園庭の石段からみた情景〜園だより4月号より〜 2014.4.27
<神様によって与えられる『その時』>
 「ついこのあいだ入園式・始業式で新年度が始まったばかり」、とそんなふわふわとした心持ちでいたところが、気がついてみればもう四月の終わりを迎えようとする頃となりました。それは新入園の子ども達が当たり前のように毎朝ご機嫌笑顔で登園してきて、毎日自分の心の琴線に響く遊びを見つけ出し楽しんでいる様子を、日常の風景としてふわふわとした面持ちで眺めていられるせいなのかも知れません。今年のばらさん、それほどにしっかり落ち着いていて、もっとわーきゃー大変な四月になるかと思いきや、素敵な期待外れを嬉しい姿として見せてくれています。
 こんな子ども達の心を満たしてくれるものはやはり裏山の自然達のようで、何かの拍子に心のリズムを崩しちょっとぐずってみたとしても、先生達に手を引かれ裏山をぐるっとひとまわり歩いてくれば、沢山のお土産を握りしめて笑顔で戻ってくるこの子達。早速日土幼稚園の豊かな自然と神様の愛にいだかれて、自分の想いを満たしながら新たな生活の中に心の拠り所を見つけ出してくれたのでしょう。毎朝お外に飛び出してくるなりおもむろに僕らの手を引いて、「お山にいこうよ」とうれしげに坂道の方へ歩き出す子ども達に囲まれ過ごしている今日この頃です。

 一方で先月の中頃に冬眠から目を覚ました幼稚園のカエル君、与えた餌もパクっと食いついたので早々に活動を始めるのかと思いきや、すぐまた自ら土の中に潜り込んで『二度寝』を決め込んでしまう始末。まあまだ時期が早かったのかなと思いながら見守っていたのですが、外の野山では蝶や蜂が飛び交い初め、蜘蛛や薮蚊なども舞い出したので、「自然界はもう春モードなのに」とそろそろカエル君の卒業を考えなくっちゃいけないかなと思うようになりました。去年の五月頃幼稚園にやってきたカエル君、子ども達の学びと心の成長のために狭いケースの中で一年間がんばってくれました。子ども達もみんな気遣ってくれて食べるものには不自由しなかったはずなのですが、感情移入した想いで見つめてみれば『自由のない生活』にどれだけ満足してくれていたでしょうか。身の危険や食べ物の心配のない環境を心地よいと感じるか、映画のように「自由を!冒険を!」と言ったものに生きがいを感じそのように生きたいと願うのか、本能で生きている彼らの『本心』は僕らに分かるはずもありません。でもこんな一年間の関わり合いを通じて、子ども達の中にはカエルのことを思い「かわいそうだから逃してやろうよ」「およめさんも探さないと」と言ってくれる子が何人もあって、このカエル君が子ども達の心に『やさしさや思いやりのともしび』を燈してくれたことをうれしく感じさせてもらったものでした。
 そこでまた温かくなってカエル君が土の中から這い出てきたある日のこと、子ども達をぞろぞろ連れまして幼稚園の裏の水場にカエル君を逃しに行くことに決めました。子ども達が見守り励ましの声をかける中、大きな水槽の縁にカエル君をそっと放して置いたなら、彼はおもむろに草むらの中へ大ジャンプ。草と石の隙間の中に潜り込んでゆきました。今までが温室育ちだったカエル君、久しぶりの外の世界はまだまだ冷たく感じられたのかも知れません。それでも次に自らの本能によって飛び出してゆきたいと感じたなら、ここには何も彼を遮るものはないのです。自分の想いで自分のタイミングでそして自分の決心と決断で、ここから飛び出してゆけばいいのです。そして自由な外の世界で思いっきり自分らしく生きながら、素敵な『お嫁さん』を探し出し、沢山の子孫を残して行ってくれたなら、とこれまでの感謝を込めながら神様に祈っている僕らです。結局『彼?』がオスかメスかわからないままではあったのですが。

 そんなカエル君の姿を見つめながら、幼稚園の子ども達に目を戻して見たならば、そんなカエル君のような子ども達は一杯います。でもその多くはここに至るまでの経験不足が大きな原因となっている様子。お母さんと離され大泣きに泣いた子が何人もありましたがそれですっきりと吹っ切れたようでもあり、その次からは晴れ晴れとした顔で登園してくれています。やってみたなら「だいじょうぶじゃん」と感じる些細な物事も『頭でっかち』な今時の子ども達にとってはきっと『一大事のおおごと』のように感じられるものなのでしょう。それはそう、誰だって温かい布団の中から好き好んでまだ寒い外の世界に飛び出してなどゆきたくはないもの。でもその布団の中では決して得ることの出来ない感動や喜び、そしてご褒美や報酬があることに気がついた瞬間に、後ろを振り返ることも忘れて一目散に飛び出して行ってしまうものなのではないでしょうか。その気づきのタイミングはどの子もこの子もみんなそれぞれ十人十色。どんなに長くこの仕事をやっていても僕らに分かるものではありません。そう、ただただ「幼稚園は楽しいよ」、「こんな遊びはどうでしょう?」とこの子達に『外の世界の楽しみ』を掲示しながら、心に響く物事を一緒に探しながら、そして「その時が早く与えられますように」と神様に祈りをささげながら、関わり寄り添ってあげることしか出来ないのです。でも僕らは知っています、「必ず『その時』は与えられるもの」だと言うことを。過去にも入園後・G.W.後、そして夏休み明けに、突如心のリズムを崩してしまった子ども達がありました。一人一人様子の違うその子達に多少の動揺も感じながら、僕らも辛抱強く付き合って来たものです。そしてみんな違うその子達でしたが、どの子も必ずある日ふと、それまでの自分を軽く大きく乗り越えたこっちが拍子抜けしてしまうようなそんな態度で、自分の弱さを克服して僕らの所に笑顔で帰って来てくれたのです。だから僕らはただただ神様に祈りながら、その時までこの子達に寄り添っていたいと思うのです。その時は神様によってきっと必ず与えられるものなのだから。


戻る