園庭の石段からみた情景〜冬の書き下ろし〜 2013.12.19
<神様に用いられることの不思議と喜び>
 おかげさまで幼稚園のクリスマスも無事に終わりました。ここに至るまでの過程において色々な『状況』に直面しそれを乗り越えてきた子ども達。今こうしてその表情を覗き込んで見たならばそれぞれがまた一つずつ勇気と自信を手に入れることが出来た、そんな嬉しい顔を見せてくれています。そう、全ての『状況』は通過点。その時、それがどんなに自分の思惑と相いれないものであったとしても、教師や大人達の目論みと大きくかけ離れてしまっていたとしても、そこがゴールではないのです。その状況はゴールを目指して励み生きる僕らがたどるべきものとして神様から与えられた通過点。その場所を通過して来たがゆえに自分は一つ二つも大きく成長することが出来たのだと、いつの日にかきっとそう思える礎となることでしょう。
 兎にも角にも4週間のクリスマスを待ち望むアドベントの日々を共に過ごしてきた僕らと子ども達。今から思えば今年はみんなそれぞれにとって長く、しかし実りの多い日々だったように思います。いろんな失敗と『やっちゃった』を繰り広げながら、ひとつひとつ学びを重ねてきた子ども達。みんなで助け支え合いながら作り上げてきたページェント、自分の嬉しい想いを暴発ではなくみんなに喜んでもらうために生かすことを学んだ歌・合奏、そして毎日クリスマスとイエス様のお誕生を覚え祝いながら歩んできたアドベントの時でありました。「クリスマスは何の日?」「サンタさん!」から始まったこの子達のアドベント週間でしたが、今では誰より確かに「イエス様のお誕生日!」と朗らかに答え、「歌や合奏もイエス様へのお奉げ物!」と一生懸命にやることの出来た自分達を誇らしく思っていることでしょう。

 本番のお姉さん達の聖劇をうらやましそうに見つめていたのはばら組さんの女の子達。段取りなどもすっかり覚えてしまった彼女達、先日もも組に置いてあるSDプレイヤーの聖劇楽曲をそーっと流してやったなら、いそいそとだれかれ先に集まってBGMに合わせ聖劇を演じ始めました。そんな彼女達に加わってきたのはやっぱり聖劇大好きももの女子。「これはこうするのよ」と言わんばかりにばらさんをリードしながら一人何役もくるくるこなし演じて見せてくれています。本番ではデッキ係が途中で止めたり早めたりの調整をしてオペレッタとして成立させているのですが、この聖劇はBGM流しっぱなし。気持ち良くしゃべっている自分のセリフが終わらないうちに次の音楽が流れ出し、慌てて退場してゆくコントのような聖劇となってしまうのですが、それでも自分に酔いしれながら演じている子ども達は大満足。ご機嫌に最後まで演じきった後、僕の所までつかつかつかとやってきて「しんせんせい、もういっかい!」。「まだやるのー」と呆れ顔で応える僕を嬉しそうに見上げ、またまた最初っから聖劇を始める子ども達でありました。これだけ毎日何度でも喜び演じた聖劇のこと、この子達はきっと大きくなってからも嬉しい思い出として思い出してくれることでしょうと、嬉しい想いで見つめています。

 一方の男の子達を見てみれば、いまだに手書き生き物イラストの『○○バッグ』にご執心。秋の『切り紙昆虫ブーム』を引き継ぎながら、切り紙のシンメトリーでは表現出来なかったバッタや鈴虫などのイラストを図鑑を眺め眺め写し描きしたのが最初の始まり。それの濃さや明るさなどの調整をしながらスキャナーでパソコンに読み込んだなら、原画より上手に見える絵が出来ることを発見してしまった僕。そのA4半分にイラスト印刷したコピー用紙を半分丁度に折りまして、両脇をセロテープで止め、ストラップの紐をつけ首からぶらりと下げたなら立派なバッグの出来上がり。これを子ども達、ことのほか喜んでくれまして、毎日二つも三つも作っては自分で色を塗り裏に名前と好きな絵を描いて持って帰ったものでした。カブト・クワガタから始まって、色んな昆虫を描きながら「今日の新作は」と子ども達に毎日新たなイラストバッグを営業したものです。イラストを幾つも描いて分かったのは、昆虫は表情がないので多少線が乱れてもそれっぽく見えると言うこと。で次のスキルアップのテーマとして取り組んだのは動物のイラストだったのですが、リスやウサギなど上がった難易度のせいでいかにも習作の感たっぷりの、でも多少感情移入の出来る絵を描きながら、子ども達とバッグ造りを楽しんだものでした。
 そうしている間に季節は秋からアドベントへと移りゆき、日常の中にもページェントへの想いが強く息づく頃となりました。そんな毎日を過ごす中、聖劇の馬屋の絵にこれまで作ってきた生き物達の絵を重ねることを思いついた僕。今まで描き溜め取り込んでおいたデジタルイラストを総動員してやりながら、イエス様を囲んで羊や犬・ネコ、バッタやカマキリなどの昆虫までも散りばめた『僕らの生き物達クリスマスおめでとうバッグ』を作り上げました。それがまた子どもの心にヒットします。聖劇にはあまり関心のなかったばら男子達がちっちゃなカマキリやクワガタを塗りたいが為に「ぼくもぼくも!」と則完売。ぐちゃっと塗った塗り絵達ではありますがみんな喜んで持って帰ってゆきました。最初は全部「してして!」だった彼らがこの一連の塗り絵バッグ遊びを通して、裏面に自分の名前を書いたり書ける友達に「書いて」とお願い出来るようにもなってみたり、「かけん!」と言っていた絵を自ら好きなように描いて見せてくれるようにもなりました。またまたコピー紙の端をきっちり合わせて二つ折りに出来るようになったり、テープを使って紙を袋状に工作したり、首紐をそのバッグに取りつけたり、などなどなど。ちょっと数え上げてもこのようにいろんな工程を自分達で行うことによって『工作』や『お絵描き・文字書き』のスキルを飛躍的に向上させて行ったのには驚かされたものでした。今まではただただ「つくって!」「やって!」だったこの子達が、自らの手と頭をよくよく使いながら『何かを生み出す面白さ』を感じ体現してくれるようになったことを嬉しく見つめていた僕でした。この僕もそうですが「できん!できん!」「描けん!描けん!」で通してきた『お絵描き』も、数をこなして繰り返し描いてみたならば、下手なりにも自分の気に入った絵が描けるようになるものだと言うことを、教えてくれた生き物バッグ遊び。子ども達との関わりの中にこそ、子ども達の、そして僕自身の『成長』があるのだということを学んだ製作遊びでした。

 この絵を作る際にはパソコン君がこれまた大活躍。レイヤーと呼ばれる一枚一枚に分かれた層を重ねながらクリスマスの絵を構成してゆくのですが、そのまま重ねたなら余白の部分が下の絵を隠してしまい、自然な重なりで表現された『全員集合』の絵とはなりません。そこでまず『塵も積もれば山となる』で描き溜めたイラスト達の背景を消しゴムツールで消してゆきます。最近の画像編集ソフトの中には『マジック消しゴム』と言う機能がありまして、この背景だけを上手に消すアイテムを使いながらイラスト達を重ねてゆきました。この作業を繰り返すことで幾つものイラスト達が貼りつけた順番に重なってゆきます。順序を入れ替えたり重なり具合を調整したり、全体のバランスを見計らいながら『それ用』に描かれたものではないもの達を統合しながら一枚の絵に見える様にしてゆくのです。部分的にしか描いていないものの手前は小動物を置いて隠したり、動物達の大きさもそれなりに整うように調節したり、僕にとって『もう一度最初から描く』となると気を失いそうになるほど登場動物の多いクリスマスの絵がこのように完成したのでありました。
 またアドベント週間の中にあって子ども達の聖劇の練習を見ているうちに、この子達の姿をここに入れたくなってしまった僕。昆虫から始まって僕の絵画スキルも小動物・人間へと徐々に進化・進歩して来たのですが、その人物も最初は「顔は自分で描いてね」と言い訳しながら『のっぺらぼう』のマリヤさんやイエス様を描いたものでした。それほどに人の顔は難しい。目や鼻の大きさや角度などでその表情が大きく変わってしまい、そしてその表情が「この人はこういう人」とその『人なり』のイメージを決めてしまうのです。しかしみんながみんな、『顔なし君』では寂しい限りなので登場人物を全員入れようと意を決した際、『顔あり君』に挑戦したのでありました。でも人の顔はやっぱりちょっと難しかった。今回は無難にくりくりおめめの『可愛い子ちゃん顔』を描いてまとめたのでしたが、人の顔はこれからの僕の課題です。将来的には子ども達の似顔絵を描けるようにもなりたいと思っているのですが、また子ども達と遊びながらお絵描きの練習をしてみたいと思っています。その都度ちょこちょこ挑戦しながら、5ヵ年計画ぐらいの感じの中で。

 さてそんな動物・人物達を馬小屋の中に入れまして、昆虫君達にはスペースの都合上ちょっと退去願いまして、『日土幼稚園の聖劇おめでとうクリスマスバッグ』の最終版が完成とあいなりました。鋭い子ども達は複数人ずついるはずの登場人物達、博士や天使・星・宿屋・羊飼いも一人ずつしかいないのを見ながらぶつぶつ言ってくるのですが、「足りない分は自分で好きに描いておいて」とうっちゃります。お互いに足りないものの中にこそ自分のやるべきこと・やりたい物を見つけ出し、その隙間の中に自分を表現してゆけば良いのです。それこそが『その子らしさ』と言うものを具現化する絵の表現になってゆくのです。だから元の塗り絵は上手でなくても完璧でなくてもそれでいい。そこから「自分もなにかやってみよう」と言う『その気』を呼び起こす『呼び水』となってくれたのならそれでいいのだから。僕も自分のヘタクソな絵が幼稚園中に、さらにはそれぞれのおうちの中まで行き渡り見られているかと思うとかなり恐縮しているのでありますが、その上に子ども達の世界が繰り広げられ、それを皆さんに見てもらっていると思ったならば、「まっいっか」とまた次なる下手な絵を描く気にもなれるのです。なにより子ども達の「おー!」と言う顔が僕の心を支え励ましてくれています。子ども達、今日も喜んで塗り絵をぬりぬりやりながら、その横に自分のニコニコ笑顔を素敵に描いてくれながら、描画という自己表現の世界を楽しんでくれています。絵の苦手だった僕はこの喜びを思い出すのに40年もかかってしまいましたが、この子達は僕よりきっと素敵な自己表現手段としてこれからも『お絵描き』に勤しんで行ってくれることでしょう。

 こうして夏の終りの暑い時期から始まった2学期も、素敵に無事に終わりを迎えようとしています。ムシムシブームが十月の研究会を盛り上げて、その中で子ども達も僕達も素敵な学びと気付き・新たな発見を与えられ、それがまた素敵にクリスマスにつながって、子ども達と楽しい毎日を過ごすことが出来ました。こうして振り返って見たならば、子ども達はこの日土の自然と神様から与えられた恵みの素晴らしさを体感し、他園の先生や保護者の方々には『日土幼稚園の保育と存在意義』を述べ伝え共感してもらうことも出来ました。毎日遊んだ塗り絵やお絵描きでは子ども達は自己表現の素晴らしさを学ぶと共に、毎日持ち帰った『クリスマスの物語バッグ』はどれほど多くの人々にクリスマスの本当の意味を告げ知らせてくれたことでしょう。取るに足らない子ども達との遊びや製作が、神様の御心に導かれながらどれほど素晴らしい成果の果実を実らせて、キリスト教保育とイエス様を証しする伝道の業として用いられたことでしょう。一見、何の関係もないようなこれらの物事が、このように素敵な関わりとつながりに導かれ、用いられたことの不思議を強く強く感じます。取るに足らない僕らの日々の保育の業を神様はいつも御用の為に用いてくださり、僕らを生かしてくださるのです。だから僕らは自分らしく生きてゆけるのです。子ども達に「自分らしく生きなさい」と励まし声をかけながら。


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