園庭の石段からみた情景〜園だより5月号より〜 2013.5.17
<主イエスと共に歩きましょう、いつも>
 連休の頃を迎えてもまだ肌寒い日が続いたりと、今年の春は暖かと冷え冷えの繰り返し。なかなか心地よい気候に落ち着いてくれないうちに、季節は初夏へと入りつつあります。ここまで涼しかったのでなおさら、急な暑さと強い陽射しへの偏向は僕らや子ども達の身体にもこたえます。この様な時に体力の必要を感じるもので、いつもなら何ともない初夏の陽射しにも身体の備えが出来ていないためか頭痛やほてりを感じ、「なんか調子悪いなぁ…」。ばら組の小さい子達もちょっとの外遊びで顔を真っ赤にしながらなんかしんどそう。幸いそのばらさんはお部屋でゆっくり過ごしているうちに顔の赤みもひいて、またいつもの通りにちょこまかちょこまか動き出しました。見事なまでの『元気・しんどいのON/OFF』だったのですが、体力のない小さな子達はそういうものなのかも知れません。お家でもうるさい程走り回って暴れるだけ暴れ疲れたなら、本当に電源が切れたようにコトンと寝てしまう、そんな感じなのでしょうか。だから子どもの表情やテンションは健康を測るためのインジケーター。レベルが低くはないか、逆にハイになって振りきれていないか、そおっと覗き込みながら一緒に楽しく笑いながらいつもと変わりないか観測してあげて下さい。同時に僕自身も身体のていたらくを感じ「夏への体力作りも始めねば」と思っています。いい歳なのでいきなり全開モードではなく、ばらさんと一緒に『よちよちメニュー』で徐々に体力をつけてゆきたいなどと思っているところです。

 4月に満開の花をつけた職員室前の桜、これはもう10年も前の卒園生と一緒に植えた記念樹なのですが、植えた時には小さな小さな苗木でここまで大きくなるとは誰も想像していませんでした。その頃は僕も草木のことも良く知らず、ただただ「日の当たらぬ殺風景な園庭に桜の花を咲かせたい」と言うロマンティックな衝動から「この辺ならじゃまにならないだろう」と植えたものでした。しかし10年も経てば木も大きくなります。当時は園児と同じ程しかなかった背丈が今では母屋二階の大屋根にも届きそうな勢い。「屋根を痛めては…」と度々散髪をしてきたのですが、今年は母屋側に伸びてきた大枝の根元から切り落とし大剪定を行いました。『桜の枝は切るな』と昔から言いますが、ここ数年「母屋を痛めるようなら切り倒してしまえ」と言われもするこの桜の木。根っこから切られるよりはと思いその太い枝にのこぎりを当てたのですが、一枝一枝と切り落としてゆくうちに昔のことが思い出されます。最初の3年は花も咲かず、「ここでは土も日当たりも良くなく、花は咲かないのかな」と思っていた4年目、やっとのことで一輪の花をつけた時には何とも感無量な想いで見つめたものでした。それが一年ごとに枝を張り花を増やし、今では桜吹雪で子ども達の卒園入園を祝ってくれるほどにもなりました。「そんな桜を…」、人の想いとは常に稚拙でいつも身勝手なものなのです。こんな僕の心を知るはずもなく、重い足取りで木を登る僕の足元には子ども達が集まって来ます。木登りがなんとも珍しい様子。「しん先生、すごい!」。その歓声に「これも見せ場」と思いながら切った枝の切り口を足掛かりに、さらに上に登ってゆきます。直径10cm程の枝達ですが、僕の体重を支えるくらいはなんのその。枝を右に左に渡りながら、木登り&のこぎりパフォーマンスを披露して見せた僕でした。
 そのことにえらく感動してくれたのがすみれの男の子。「自分も登る!」と挑戦を始めました。いつも口ばかりで出来ないことから逃げるようなところがあった彼の一大奮起だったのでしょう。最初の切り株に手をかけ幹に足をかけしながら自分の顔の高さの所にある二股の所まで登ろうとします。これには筋力と木登りのコツみたいなものが必要で、手でしっかり身体を保持しながら足掛りを探しながらちょっとずつ体を持ち上げてゆけば良いのですがなかなかそれが出来ません。「もう一回やってみて」とお手本のご指南を願い出る彼。なかなか殊勝な態度に御師範気分の僕も「よく見とけよ」とするするする。「ああやれ、こうやれ」ではない「こうだよ、こう!」と実に『長嶋流』の指導に何かをつかんだ男の子、ついにその木に登れるようになりました。今では更にスキルアップしてもうひとつ上の直径5cm程の枝の上に心地よさそうにちょこんと座っています。そんな彼に「先生のいないところでは一人で登らないこと」「両手を絶対放さないこと」「疲れる手前でやめること」「調子に絶対乗らぬこと」「この枝のこれより先へは行かぬこと」と5箇条の戒めを説いて聞かせれば、師匠には従順な男の子。ちゃんと言いつけを守りながら日々修練を続けています。普段はよくよく立つ口を武器に、誰の言う事も聞かない彼が…。
 男の子の成長物語は続きます。いつもなら自分だけ出来るようになったなら一人で「へへへん!」だった彼が、今回は仲間達を携えてコーチを始めたのです。「そう、そこにこう手をかけて」と自分の成功体験を仲間に伝え彼らの成功のためのアシストに身を挺しているその姿を見かけ、「ふーん、かわったねぇ」と嬉しい想いで見つめています。きっと彼はこの桜の木と共に更に成長を続けてゆくことでしょう。

 今年度の愛媛県私立幼稚園研究大会、日土幼稚園も公開保育担当園となっているのですが、そのテーマは『関わり つながり 学び合う』です。何もない田舎の幼稚園ですが、神様から与えられた自然と教師と子ども達が神様の見守りの中にあって『関わり つながり 学び合う』、そのことを通して自らの想いを糧としながら自らを成長させてゆく保育、そんなものを見てもらいたいと考えています。自然頼み・子ども頼りの無作為カリキュラムゆえに当日何が出るかでないかは、神様以外には分かりません。でもそれが日土幼稚園の日常の保育の姿なのです。全てのことを感謝して受け止めそれを糧に皆が共に歩んでゆく、それこそが神様の御心なのだから。


戻る