園庭の石段からみた情景〜園だより1月号より〜 2015.1.24
<初春の想い>
 新しい年を迎え、幼稚園もまた元気に動き出しました。あけましておめでとうございます。新年のご挨拶を子ども達と交し合う日々の中で、また僕の中の『へりくつ君』がふっと頭をもたげて来まして「何があけましておめでたいの?」とある子に尋ねてみました。「それはね、おせちの箱を開けましておめでとうなのよ」と涼しい顔で答える女の子。それはそうです。年が明けるのなんなの言うよりも、あのお重箱を開けた時にそこに敷き詰められた豪華絢爛のおせち料理。それこそ子ども達にとっては「あけましておめでとう」の瞬間なのでしょう。それに乗っかって来た男の子。「中には鯛が入っていましておめでたい!」。そこから怒涛の駄洒落合戦となりましてぐだぐだになってしまった『新年のごあいさつ』でありましたが、そんなこんなでみんなで大笑いをし合いながら『新年』と言うものについて共に考える時を持つことが出来たような気がします。一日一日の時の流れはいつも『一日分』で定量的には普段と何の変わりもない一日でありますが、「またここからスタート、がんばっていきましょう」と意味付けを持たせることでこの一年もがんばれるような気がしてくるもの。それが日本人の心のリズムであり、子ども達・そして自分自身の成長を省みる基準点・心のものさしとなるのです。

 『お正月』は幼稚園の子ども達にとって強烈なイメージを残して駆け抜けて行ったようで、素敵なお正月についてあれこれ嬉しそうに話して聞かせてくれています。「私のうちはお正月にお刺身食べて、すき焼き食べて・・・」と月の半ばを過ぎてもお正月料理について思い出を反芻しながら語って聞かせてくれてる女の子。遊びの中でもいつものおままごとがちょっとゴージャス志向にシフトアップいたしまして、食材集めの現場をちょっと覗きに行ってみたなら『一緒にシダのはっぱを探せ』と言ってこき使われる始末。青々と葉を茂らせている他のはっぱを取ってやれば「これじゃない!」とその場で放り投げて、「これよこれ!このはっぱ!」と自分の集めたシダを僕の目の前に突きつけます。「あっちでもいいじゃん」と抗議すれば「だめよ、高級料理にするんだから」と大真面目な顔で言ってのけるので思わず笑ってしまいました。お正月料理の大皿盛りのツマとして、はたまたすき焼き用の高級肉の飾りとしまして、あんな感じのはっぱが仰々しく敷き詰められていたのでしょうか。彼女の中にはすっかり『高級料理』の飾りとして強くインプットされてしまったシダのはっぱ。日頃子ども達の遊びの中であまり日の目を見ないシダのはっぱが、この春はちょっとしたブームになるかもしれません。
 大寒の頃ともなると幼稚園のお山もちょっと色味的に物淋しくなるのですが、子ども達はほころび始めた菜の花を手に摘み花束にして持って帰ったり、砂場に頭を落とした椿の花を拾い集めてさら粉ケーキの飾りにちりばめたりして遊んでいます。そんな中、椿の花をひとつひとつ丁寧に解体し分解しているすみれの女の子達。真紅の花びらを取り去ったその後に残された茶筅のようなおしべめしべをも上手にお料理遊びに使っておりました。これもお正月料理から感じ取ったインスピレーションだったのでしょうか。モノトーンのお料理の中にふっと置かれた春の息吹が、やがて訪れる希望の春を待ち望む、そんな日本的なわびさびの想いを表しているようにも見えました。そんな彼女達の遊びを眺めていると『見て感じて味わう』と言うおせち料理の中に表現されている日本料理の醍醐味を、こんな小さいうちから感じ取り自分達の遊びの中に体現しているのかと感心してしまったものでした。普段はふわふわしているように見えるこの子達も、そのふわふわの想いの中で一生懸命何かを見つめているのだと、そしてそれがいつか素敵に花咲くこともあるのだと、そんな風に思うのです。大人のペースとかなり違うこの子達のマイペースにイラッと来ることもあるかもしれませんが、あれこれダメダメ言うよりも上手にバランスを取りながら背中を押すように促してゆけたらと思うのです。毎回毎回・その場その場での対応においてなかなかに難しいことではありますが、自分の想いを伴わない発達は本当の意味での『成長』へとはつながってゆかないとそんな風にも思うのです。大人の想いも大事なら子どもの想いもこれまた大事。みんながちょっとずつ自分の想いを譲りながら、でもそれを新たな『自分達の想い』として新たに高く掲げながら、一歩ずつ歩んでゆけたならなんて素敵なことでしょう。子育ての現場は親子双方にとりまして、お互いに自己実現・自己啓発の場であるのだから。

 お正月を経まして新年を迎え、子ども達もちょっとずつ変化を見せています。その想いの中には進級・進学に向けての心構えの覚醒があったり、逆に残り少なくなった園生活を偲んでか今更ベタベタと関わりを求めて来たり、この子達の中でも揺れ動く想いをその態度の中に滲ませているようです。三学期は振り返りの季節。『なりたい自分』を思い描いて自分で体現してみたり、やり残した想い・楽しかった想いをもう一度と今更ながらしてみたり、それはそれでやってみたらいいと思うのです。付け焼刃ならすぐに元の自分に戻るでしょうし、ベタベタも満足したならまた上を目指してしゃんとしてゆくことでしょう。甘えの表現として昔とは段違いに達者になったお口を駆使して教師の揚げ足を取ってみたり、有り余る体力のままにガンガンぶつかって来てみたり、そんなこともありますがそんな時には普段使わない真面目な顔で「相手の気持ちも考えて。ちょっとそれはやり過ぎじゃない?」と子ども達に向かって問題提起。カッとならずにちゃんと向き合い話してみれば彼らも分かってくれる、そんな歳にもなりました。こんな螺旋階段をたどりながらくるくる回り登りながら、これからきっと本当の実力をつけて行ってくれることでしょう。


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