園庭の石段からみた情景〜園だより4月号より〜 2013.4.16
<妖精達のささやき>
 早足で通りすぎて行った今年の春は早々に桜の花びら達を散り落とし、瑞々しい葉桜が子ども達を出迎えた今年の入園式となりました。それは新入児達も同じだったようで、あの一日入園の時のはじけぶりとは打って変わった緊張の面持ち。今にも泣き出しそうな、今となっては初々しくもあった顔で『始めての一日』を幼稚園で過ごした子ども達でした。そんな表情がいつまでも脳裏に焼き付いているのか、いつまでも心配そうな顔のお母さん達。そんな母の想いを知るはずもなく、新人君達は早くもマイペースぶりを発揮して『葉を伸ばし枝を伸ばし』のやりたい放題。この子達の適応能力の高さに驚くばかりで、うれしくもあり頼もしくもあり、「もう少しの間、初々しいままでも良かったんだけど」と思うところもあり、となんとも面白いものです。こんな新しい子達との関わりを通して初めて、年度が変わったことを実感する今日この頃。「この子とはどんな風に付き合おうか」とか「この子の『つかみ』はこんな感じ?」とか、色々試行錯誤を繰り広げているところです。

 春風のようにふわふわと気移りするのが子ども心。そのふわふわが園生活と言う約束事の枠組の中にぽとんと落とされるのが入園です。好奇心旺盛でイチ早く幼稚園と言う環境に慣れてくれた子達は、一通り広々とした幼稚園の枠の中を自分の想いのままに『あっちに行ったりこっちに来り』。マイペースに自分と言うものを表現し自分の想いを体現し始めます。ここで自分の想いが高じてお約束の枠を越えてしまう事が出てくるのですが、「今は○○の時だから△△してね」の投げかけに、「あっ、今はこうしたらいいんだ」と思う子と「それは僕のしたい事と違う!」と思う子ども、二通りの感じ方があるようです。『僕のしたい事と違う!』と思う子はクラスからも逃亡の強行突破を試みて、最終ディフェンスラインの僕とすったもんだ。ピアノを弾く膝の上に乗っけながら、あっちからこっちから繰り出して来る『お邪魔のおてて』をかいくぐり、一緒に讃美歌を伴奏し歌って礼拝を守った子もありました。隣りのクラスのダンスが気になり自分のお部屋を飛び出して、窓に張りつきかぶりつくように覗いていた子達には、自分のクラスを指さしながら「あっ!あっちもダンスしてる!」。僕が先頭に立って窓からかぶりついてばらのお部屋を覗いて見せれば、エスケープ君達も一緒になって半分隠れながら覗き見をするではありませんか。「くるくるやってる!」とドアを空けその子のお尻を押してやれば、部屋に飛び込みみんなと一緒にくるくるやって踊ってくれました。でも結局くるくる回った後はまたエスケープされてしまったのですが。こうしてクラスの中から出たり入ったりをやりながらも初めての集団生活を経験し、彼らには『みんなと一緒に』や『こんな時には』をお勉強してもらいながら、僕らはこの子達のつかみと『傾向と対策』なんかを探りながら、楽しくお付き合いしているところです。
 一方、スキルアップの意識が高く、先生の「こうして」に『出来る事・出来るようになる事』に喜びを感じられる子達は、「すごい!」や「お姉さん!」の賛辞の言葉に酔いしれながらこんな頃から次に次にとがんばって行ってます。往々にして女の子の方にその様な傾向が見られるのですが、自意識の高さとプライドの高さが彼女達の成長の歩みの足取りを早めてくれるのでしょう。でもそれも行きすぎると親切心からのお手伝いにも、「もう、自分で出来るんだから!」とプンプンプンとしてみせたりなんてことも。彼女達に必要なのも同じように『みんなと一緒に』や『こんな時には』なのかもしれません。そう、この子達は『何が出来る・出来ない』のスキルよりも『相手の想いを受け入れられる心』を少しずつ育て養ってゆくお年頃にさしかかり、そのお勉強の場として幼稚園の園生活を歩み出したところなのです。

 一つずつ学年を重ねた進級児達はと言うと、まだ登園時に『去年過ごしたお部屋の前に立ち止まって』なんて子を何人も見かけます。何も言わずにじーっと顔を覗き込んだり、わざとらしく「お帰りなさい!」なんて言えばふと我に返り、「あっ、あっちだった!」と照れ笑いしながらきびすを返してゆくのです。そんなももさん達の姿を笑い見送りながら目の前のわちゃわちゃ君達に目線を戻せば、確かに一年分大きくなった年中児がなんと頼もしく見える事でしょう。当たり前の様に幼稚園に登園し、朝の準備も自分でちゃっちゃかちゃっちゃかやっつけて、自分の遊びに飛び出して行く彼女達。うっかりさんはかわいこちゃんのご愛嬌。ギスギスつんつんしてるより、「それぐらいの方が可愛くていいよ」とそんな想いで見つめています。
 そう、スキルアップは大事ですが、『出来る自分』の自負に必ずついてくるのが『おごり』の感情。「私の方が出来るんだから」「どうしてこれが出来ないの」「そんな事もわからないの」、人は自分と相手を常に相対的に見てしまう一方で自分の過去の出来事はさっさと忘れてしまうもの。自分だって出来ずに分からずに悔し泣きをしていたはずなのに、自分が出来るようになった途端に自分を特別なもののように思い込んでしまうのが人の性。でもこれって大人も子どもも同じです。キャリアやスキルがある者ほど、相手を思いやる心を強く持ち続けなければ、いつこんな『イヤミちゃん』になってしまか分かりません。完璧を謳い誇る聖人よりも一縷の突っ込みどころを相手にさらす事の出来る凡人の方が、どれだけ懐の深い人と言えるでしょうか。みんなみんなお互い様。想いあって譲り合って、一緒に笑い合いながら上を目指してゆく者となりたいものです。どれだけ出来たと言ったって、まだまだみんな成長途上の魂達。そう、私達も子ども達も皆同じ、共に歩み学びの途中にある者達なのです。子ども達は大人の鏡です。何気なくじっとそーっと見つめていればそんな事を僕らに思い出させてくれる、この子達は可愛い妖精なのかも知れません。


戻る