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<みんなのクリスマス> 師走に入るのを待ちわびていたかのように超一級の寒波が私達の住む四国にも押し寄せまして、各地で冷たい北風・雨や雪が吹き荒れた12月のスタートとなりました。これまで温かった分、心と身体の備えが出来ていなかった僕らにとっては厳しい冬の入りとなり、それに加え今週は雨の多かった一週間でいよいよ寒さに身体を震わせ過ごしたものでした。本当に『元気と天気』は神様が私達に与えてくださる賜物であるとそう感じる今日この頃。寒くても天気の良い日にはお外で元気に身体を動かして遊べるおかげで寒さも半減してくれます。一度走り出したら着込んでいた上着を一枚・また一枚と脱ぎたくなるほどに身体もほかほかして来るのですが、『元気がない時・天気じゃない時』には心も身体も芯の底から冷え込んで、上着を着込んでストーブにかじりつくことしか出来ません。さらにそんな時には外で遊べぬフラストレーションから子ども達がお部屋で暴れて怪我をしたりいざこざ喧嘩をしてみたり、これまた悪循環のスパイラル。まさに健康な心と身体はつながっていることを感じる季節の真っ只中を過ごしているところです。 『こんな時にはこんな時なりの過ごし方があるもの』と言うことを子ども達にも一緒に感じてもらいたくって、今週は紙工作で馬小屋を作って遊んでみました。クリスマスの訪れる頃はちょうど冬至の先でして、一年で一番日が短く、寒さと暗闇が心をも支配してしまうような季節です。二千年もの昔、まだ電気も石油もなかったその時代、この季節の寒さと暗闇はどれほどの不安を人々にもたらせたことでしょう。しかもユダヤはローマ帝国に支配され人生の上でも『先行き真っ暗』とそんなシチュエーション。『そんな世に光を射すために神の子が与えられる』との昔からの言い伝えにすがりたいと願った人々の想いは当然のことだったのでしょう。しかしそんな状況、豊かな社会に生まれ何の不自由もなく育てられてきた今の子ども達に「想像してみて」と言ってもそれはなかなかに難しいこと。絵本を見せてもきれいに素敵に描かれている馬小屋の絵には寒さも臭いも不自由さのひとつをも感じさせてくれるものはありません。「馬や牛と一緒」と言うと笑いが起こり、僕らの伝えたい想いの何ひとつをも伝えられないジレンマにおとしめられるのでありました。 そんな時、クラスの先生から「先生、『かいばおけ』ってなんですか?』と質問を受けました。子どもからの質問が僕の所に回って来たと言う事だったのですが、ページェントで歌う「かいばおけにすやすやと・・・」の『かいばおけ』。知的好奇心の高い女の子がその意味をお母さんに尋ね、それがクラス担任に伝わり僕のところまでたどり着いたと言う訳です。その子もいるところで『かいばおけ』の講釈が始まります。「『かいば』って言うのは『飼い葉』、飼っている牛や馬達が食べる草わらを入れておく『桶』があるんだけれども、それのことを言うんだよ」。「おけって丸いの?」と尋ねる彼女に「普通は丸いよね。でもこんな四角いのもあってこれを『飼い葉桶』って言っているんだね」。図書室から挿絵のある絵本も探して来まして、説得力を持たせようと試みます。「馬小屋で赤ちゃんが生まれたけれど、馬小屋には柔らかなベッドも温かなお布団もないでしょ。ふわふわの草わらが敷き詰められた飼い葉桶がきっとそこにある一番のベッドだったんだろうね」。「ふーん」って顔で聞いてくれた女の子の顔を見つめながら、なにかもっと的確にイメージを伝えられる表現は出来ないものかとそれからあれこれ考えてみた僕なのでありました。 預り保育の時、子ども達のおねだりに応じまして広告紙で『くるくる棒』を作っていた時のことです。「これを組み合わせて馬小屋が作れないだろうか」、そう思いついた僕。固く細く巻き締められた『くるくる棒』を何本も何本も作りまして、それを組み合わせながら小屋のフレームを作ってみました。強度が足りないので耐震化住宅のように斜めに筋交いも入れまして、なんとか小屋のていをなす建物が出来上がったのでありました。そこに今度は厚紙で飼い葉桶を作りまして、シュレッダーで切り刻んだ『紙わら』をその中に敷き詰めて、赤ちゃんイエス様をそっとそこに寝かせたのでありました。その後は何日にも渡って子ども達と一緒に屋根の上に天使の軍勢を飛び交わさせたり、飼い葉桶の周りにヨセフやマリヤ・博士や羊飼い達を置きまして、ページェントのあの場面を再現して行ったのでありました。僕らの紙工作、生き物好きの『ムシムシ君』達がそれで終わるはずもありませんで、それからクワガタやカマキリの切り紙を天井にはべらせたり、ヤモリやイモリの塗り絵を壁に這わせたり、空から『妖怪ウォッチ達』を覗かせてみたり・・・と、そんなゆかいな馬小屋が出来上がったのでありました。それを部屋に飾り眺めながら、クリスマスの舞台のイメージを作り上げて行った僕と子ども達なのでありました。 既成のイメージとはかけ離れた馬小屋が出来ちゃったようにも思ったものでしたが、改めてこの馬小屋を見つめてみたならばこのイメージは意外と物語の本質を表現しているのかもしれないと、そんな風に思ったりもしたのでありました。壁板や屋根板が満足にないあばら家で、壁や天井にはヤモリやムシムシ達が這い回り、暗闇の夜空では『チミモウリョウ』の妖怪達が人間界を垣間見ている。そんな中、世の中を照らし出す希望の光としてイエス様が飼い葉桶の中に寝かされている。何の考えもなしに作った馬小屋でしたが、何かを言い当て表しているかのような気がして嬉しくなってしまいました。そんな喜びの中で子ども達とその想いを分かち合いながらアドベントの季節を過ごしているところです。信じ喜び祝う心を持ってクリスマスを迎えることが出来たなら、その想いが私達をきっと幸せに導いてくれるはず。クリスマスは私達にとって喜びであり神様から与えられた幸せの印なのだから。 |