園庭の石段からみた情景〜園だより6月号より〜 2013.6.4
<梅雨の季節の狂想曲>
 今年も水無月を待たずして梅雨入りが告げられ、早くも雨の季節がやってきました。僕らの最近の『はやり遊び』は子ども達との生き物採集。ダンゴ虫から始まって、カタツムリ・サワガニ・クワガタにアカガエルまで、自前の園庭や山からお集まりいただいた杜の仲間達を見つけては飼育箱に集め、みんなでお世話しているところです。今年新たに仲間に加わったアカガエルなどはみんなで「何食べるんだろう?」と図鑑をめくり、「ミミズを食べるんだって」と調べをつけて早速エサのミミズ探しに繰り出します。体長3cm程の小さなアカガエル君のお口に合うサイズのミミズなど中々見つかるものではなく、あっちこっち探してようやく1匹の小ミミズをゲット。それを飼育ケースに入れてやったのですが、そうそう目の前で食べてくれるなんてこともありません。当のカエル君、ケースに入れられびっくりしたのか、あっちこっちにぴょんぴょんやりながら壁をよじ登り大脱出を試みます。本にも『カエルは生きたエサしか食べないので、エサを食べない時には元いた場所に逃がしてやりましょう』などとご丁寧に書かれていたので、「このカエルは逃がしてやらないとダメかな」と子ども達と顔を見つめ合いながらそう思ったものでした。
 その後、しばらく飼育ケースから離れてみんなで図鑑などを眺めていたのですが、やはり諦めきれない想いがありまして、そこにいた子に「○○ちゃん、カエルがミミズ食べたか見てきて」とお願いしてみました。「うん!」とカエルを覗きに行った○○ちゃん、「ミミズいないよ」と言葉を返して来るではありませんか。「えっ!」とみんなでケースの前に参じれば、確かにそこにはカエル君が一匹だけ。さっきミミズを乗っけた石の上にアカガエルが満足そうな顔をしながら鎮座しているではありませんか。あれだけ「出せ!逃げるんだ!」と暴れまわっていたカエル君、お腹が一杯になった途端のどをぷくぷくさせながら、「この新居もまんざらじゃないな」なんて顔をしているのですから笑ってしまいます。でもこれってこの間までのばらさんを見ているようではありませんか。部屋から飛び出したくってたまらなかったばらさんが、今では自分の居場所や『楽しい!』を見つけ出し、自分なりに園生活を楽しんでいるその姿とダブってついつい笑ってしまいました。でもでもきっとそんなもの。『慣れることと満足すること』、そのことが子ども達に新たな一歩を踏み出させる動力源となり、自らを成長させてゆくのでしょう。神様はいつも僕らに違った世界の物語を見せながら、子ども達について考え気づかせるためのヒントを与えてくれるのです。そんなメッセージに敏感でありたいと願いながら、子ども達の想いを感じながら、この梅雨の季節も過ごしてゆきたいと思っている毎日です。

 生き物達の物語は続きます。かたつむりをため込んだ飼育ケース、こちらもただいま大繁盛の満員御礼。最初こそまだ空気が乾いていたのでしょう、みんな殻の中に閉じこもって『引きこもり』を決め込んでいたものでした。かたつむりは梅雨の湿気を感じる季節になれば活発に活動を始めるようになるのですが、乾燥は大の苦手。飼育ケースにはカタツムリ達のために紫陽花を一輪入れ、その水分供給のためプラスティック容器に水を入れて一輪挿しにしてみました。ある日、かたつむりのケースを覗いてびっくらこ。水を張ったプラケースの中にどっぷりとデンデン君が入浴しているではありませんか。気持ち良さげに水浴しているカタツムリを見つめながら、子ども達と「デンデン君のお風呂だねえ」と笑ってしまいました。
 またある日、ケースの中を覗いて見ると大きな黒い虫が一匹紛れ込んでいるのを見つけました。「マイマイカブリだ!」。あわててその幼虫をお箸でつまみ出し、マイマイカブリを追放したのでありました。後から入って来れる大きさではなく、カタツムリ達よりも大きくさえあったその幼虫。あれには本当にびっくりさせられました。あのまま気がつかなかったら、ケースの中のデンデン達は全滅していたかも知れません。だってマイマイカブリにとってそこはごちそうだらけのパラダイスだったのですから。どれかのカタツムリにマイマイの卵がついていたのでしょうか。それともカタツムリと思ってケースに入れたデンデンの殻、中身はご馳走を平らげてそのまま居座っていたマイマイだったのでしょうか。真相は永遠に闇の中ですが、自然は僕らが思う以上に不思議とびっくりが一杯だと改めて思わされたものでした。
 そんな『デンデンケース』も一週間も経てば大分きたなく汚れて来ます。そこで「デンデンムシ、洗ってあげよう」と子ども達にケースとデンデンの水浴を呼びかけました。そんな僕の誘いに4〜5人の子ども達が集まって来てくれました。まずは別のケースに一匹ずつデンデンをお引越し。「そーっとつまんで、優しくおろしてあげてね」とお願いすれば、真剣なまなざしで一匹ずつデンデンをつまみ引越しさせる子ども達。空になったところで、ケースを水でじゃぶじゃぶたわしでごしごし洗います。ケースがきれいになったなら、一時引越し先のバケツにちょっと水を入れ、デンデン達をゆすいでやります。それを元のケースに戻してやり、新しい紫陽花の花を活けてやれば、『デンデンクリーニング』の完成です。ニンジンをエサに与えられ、赤いうんちまみれになっていたデンデン達が子ども達のお世話できれいにされて、気持ちよさそうに這い回っておりました。デンデンだってごはんも食べればうんちも出して、きれいにしてやればなんだかとっても気持ち良さげ。ただただ捕まえ自分の思うままに扱って、いらなくなったら「ポイ!」していたであろうこの子達に、命について感じ考えさせてくれたひとときでした。こんなこと、口で散々のたまってみたところで子ども達の耳を右から左。でも自分のお世話と言う体験を通じて感情移入が出来たなら、きっとその大切さ・その尊さを感じてくれることでしょう。自らの手を汚し、汚いものへの嫌悪感と戦いながら、それでも自らの働きとそれによって生き生きと動き出したデンデン達を見つめてみれば、何よりの喜びを感じることが出来たはず。デンデン達以上に嬉しそうないい顔をしていた『デンデンクリーニングチーム』の子ども達でした。

 5月のお誕生会は僕の担当月。そこで『そらまめくんのベッド』のお話を手作りペープサートでやりました。話はひと月ほどさかのぼりますが、5月のひよこクラブで『そらまめくん』をやろうと準備を始めた僕。『ひよこ』では大型絵本の読み聞かせをプログラムに考えていたのですが、お誕生会ではこれを何かお話の形で出来ないかと思案しておりました。そこで思いついたのが『絵本の絵を塗り絵にして、ペープサートを作って演じること』だったのです。まだまだ素話などじっと聞ける状態にないばらさん達の気を引くために視覚的プレゼンを、それもペープサートを用いての『動画そらまめくん』を思いついたのでありました。一杯出てくるまめまめ君達の紹介に『山の音楽家』のBGMを、それぞれ音色を変えながら録音してやれば、それだけでなんか僕も楽しくなってきてしまいます。そのBGMは別の所でも活躍し、ばらさんの礼拝準備の時に流しながら、「♪わたしゃばらぐみの素敵なお姉さん 上手に礼拝の準備をいたしましょう あら手ー洗った? あらお茶飲んだ? シューズ履いてる? シャツは入ってる? いかーがですー」なんてやったなら、そそくさ身支度を整えるばら組さん。遅いお友達を待ちながら、自分のことをちゃんちゃんとやるためのBGMとして活躍してくれたのでありました。ひとつのことから始まった連鎖や展開が自分の想い以上に広がりを見せてくれて、なんともうれしい想いの中で過ごしたひと月間でした。
 さてBGMに引き続き今度は絵の方です。絵本をスキャナーで読み取って、そらまめくんを始めとして『えだまめ君』『ピーナッツ君』などもモノクロプリンターで印刷すれば、『まめまめ君塗り絵』の出来上がり。それを子ども達の所に持ってゆき、「塗り絵したい人?」と投げかければ「はい、はい、はい!」と入れ食い状態で即完売。子ども達と一緒に塗り絵をしながらその中からおこぼれを頂戴し、ラミネーターにかけて割り箸つけて、『そらまめくんペープサート』を準備したのでありました。ですから今回のそらまめ君達や背景の絵は、ちょっと線が太くはみ出た個所も一杯あるラフな絵となっているのですが、それがまた味となりました。きれいな絵が欲しければカラーコピーすればそれで事は済んでしまうのですが、それでは僕らがやる意義と意味がありません。『子ども達と一緒に作りあげたペープサートでそらまめくんのお話をやる』をテーマに進めたこの企画、そこにはただの見世物で終わらない教育的教材としての意味づけを持たせたくて結果的にこんな手のかかることをすることとなってしまいました。でもそれにはとても満足しています。一緒に作り上げてくれた子ども達もその想いはきっと同じだったのではないでしょうか。
 さて本番当日がやって来ました。お楽しみのコーナー、『そらまめくん』の段となりました。僕はキーボードに内蔵されたSDプレーヤーを操りBGMを流しながら、それに合わせて歌いながらそらまめくんのお話を進めてゆきます。絵本から飛び出してふりふりやっているそらまめくん達に子ども達も大喜び。最後の大団円の場では今月の讃美歌『主イエスと共に』を流しながら歌いながら、車座になった子ども達の前を、ペープサートを全部持ってふりふりふりふりやりながら場内を二周行進して歩きました。それでなんとかめでたしめでたし。みんなで作りあげたそらまめくんの話をなんとかやり遂げることが出来たのでありました。
お誕生会の最後に企画したのが『みんなで楽しむイス取りゲーム』。「♪歩きましょういつもー」の讃美歌に合わせてホールの中を歩いてみれば、先程のそらまめくんのイメージに後押しされてみんなのノリもいつも以上。練習の後、賞品発表と相成ったのでありますが、それはみんなで作ったそらまめくん塗り絵のリザーブ分。それにピンをつけまして、『特製・そらまめくんバッジ』の出来上がり。これもみんな塗り絵を手伝ってくれた子ども達のおかげ様。5つのバッジが用意してあったので上位5名へのプレゼントとなりました。賞品があるとなれば気分はいっそう燃えるよう。この勝負、もも・すみれさん達の勝ち抜き勝負で行なったのですが、バッジ欲しさに大いに盛り上がってくれました。
 勝負の結果、見事1位から5位までの勝者が決まり、上位から好きなバッジを選んでゆきました。そんな所を見てしまったばら組さん、「僕らもやりたい!」と急にやる気を出しまして、急遽『ばら組クラスマッチ』をやることになりました。先程は『負けなしのみんな万歳!』のルールでやったのですが、「それが今のばらさんの精一杯」と思っていたのが僕の不覚。子どもの想いは実力を凌ぐ力を発揮させるようです。「プレゼントないんだけれど、いい?」とことわると、「やだ、ほしい!」とブーイング。そらまめくんの力はなんと偉大なことでしょう。それじゃあということで思いついたのがペープサートのそらまめくん。こちらも5本あったので、それをプレゼントすることに決めました。この結果、『ペープサートそらまめくん』の再演は永遠になくなり、一回きりの『幻の公演』となってしまったのでありました。早速、ばらさんのイス取りゲームが始まりました。さっきは「やらん!」と参加しなかった子までもが輪の中に入り「イス取りゲーム、レッツ・スタート!」。そこからが『いかにもばらさん』的なストーリーだったのですが、一人負けが出るごとにカチンコチンに顔をこわばらせ、3秒してから大号泣。男連中はみんな泣き出し先生にだっこされる中、気丈な女の子はぐっとこらえ、僕の「さすがお姉さん!」の声をしっかり受け止めてくれました。「そりゃ勝負をすれば負けもあるよ」と大人になってみれば受け入れられることもこの子達には人生における一大事。でもこういう経験を積み重ねることによって、それを受け入れられるようになってゆくのです。そうは言ってもこの子達、この2カ月の間にずいぶん色んなものを受け入れられるようになりました。これまでだったらそのものを手に入れるまで大声で泣き続けていたこの子達が、「この塗り絵を出してあげるから、お昼が終わったらみんなで作ろうね」の声に納得出来るようにもなったのです。入園当初は何に関しても『それじゃないとダメ!』と思っていたこの子達が、『代わりの物で妥協しよう』と自分の許容範囲を広げられるようになり、これによってワンステップの成長を遂げることが出来たのです。それは実に喜ばしいことだと僕には思え、神様の御心を感じたものでした。
 お昼ごはんの後、『そらまめくん塗り絵』をばらさんに届けた僕は、その日のおかたづけの時、子ども達が自分で塗ったそらまめくんやグリンピース君達の切り抜きを割り箸につけ、手に手にしながら嬉しそうにふりふりしている姿を見かけました。その時、この子達が欲しかったものがこれだったことに気がついたのです。ばらさん達が欲しかったのはそらまめくんバッジではなく、ゲームの賞品でもなく、そらまめくんのお話の中に出てきてふりふりふりふり踊っていたあのペープサートだったのです。これを見た瞬間に、「今回のそらまめくん、この子達の心にしっかりと届いてくれたんだな」と嬉しい想いで一杯になりました。子ども達に想いを伝えることは本当に難しいことです。『話は聞かない・見て欲しいものは見てくれない』、そんな子ども達に想いを伝えるためにはやはり、「彼らの心を感動させることなしには成しえない」と確信した次第です。またまた子ども達に勉強させてもらいました。

 お話の中で紹介するつもりで本物のそらまめを買って用意していたのですが、当日は準備でばたばたしているうちに園に持参するのを忘れてしまいました。翌日、そのそらまめを自宅の冷蔵庫から取り出して幼稚園に持ってゆけば、「そらまめ!」と子ども達は大喜び。僕も得意顔になってそらまめのさやを剥いて見せながら「これがそらまめくんのベッドだぁ!」なんて大口上を述べたものでした。そんなわざとらしい振りにさえ子ども達は「そらまめくんのべっどだぁー!」と大喜び。子どもってなんてかわいらしいやつらなのでしょう。一度走り出したストーリー、行けるならばどこまでも行ってみたいと言うのが僕の性分。最後は「食育だ!」とすみれさんを引き連れて「そらまめくん、食べてみる?」と台所へ繰り出してゆきました。そこが判断の分岐点だったのですが、「子ども連れで茹ったお鍋の前に十数分もいるよりは、『レンジでチン』の方がいいのでは」とどちらにしようか悩んだ末の方向付け。ベッドからおろしたそらまめくん5個ばかりをラップにくるみ、電子レンジに入れたのでありました。事故と言うのは思わぬ不運の積み重ねによって起こるもの。ちょうどその時、その日掘ったじゃがいもを土間に移すのを手伝って欲しいと言われてちょっとその場を外したのでしたが、1分後に再び台所に戻ってみればなんだか香ばしいいい香り。でもなんだかちょっと焦げ臭い。ふとレンジの方に目をやれば、レンジの中に燃え上がる赤い炎を発見。それを見てみんな口々に「火事!火事!火事ー!」。あわててレンジのふたを開けたなら、そこには炎を上げて燃えるそらまめくん達がいるではありませんか。菜箸でつまみ、流しの水桶の中に入れて無事消火。なんとか『事無きを得た』そんな珍事件を引き起こしてしまったのでありました。でもそこにいた子ども達は大興奮。「そらまめくん、火事になっちゃんたよ!」と嬉しそうに吹聴して回り、『そらまめくん丸焦げ事件』として皆に知れ渡ってしまったのでありました。体験に基づく教育のなんと難しいことでしょう。日頃奥さんが電子レンジを使ってジャガイモだのブロッコリーだのを温野菜にしているのを横目に見ながら「ああやればできるのか」などと思っていたのですが、初めて自分で挑戦したのがこの結果。インスピレーションも大事ですがリハーサルや事前検証もこれまた大事と言うことなのでしょう。

 そんなこんなで梅雨の季節のすったもんだ、あれやこれやの狂想曲でしたが、こんな僕のあれやこれやに応えて子ども達が色んな表情・色々な成長を見せてくれたこと、本当にうれしく思っています。大人や教師は子どもの『師範』たろうとせずとも、子ども達はこんな僕らの良きことからも、忌まわしき大実態の業からも、学び成長してくれるものなのです。今月も聖句を引用させていただきますが、『成長させてくださったのは神です』、それは本当です。植物にしても動物にしても僕らのお世話が完璧であるなどと言う事はあり得ません。時に水を忘れ、時にエサを過ごし、彼らにとって決して良い環境を与えることが出来なかった事がきっと日常的に多々あることでしょう。子ども達に対してもその時々の感情や思い違いで、不十分な対応をしてしまったこともあったでしょう。それでもこの子達は「お父さん大好き、お母さん大好き、先生大好き!」と僕らをしたってくれるのです。僕らに出来ることと言えば、そんな愛らしい彼らに対して精一杯・誠心誠意を尽くしながら根気良くゆっくりじっくり関わること、きっときっとそれだけなのかもしれません。そんな未熟で未達な僕らを教材に、そんな僕達を自分の教育的環境として受け入れながら、この子達は一歩一歩成長してゆくのです。だから一つ一つのその成長を皆で共に喜び合いましょう。そして『成長させてくださったのは神です』と感謝をもって受け止めましょう。この子達、確かに一日一日・一歩一歩成長しています。その歩みはとても小さくて、気付いてあげられないことの方が多いのかも知れないけれど。この日常の『やいのやいの・わいのわいの』の中に僕らの喜びがあり幸せがあり、この子達の成長があるのです。それを気づかせてくれるのも神様の御心。大騒ぎの毎日の中にあっても感謝の心を持って見つめてみれば、見えてくる喜び・この子達の素敵な成長がきっといっぱいあるはずだから。


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