園庭の石段からみた情景〜園だより3月号より〜 2015.3.9
<僕らの『いつかはクラウン』>
 今年度最後の大舞台・『春の音楽発表会』をやり遂げて、子ども達はそれぞれに自分達の『お楽しみタイム』を心ゆくまで過ごしている今日この頃。すみれの女の子達は晴れた日には「お花見!」と嬉しそうに、そこらの野辺にシートや新聞を広げて『お花見気分』を楽しんでいます。こう言う『自由さ』・『発想の豊かさ』に関して言えば、今年のすみれの彼女達は「さすが!」と賞賛するに値するパフォーマンスを見せてくれるのであります。でもでもこのお話にもちゃんとオチがついていて、彼女達がシートを広げたその場所は『もも組トイレ裏』の肥溜めの上。コンクリートで固められマンホールでしっかり蓋はされているのですが、その上に座り込んで頭上に咲き誇る満開の白梅の花をその気になって愛でている彼女達。昔はひらきっぱなしの『ぼっとん便所』で、幼稚園で一番臭ったであろうこの場所が、簡易水洗トイレとなってきちっと整備されたそのおかげで、こんなことを彼女達に思いつかせることにもなったのでしょう。これまでそんな子達は露ぞ現れることはありませんでしたけど。「変わりゆく環境と子ども達の新たな感性の融合が新しい文化を生み出してゆくのだな」と嬉しおかしく彼女達の姿を笑い見つめたものでした。そうは言っても肥溜めの上、先生に移動を勧告されて不満顔を見せながらも新たなお花見の楽天地を探しさまよっていた彼女達なのでありました。もう心はお花畑のこの子達、本物の春本番もちゃんとそこまで来ているようです。

 春の音楽発表会の大道具・小道具作りにダンボールが必要と言うことで、僕が家から持ち込んだ宅配荷物のダンボールの空き箱達。大きさや強度が仕様と合わないと言うことから使われることなくしばらく積み上げられていたのですが、「持ってきた責任上何かに使わないと…」と子ども達と一緒に工作遊びを始めた僕。最初に思いついたのは『3匹の子ぶた』の家作りでありました。劇本番へのモチベーションアップのためにも役立つんじゃないかと考えまして「藁と木と煉瓦の家を作ろう!」と投げかけたのですが、反応の薄かった子ども達。それならばとダンボールを細くこまかく切りまして、それを放射状に貼り付けてゆきまして、『藁葺き屋根』を作って表現して見せたなら、「わらの家だぁー!僕も作ってー!」と子ども達の心に大ヒット。「じゃあ、こんな風にダンボールを切っといて」と彼らにお仕事を依頼して、みんなで藁の家の量産体勢に入ったのでありました。続きまして「煉瓦の家はどう作ろうかな?」と考えていたのですが、とりあえず四角い箱を作りましてその表面に『煉瓦パターン』を描き付けてゆく作戦を取りました。なるほどそれっぽくは見えるものの、やっぱりなんか味気ない。それで子ども達にクーピーやクレヨンで色をつける作業をしてもらったのですが、やっぱり一人一人の個性がそこに光ります。リアリティー志向の子達は一生懸命ひたすら『煉瓦色』を塗りつけて素敵な赤茶色の『煉瓦屋』を作っていましたし、発想豊かな子ども達は一個一個異なる色で煉瓦を塗ってゆきながらしかも隣とは色がかぶらないようにと巧みに色を変えながら配置なんかもしておりました。いずれにしてもダンボール色の味気なかった煉瓦の家がそれぞれの個性輝く素敵なおうちへと大変身してくれたのでありました。
 最後に頭を悩ませたのが『木のおうち』。ダンボールで表現するに一番難しいモチーフなのですが、考えたあげく帯状に切ったダンボールで五角形の外形を形作り、それを支持するために十字に組んだ割り箸の柱を張り付けた苦し紛れの『木のおうち』が出来上がったのでありました。他の家に比べてなんかクオリティーが低い木のおうち、なんか花を持たせられないかと思っていたところ、ある男の子が「煉瓦のおうちの二階へ移動するエレベーターが欲しい」などと言い出した言葉を聞いてピンときた僕。「これらをみんなくっつけて複合住宅にしちゃいましょう」と出来合いのおうち達を子ども達とくっつけ始めたのでありました。まずは煉瓦のおうちの裏側にロープを巻取る『ウインチ装置』を割り箸とトイレットペーパーの空芯で作ります。そこに荷紐を結びつけて、煉瓦の家の屋上にひっかけ表側で木の家に結んで留めました。このウインチを回して荷紐を手繰り寄せたなら、木の家が上に上昇いたしましてエレベーターとなってくれるのです。また手を離せば自重によってエレベーターは下に降下します。このギミックに大喜びの子ども達でありました。
 そして『煉瓦の家』の屋上に『藁のおうち』をくくりつければ、屋上にシックなテラスのついた僕らの複合住宅が完成です。2階に扉をつけてそこから出入り出来るようにしたり、内部に2階フロアーや2階に登る階段をつけたりと、子ども達の「あーだ、こーだ」のイメージをつてにあれこれ構造を考えながら、素敵なおうちをみんなで作り上げて行ったのでありました。子ども達の『こうしたい!』を具現化して見せる工作遊び、初めは何でも「できんできん!」言ってた子ども達でありましたが、彼らにもちゃんと役目を与えながら、『何かを作り上げる達成感』をみんなで喜び感じることの出来たこの『3匹の子ぶたのおうち作り』。やくたいもないような廃材から自分達のイメージだけを手がかりに想いを満たしてくれるもの達を、自分達の手で生み出すことの出来たそんな成功体験となりました。子ども達はそれぞれ作った工作を自分の家に持って帰ったり、僕の『預かりの部屋』に置いて気が向くごとにエレベーターを動かしながら、嬉しそうに遊んでくれています。

 子どもと言うのは気に入ったらそればかりで満足してくれるものかと思いきや、工作でも塗り絵でも「これ、前やった!違うのがいい!」と常に新しいものを要求してくるもののよう。『3匹の子ぶたハウス作り』のブームが去った後、「次に何を作ろうか」とあれこれ思い巡らしていたのですが、数多くの『おうち作り』の過程で学び得たノウハウといたしまして『ダンボールは紙の構築造上、定規を当てて曲げたなら綺麗にまっすぐ折り曲げられる』と言うことを体得した僕。これによって『箱構造』のものが作りやすく、量産性が高いと言う結論を導き出したのでありました。そこで今度は自動車作りをやってみようと思ったのです。長方形のダンボールの四辺に30cm定規を当てながら折筋をつけてゆき、曲げた時にラップする部分にカッターで切り込みを入れまして、垂直に折り曲げ合せながら大判の梱包テープで止めてゆきます。フロント部のデザインによって展開図における側面のラインをそれぞれごとに決めまして、フェンダー部のぶ厚いオフロード車から背の低い平べったいスポーツカーまで色々とそれっぽく造って見せれば子ども達も大喜び。元のダンボール紙の寸法と、「こんなもん!」と大体で折ったラインによってその形状が支配されてしまいあまり精巧なものは狙って出来はしないのですが、それでもまあそれっぽく外形をデザイン出来るようにもなりました。子ども達はそれに色を塗ったりタイヤやワイパーなどのパーツを作ってくっつけたりもやりながら、自分達の『カスタムカー作り』に興じておりました。中でも圧巻だったのは平べったい車体全体に金色のピカピカテープを貼り巡らせて、本物のスーパーカーみたいに仕立てて見せた男の子。普段は「集中力がない」と言われてしまう彼。テープの一本や二本ならともかく『全身に』なんてこんな根気のいる仕事をやってのける彼のモチベーションって相当すごいもののように思うのですが…。人間、自分と言うものと向き合ってみることによって初めて自分の適性や得意不得意、そして課題なんかも見えて来るものなのでしょう。彼にも自分の興味や趣味の方向性を大いに広げてゆきながら、こうしたピンと来たところからのチャレンジや経験を積み重ね、『自分と言うもの』を深め磨いて行って欲しいと思うのです。そこから極められてゆくものがきっときっとあるはずだから。

 さてこの話、子ども達のことを語っているつもりだったのが、自分自身の話のような気もして来てしまいました。でも総じて僕も彼らもきっと同じようなものと言うことなのでしょう。『量産型自動車作り』での経験の蓄積がこの僕に「人が乗れるダンボールカーも作れるんじゃない?」なんて気を起こさせるようになって来たそんな頃、『4段引き出し』の収納ケースを納めていた大きな段ボール箱を手に入れてしまった僕。早速それを幼稚園に持ち込んで、子ども達と一緒に定規と6Bの鉛筆を駆使しながら『切り取り線』を描き込んで行ったのでありました。乗用の工作車なぞどう作っても出来はするのでありますが、問題は強度と耐久性。『箱型』を堅持することでそれらはずっと上がるので、やたらあちこち切ることは出来ません。縦長の箱をまずは横に寝かせまして、その上部に当たる部分にカッターをそっと入れてゆきます。面のエッジ部で切るよりも、一回り内側のフランジになる部分を残しながらコクピットを切り出してゆくことで剛性もかなり上がるはず。また子ども達は「乗降用のドアをつけろ」としきりに要求してくるのですが、これもそこで刃物を入れたなら、遊んでいるうちにその部分から車体が真っ二つになることが容易に想像出来、これまた却下。年中児なら難なく跨ぐことの出来る車高と言うこともありまして、あえて『ドア無しデザイン』を採用したのでありました。しかし新館から遊びに来た足の短い年少の子ども達にはギリギリの高さのようでして、彼らが跨ぎ乗り降りしている運転席横のその部分をよくよく見てみればちょうどその子達のおしりがひしゃいだ形で丸くたわんでおりました。これまた大笑い。そう、乗るためのハードルは少々高くても「のれん!」と言って乗車をあきらめる子は一人もありませんで、「自分の想いを満足させるためには『物や設計』がどうであれ自分でやってのけるものなんだな、これが未来に向って自ら育って行こうとする本来の子どもの姿なのだな」と思いながら車のへこみを見つめていた僕でありました。
 普段僕らは「できんできん!」と言うこの子達に『手を貸したり、容易に出来るように環境の方を合わせて改良してあげる』と言うことをよくよくやってしまいます。でもこの子達に望む最終目標が『自分で出来るようになること』であるならば、全てを代わりにやってあげることの弊害も考えなければいけないはず。少し手を貸したりお手本を見せるためにちょっとやってあげることは「がんばれば出来るんだ」「自分にも出来るんだ」と言う想いや『興味・関心』をこの子達の心に芽生えさせ、『その気』を伸ばしてゆく手助けにきっとなってくれるのでしょうが、『全部が全部』となると『自分で努力して出来るようになろうする意義や意識』を子ども達の心からこそぎ落としてしまうことにつながりかねません。その『動機付けのさじ加減』が難しいところではありますが、子育てや教育と言ったものはそれがどちらかに大きく振れ過ぎた時にきっとバランスを崩してゆくのだろうと、そんな風にも思うのです。たかだか工作の一設計ですが、そこにおける投げかけとそれに対する子ども達からのフィードバックがそんなことを僕に考えさせてもくれたのでありました。いずれにしても車の壁は破れることなく強度重視設計の正しさが実証された上に、子ども達への教育的見地の考察まで想いを馳せられたこの一幕(自己満足だけかもしれませんが)。子ども達との関わりの中で『何が正解・不正解』の絶対的セオリーなど存在しえるものでは決してなく、そのひとつひとつの状況を『どう受け止め・どう考えてゆくか』の検証・考察を自分で重ねてゆくそのことこそが、日々の岐路における選択や思想を裏付け自分の子育てを支えてゆくものとなってくれるはず。きっとそう言うものではないでしょうか。

 さて僕らの車作りはまだまだ続きます。先程切り進んで来たコクピット部のダンボール、この面は本体から切り離さずに折りたたみ、前面の風防に仕立て上げました。ハンドルも作ろうとダンボールにかたどって形状を作ってみたのですが、固定式ではつまらない。「ちゃんと回るハンドルじゃないと」と言うことでラップの芯を軸にしまして真ん中に丸穴を開けたハンドルを差し込んで、更に抜け留めのためにその上からクラクションに模したプラカップをはめ込みまして、立派なハンドルが出来上がったのでありました。子ども達はその気満々でそれを右に左に回しながら、ご機嫌にドライブを楽しんでいます。そして臥龍点睛、この車の顔を決める前面にはどんなデザインを施そうかと色々考えていたのですが、ふと思いついてクレヨンで大胆に描いたのは『イナズマグリル』。そう、この瞬間からこの車は他部の詳細はどうであれ『いつかはクラウン』となったのでありました。そう、昔からトヨタの高級車クラウンのキャッチコピーとして使われていたこの言葉。僕らのダンボール工作も「ついにここまで来た」と言う嬉しい想いも込めまして、現行クラウンのデザインを採用したのでありました。このギザギザの偉そうなイナズマグリルをしげしげと見つめながら、大いに満足してしまった僕と子ども達なのでありました。
 そんな遊びの中でふと「あー、一番大事なものを忘れてた、カチャカチャやるやつ」と言い出す女の子がありました。彼女の言葉から色々連想しながらやりとりし、辿り着いた正解はワイパー。「動く奴がいいの?」と彼女に聞けば『当然!』って顔でうなづきます。ワイパーの形にダンボールを切り取って、「さて、どう動かそうか?」と考えた時に思い出したのがひよこクラブの『さるかに合戦』の製作で使った割ピン。それで車体のフロント部とワイパーを貫通させて留めてみせれば、かくして立派にそれっぽく動くワイパーが完成したのでありました。しかしながらワイパーの駆動系までは設計出来なかったそのために、雨が降ってきたと言っては「○○ちゃん、ワイパーお願い!」と一人を車の前面に配置させて『ワイパー係』にお仕事を頼むドライバー。それでも頼まれた方も嬉しそうに「カチャ!カチャ!」ワイパーを動かしながら遊んでいます。彼らの芸も細かなもので「あっ!雨、ワイパー」と言ったかと思えば次には「雪になりました!もっと早く動かして!」なんてお調子モードでやってます。子どもと言うものはいつも僕らが考える以上の遊びを自分達で発明しては、ご機嫌にやってくれるものなのです。
 また居住性が低い、つまり「狭い!」と言い出した女の子がありました。『スポーツサルーンは狭いもの、そのタイト感がこの車のスポーツ感を演出しているんだ』と言う僕の美学を頭から否定してくるちょっと大きめのその彼女。「じゃあどうしたらいい?何とかやってみて」と材料を手渡したならおもむろにドアの横に新たなダンボール箱をテープで貼り付け始めた彼女。なんと僕らのクラウンに『サイドカー』が付けられてしまったのでありました。今時世間一般の車選びでも大容量のワンボックスタイプが大流行しているのは、お母さん達の女性目線で車が選ばれるからなのだと思われるのですが、女性の車への嗜好性とはこんな頃から『格好』よりも『いっぱい載せられる』ってところに特化しているのだと言うことを、見せられ思わず笑ってしまった僕なのでありました。
 さてさて僕らのあんなこんなの楽しい『クラウン作り』に自分のアイディアを持って参画して来る子ども達がどんどん増し加わって参りました。「カーナビを作る!」と言い出した男の子。「じゃあ」と言って手渡したダンボールに描き出したのはなぜか川之石のロードマップ。絵や文字や数字達が一杯情報を提示してくる今時のカーナビをどれだけよくよく見ているのでしょう、この男の子。僕らでも思い出さないような文字や数字をその画面一杯に描き連ねまして、高級感あふれるカーナビをハンドル横に取り付けておりました。続きまして「DVDがいる!」と言い出したその男の子。前からディスクを差し込むフロントローディングタイプのDVDを作ってナビの横に付けたのですが、そこにも再生・早送り・イジェクト等々の記号マークを所狭しと描きまして満足顔。丸いDVDディスクも作ってそのダンボール製のプレイヤーに差し込めば、気分は本物のDVD。奥行き設計が適正ではありませんで、ディスクを深く入れ過ぎると抜けなくなると言う不具合があるのが玉に傷ではあるのですが。そんな彼の提案が見事に具現化されたことを一緒に大喜びした子ども達。「じゃあ次は」とある子はETCシステム、またある子はアクセル・ブレーキと自分達の知っているカーパーツを次々に提案して来まして、僕らのクラウンはどんどん豪華仕様になって行ったのでありました。

 こんな廃材がこんなにも自分達の欲望を満たしてくれるものであると知ってしまった子ども達。最初は「作って!作って!」と集って来ていたこの子達も、今ではやって来ては「今日はなに作ろっかな、ダンボールちょうだい」と自分の手による自己実現のそのためにダンボールでの廃材遊びに勤しんでいます。何のルールや取り決め・マニュアルさえもないこの廃材遊びは子ども達のインスピレーションの活性化を促し、実現のための試行錯誤のシミュレーションを織り交ぜることによりまして、『ダンボール』を自己啓発のための教材へと昇華させる格好の遊びとなる可能性を持っているのです。高度に物流が発達した現代において最も多く大きな廃材はきっとこのダンボールであるかのかも知れませんが(うちだけでしょうか)、きっとそれを有効に再利用する『すべ』にもなってくれることでしょう。いずれにしても物や情報に満ち溢れた現代社会において僕らがこの子達と共にしてゆくべき学びとは、『教材を出来る限りシンプルにし、それをアイディアや閃き・そして伝承文化や基本物理の摂理等を駆使しながら、多様性のある夢を具現化すること』なのではないでしょうか。子どもの頃、物がなかったゆえに僕らはそんな遊びを自然にやって来たものです。そしてそれが『頭でっかちになりがちな僕らの知識』を『知恵』へと昇華して、未来を・自分の想いを具現化する力を育んで来てくれたのだから。


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