園庭の石段からみた情景〜園だより5月号より〜 2014.5.20
<自然と子どもが僕らの先生>
 さわやかな風薫る5月の日土、幼稚園の子ども達は山に繰り出しては思い思いの獲物を手に握りしめ、毎日満面のうれし顔で山から戻って来ています。雨上がりにあちらこちらから顔を出すのは細いたけのこ・破竹。子ども達、それを見つけたなら引っこ抜きなぎ倒そうとするのですがそんなことではなかなか竹は抜けません。すぐ「せんせい、取って」と言い出す子、節がぐちゃぐちゃになるまで引いて回して格闘する子達を横目にしながらある日土っ子の女の子、「足で踏めばいいのよ」と涼しい顔で「ぽき!」っとタケノコを折って見せました。なるほど土から顔を出している一番折れやすいところを支点にしながらモーメントの力を加えたなら、物理的にも『ぽきっと行く』のは物の道理。でもきっとそんなこと学校で習うまでもなく、山遊びに長けたこの子はきっと自らの実践でこの必殺技を習得したのでしょう。そんな彼女を見習ってみんな足でぽきぽきとやり始め、山で遊ぶ技が友達との遊びの中で伝播された瞬間を目撃したのでありました。そうそう、『頭でっかち君』達の「あーだこーだ」のうんちくよりもこういうことの方が何倍も役に立つものです。そして「ほらこうやればいいでしょ」と身をもって証明出来る、そのことの明快さと人に与える説得力の強さは何より勝るものなのだと、物を教える立場の者として彼女達に教わったような気がしたものでした。

 一年間幼稚園の水槽で過ごしたハヤ君達、よく食べよく泳ぎよく育ち、身体も大きくなってちょっと水槽も狭くなったよう。そこでこの一期生3匹を川に戻してやることに決めました。この一年間、暑さも寒さも乗り越えてその姿を通して子ども達に色々なことを教えてくれたハヤ君達。毎日エサを入れたなら入れ食い状態で本当によくよくぱくぱく食べてくれました。仲間内でケンカしたり『イジメ追い回す』そんな姿も見せてくれた彼らを子ども達と一緒に見つめながら、「いじめたら、いけんよな」と自分達の日常に置き換えて度々学びもしてきました。自分のやることだと分からないこの子達に、「ハヤ、いけんよな。でも君達は?」と投げかけることで何かを心に感じてくれたこと、きっと何度もあったことでしょう。そんな教えを給ひ僕らを導いてくれたハヤ君達に感謝の念を込めまして、川に戻してやることにしたのです。エサはいつでも食べ放題、そんな『安住の地』の暮らしを満喫していた彼らでしたが、川に放したなら何のためらいもなくその流れに身を任せ、「あっ」と言う間に泳ぎ去ってゆきました。やはり彼らは自然のもの、生まれ育った自然の中に生きる喜びを決して忘れてはいなかったのでしょう。そんなたくましく元気な姿にちょっと安心しながら、折角幼稚園で大きく育ってくれた彼らには、この川のリーダーになって欲しいと思いつつ祈り見送ったものでした。
 このように子ども達の人間関係・情操教育に大きな役割を果たしてくれたハヤ君達。今年もやっぱり僕らの子育てに手を貸して欲しいと思いまして、『第二次メンバー大募集!』と銘打ち、お預かりの子ども達を連れて下の川に魚釣りに繰り出しました。家庭訪問の一週間、何度か幼稚園下の喜木川に通い、釣れるポイントや仕掛け・エサなど色々研究と試行錯誤を繰り返した結果、なんとか格好のつく程に釣れるようになりました。数回の累積で十数匹を釣り上げた僕らは贅沢なことに『メンバー選抜』なんかもやりまして、大きなハヤには川に帰っていただき、若い子から7匹のぴちぴちメンバーをそろえることが出来たのでありました。
 まずは一期生と同じように浮揚タイプ(水面に浮くタイプ)の金魚のエサを彼らに与えてみたのですが、7匹は底の方にかたまりその身をそっと潜めたままで水面に食べに来ようとはいたしません。なるほど、これが自然に生きるものの警戒心としたたかさ。新たな環境の中に於いては不用意な行動はしないと言うことでしょうか。不用意にエサに食いついて釣られて来た彼らがそれに懲りただけなのかもしれませんが。それがエサが水流に乗って下に沈んで来たならば「ぱく!」っと食いついて来ることも観察の結果、段々と分かっても来たのでした。『こう言うのは兎角時間がかかるもの』と自分に言い聞かせながらしばらく見守っていたのですが数日後には、「これは危なくないんだぞ」と自ら結果を出した勇猛果敢な数匹が水面に向けてエサを捕りに行くようになりました。そして2週間も経った頃にはほとんどのハヤが水面に向けて早手のごとく飛び出してゆくようになったのでした。
 第二期生の彼らのこんな姿を見ていて思うのはやっぱり子ども達のこと。新しい水槽にどぼん!と入れられた入園式の初日、みんなどこか不安そうな顔をして、自分の中に閉じこもっていたものです。それが何の不安もなく楽しそうに遊ぶたんぽぽ卒メンバーの姿を見てか、はたまた隣のすみれさんの面白そうな遊びを見ていてか、「ここは楽しいところなんだ!」と心の安全装置を解除した子ども達が、昨日はあれほど大泣き大騒ぎした子ども達が、幼稚園の遊びに飛びつき食いつきするようになり始め、それがみんなに伝わって今ではみんなみんなそれぞれの想いを自己実現してくれるようになりました。このハヤの水槽の中で正にそんな姿の縮図を見せてもらったような気がしたものでした。

 しかしながらどこの世界にもセオリーと言う枠には収まらない人が一人二人はいるものです。一番小さいちびすけ君、彼だけがどうしてもエサに飛びついてゆけないのです。これは僕にとっても想定外。2週間も幼稚園の水槽の中にいるのに一度もエサを口にしている姿を見ていません。自然のものですから一日二日は食べずとも大丈夫と思っていましたが、さすがに2週間となると「このままでは餓死するのでは」と言う不安もよぎります。そんな想いを抱きながらえこひいきや応援アシストを送りながら、毎日彼のことを観察し続けたものでした。
 ある日ふと僕はある事に気がつきました。「エサを変えてみてはどうだろう」。それまでは食べ残しが水を汚すと言う理由から、水槽で魚達にやるエサには浮揚タイプの顆粒状のエサをやっていました。これなら食欲旺盛なハヤ君達がこのエサの沈む前に完食してくれるので、食べ残しが全くないのです。それを以前買ったまま幼稚園に置いてあったメダカのエサに変えてみたのです。細かいフレークタイプのメダカのエサは水面を一回り流れた後で、今度は流れによって撹拌され水槽の底の方へと広がって行きました。それに飛びついたハヤ君達。その中にあのちびすけ君もいたのです。これでまたほっと一安心。有限個数しかない顆粒のエサはみんな大きいハヤ達に食べられてしまうのですが、フレークのものは無限に水槽の中に広がって、ちびすけ君の口にやっと届いてくれました。自分の身の周りに溢れんばかりに流れてきたエサをちびすけ君は一生懸命小さい口をぱくぱくやって採餌してます。そう、ただの引っ込み思案ではなかったのです。回りの子より小さな小さなこの子には、この設定と環境が必要だったのです。そしてこの小さな餌によって採餌することを体で覚え、もひとつ大きくなることが出来たのです。これも僕らの大切な学びとなりました。その子の心と身体が欲している投げかけを、その子との関わり合いを通しながら、観察と考察を繰り返しながら、その子と一緒に見つけ出してゆくことの尊さを、このちびすけ君がもう一度僕に教えてくれたのです。大きいハヤ達にはちょっと物足りないかもしれませんが、それでもみんなで口を大きく開けまして、ぱくぱくとフレークを美味しそうに味わっております。今ちょっと一安心のハヤと園児達の物語。これから段々と心も身体も大きく大きく成長し、より大きなエサを口にしたり、競争しながらエサを捕ったりと、そんなことも出来るようになって行ってくれることでしょう。それまでみんなでその子のペースに合わせながら、励ましの言葉を投げかけたり自らお手本を示したり、関わり合いながら共に育って行ってくれるでしょう。それが一つの水槽の中で育ち生きる意義であり、そうして影響し合い共に生きる者同士こそが『本当の友』となれるのだから。

 お預かり君達とハヤ釣りに行ったのがきっかけで、幼稚園でも『お座敷ハヤ釣り』がブームとなっています。毎日ハヤの水槽を眺めながら一枚ずつ描き溜めましたハヤのスケッチをパソコンでスキャン&コピーいたしまして、ファイル上で4匹とか10匹に増殖したハヤ達をレーザープリンターでプリントアウトしたならば、子ども達はそれをさっさかさっさか切り抜きます。切った大小のハヤ達に色を塗り輪ゴムを口元につけたなら、『釣り堀ハヤ』の出来上がり。広告紙で作ったくるくる棒とナイロン荷紐が竿と糸。紐の先にテープで返しを作ったなら、魚釣りの釣り針の出来上がり。その針が絶妙に輪ゴムのわっかに引っかかり、それで子ども達でもなんとも上手にうまく釣り上げられる釣り堀セットが完成するのでありました。
 そんなある日、いつものように水槽の前で僕がハヤを描いていると男の子がそれを覗き込みにやって来ました。「ハヤ描いているの?」と興味を示す彼は不意に「僕もやってみたい」と言い出しました。「じゃあ自由画帳持って来て描いてごらんよ」と僕が投げかけると、「うん」と言って画帳を持って来た彼。大人げもなく自分の絵に一生懸命になっている僕の横でさらさらと絵を描き出しました。「出来た!」と言う声に顔を上げればそこにはなんとも立派なハヤが描かれておりました。「上手じゃん!」と言う僕の驚きの声に「えへへへ」と笑う男の子。虫好きなこの子はお家でも色々な生き物達の絵を描いているのだとか。ばらの頃には「描けないから描いて」と言っていた彼の驚くべき成長を見せつけられた僕はなんとも恐れ入ってしまいました。でもやっぱりそう言うこと、『好きなものこそ上手なれ』。そして『絵は描いた分だけ進歩する』と言う事実。昔から絵が苦手で、その為にカメラを手にして写真を撮り出したこの僕が、この一年間でこれまでの人生で描いた以上の数の絵を描き子ども達と塗り絵等で遊んで来たその結果、神様がそれを『想いと技とを教える保育の業』として用いてくださったのです。僕の絵が自分だけの自己満足から、子ども達の挑戦してみようとするきっかけとなって、その男の子の才能を呼び起こすことが出来たのかも知れません。生き物達の特徴をシンボリックに的確に捉え、その度に僕よりも先に描き上げてしまう彼の筆の速さは、僕なんかにはない『才能』だと言えるものなのかも知れないと嫉妬混じりに考察している僕なのでした。
 さらに今度はそんな男の子に影響されて、彼と僕の周りに画帳を持った仲間達が集まりまして、サワガニやカマキリなんかを一緒に描くようになりました。大人の下手なお絵描きから始まった、『僕らの美術部』がその輪をちょっとずつ広げているところ。彼らは自分達の絵に自信も持っちゃったのかも知れません、僕と同じように自分の絵も「スキャナーで読んで印刷して」とおねだりしてくるのです。言うだけはある彼らの作品はなかなかの力作ぞろい。それをスキャナーで取り込んでレイアウトし直してプリントすれば、素敵な『サワガニバッグ』や『釣り堀イモリ』の出来上がり。それに色を塗り、紐をつけて満足そうに持って帰る『美術部員君』達なのでありました。今そんな遊びが僕の周りでは密かなブームになっています。

 そう、こんな風に僕らの学びは決して『教える→教わる』の一方通行などではなく、誰か一人が興味を抱いた素敵なことに見ている子達も影響され、『自分もやりたい・そうなりたい』と言う想いを心に抱くことによって、みんなで成長してゆける『自己啓発型サークル』なのだと思うのです。だから僕もこの子達のおかげでこの歳になっても嬉しい自らの成長を感じながら、さらに進化したいと願い未知なる事柄に挑戦したくなるのだと、そんな風に思うのです。


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