2015.1.18
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二月の子育て講座は僕の『ひきがたり』です。歌をうたいながらその中に想うよしなしことを『語って』みようと思い、今年も準備をしております。時代は常にうねりを帯びながら大きな力を持って変わってゆきます。そのうねりや流れが時代の『流行・正義・常識』となって私達の生活をも後ろから押し立ててゆくのですが、素敵な歌の中には昔から変わらない『心』と言うものが歌われ、そんな時代の勢いを「ほんとうにそれでいいの?」と考えるきっかけを僕らに与えてくれるものとなるのです。結果として僕らには何も出来ないかも知れませんが、その時々で自分達の現実を見つめなおし自分自身に問いかける、自分達の生きる社会の理想を想い描く、その想いをこれからの未来を創ってゆく子ども達に託し伝える、それが子ども達を育ててゆくことを生業とする僕ら教師やお母さん達に出来ることだと、そんな風に思うのです。2月25日水曜日13:00より、ホールで行います。どうぞ遊びに来てください。 ○ひこうき雲<荒井由美> 『あまりにも若すぎたとただ思うだけ けれどしあわせ』 人の想いとは中々に相手に伝わりにくいものです。でも何かに一生懸命で何かをひたすら追い求める、そんな生き方が出来たなら相手の心に何かを残せることが出来るかもしれません。人の『幸せ・不幸せ』は自分が決めることですが、いつも一生懸命に生きられたなら、他人から見ても「きっと幸せだった」と思ってもらえる生き方が出来たと言えるのかもしれません。「あれがダメ・これがイヤ」と口であれこれ言うよりも、ただただひたすらに一生懸命生きることが出来たなら、きっとそれがその人にとっての幸せなのであり、そうして自分を輝かせていた人達はいつまでもいつまでも多くの人々の心の中に生き続けることが出来るのではないかと思うのです。 ○前夜<さだまさし>・最後のニュース<井上陽水> 『僕らはむしろこの狭い部屋の平和で手一杯だもの』 社会・世界・戦争等と『家庭』を対比して歌った歌です。私達の暮らす社会が時代の流れの中で仕立ててきた文明・インフラ・対外情勢に関して僕らは本当に無力であるけれど、「それでいいの?」と立ち止まって考えることはきっと出来るはず。自分の暮らしを投げ捨ててまで社会を変えることは臆病で弱虫な僕には出来はしないけど、でもきっとそれでいい。「自分の家族が一番大事」それがきっと一番大事。でもだからこそ、その家族が幸せに生きてゆける未来を想い描きながら、そのために自分達に出来る小さな小さな物事達を思い浮かべながら、一つ一つ取り組んでゆけたならと思うのです。 ○情けない週末・バルセロナの夜<佐野元春> 『生活と言う うすのろを乗り越えて』 家族を持つと言うことはうれしくもあり大変でもあるものです。『生活』を共有すると言うことは色んなことが自分の想い通りにならないで、心にジレンマやストレスを与える原因となるもの。それを佐野元春は『うすのろ』と呼んでいるのでしょう。でも旦那さんや子どもそして親などと言う『生活を共有する者達』がすべて「自分の思い通りになってくれなければイヤ」と言う想いから自分自身を解き放ち、愛しむべき『うすのろ』としてお互いにゆっくり時間をかけて分かりあい赦しあい愛し合ってゆけるようになれたなら、その先には家族みんなで培った素敵な『生活』が待っているのではないでしょうか。それぞれの『エゴ』は分かち合い赦し合えたその時には素敵な『家族の想い』にその姿を変えてゆくことでしょう。その真ん真ん中にいてそれを受け止めることはなかなかに大変ではあるのですが・・・ね。 ○イージューライダー・つくば山<奥田民生> 『僕らの自由を 僕らの青春を 大げさに言うのならば きっとそう言う事なんだろう』 人はどんなに能力を持っていても、どんなに才能を持っていても、自ら『やりたい』と言う想いなしには何の仕事も出来ないもの。忙しい毎日の中にあっては『自分のやりがい』を探すのはなかなかに難しいと思うのです。『やらなくっちゃいけないお仕事』をきちんとやることも大事ですが、自分が心からやりたいと願いひたすら頑張って向き合えるものを見つけるためには、時々自由度のある時間と空間の中に身を置かしてもらえたならうれしいのですが。男の言い分・わがままですけど。 ○夏まつり<井上陽水> 『十年はひと昔 ウー暑い夏』 最近、僕らが送り出した卒園生が「中学生になりました」「高校生になりました」と言う声を聞くたびに、いつの間にか過ぎ去って行った時の流れを感じます。このお仕事をしていると目の前には「あだあだ」言っている子ども達がいつもいるので、歳をとってゆく実感があまりないのですが、懐かしい子ども達の近況に触れそれを時間軸に乗っけて計ってみたなら、人並みに相当の時間が経っていることに気がつかされます。こちらも散々「やんやん!」言っていたはずなのに、でも思い出されるのは楽しかった思い出ばかり。『子ども達にかかわる』と言うことはきっとそう言うことなのでしょう。今は思い通りにならずに葛藤し、時には煩わしささえ感じる自分の『子育て時代』。でもその手数の一つ一つが自分のそして子ども達の心に美しい思い出として湧き上がってくる時がきっと訪れることでしょう。子どもに精一杯手間ひまかけるそのことが、僕らがこの時代を一生懸命生きた証しとなってゆくはずだから。 |