散の仕方は様々なのですが、そんな大騒ぎに付き合いながら圧倒されながら、僕らはいつの日にか神様から与えれるであろうこの子達の『成長』をただただ祈りながら保育を行っている毎日です。

 そんな家庭でならば煮詰まってしまいそうな状況にあっても、幼稚園では誰かが一人に手こずれば他の先生が「よし、それならば私が」と『チャレンジ&バックアップ』してくれるので行き詰らずに済むのでしょう。これまでお家の中で『ゴネ勝ち』を武器に連戦連勝してきたであろうこの子達と正面から組み合うのは教師にとってもなかなかしんどいことですが、誰かが預かってくれている間にふっと息をつき自分自身を落ち着け、『ディスチャージ』したならば次の作戦を考えたりすることも出来る様になるもの。そう、だからお家でそんな状況に陥ってしまった時にはお父さん、もしくはおじいちゃんおばあちゃんに隣のご近所さん、「私が」と言ってくれる誰かしらに頼んで『その状況』に金縛りになっている我が子と自分を解放してあげてください。『社会全体で子育てを』などと税制や福祉制度について言葉では言われるようになった現代ですが、本当に僕らの現実の日常の中でなすべき事は『かばい合う』『想い合う』『補い合う』、そう言うようなことなのではないでしょうか。
 そのことを実感として一番よく分かっているのは子ども達の方なのかも知れません。自分より幼く未熟な者を目の前にして、ばら組のお姉さん達が一生懸命その子達を気にかけて手を引きながらお世話をしてくれています。この間まで自分が「おかーさん」って泣いていたのに。でも自分が変わるきっかけとはそんな所にあるものかも知れません。実力はあるのに意気地のなさゆえに泣いていた彼女達が初めて感じた母性だったのでしょう。『母は強し』、そうお母さんは強いもの。きっと子どものために実力以上に強くもなれるものなのです。でもそれが『成長し合う』と言うこと。新しい仲間を迎えてばらさんからもも・すみれ組まで、そして僕ら教師も『今よりもうひとつ先の自分』に向けて成長しようとしています。どうぞお母さん方もそんな心持ちで子ども達を見つめてみてください。きっとその中からゆとりや余裕、喜びや生きがいを見つけ出し、みんな一緒に成長して行けることでしょう。


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