園庭の石段からみた情景〜園だより9月号より〜 2014.9.10
<夏の終りのハーモニー>
 新学期が始まりました。今年は「日照不足で野菜が高騰」と言われるほどに雨曇りの多かった夏でしたが、それは9月に入ってからも同じ様相を呈しているようです。毎朝、知らぬうちに降った小雨で舗装道が濡れていたり、昼間も雨が降ったりやんだりの煮え切らないお天気が続いたり。かと思えば晴れたら晴れたで今度は放射冷却のせいでしょうか。就寝時、明け方の予想以上の冷え込みに夏蒲団をまさぐり探して目が覚めたり。朝の通勤道(草ぼうぼうの山道ですが)、足元の草花が蓄えた朝露に運動靴がぐっしょり濡れてしまったり。いずれにしてもいつもの夏の終りとはちょっと違った毎日に戸惑いを覚える今日この頃です。
 この『いつもと違う』と言う違和感は新学期を迎えた子ども達の心にもきっと影響を与えているのでしょう。『夏休みモード』で過ごして来た子ども達が9月になって急に『幼稚園モード』にギアを入れ替え走り出そうと言うのです。生活のリズムが変わって感じる心と身体のだるだるさと、そして天候不順によってイマイチ上がってこない体調が、幼い心に不安の影を落とすのです。登園初日からしくしくしていた子もあれば二日三日してから「いかない!」となった子もいたり、果ては翌週になってからノーマークだった子が「いやだぁ!」なんて言い出したりと、それぞれの感情の発露に伴っていっときの不安定さをあらわにしています。でもその子達に共通しているのはその不安定な自分の想いをお母さんや僕らにちゃんと表して、それをしっかり受け止めてもらえたなら、次の日からケロッとした顔でまた幼稚園にやって来てくれると言うこと。幼稚園で過ごした一学期は決して伊達ではありません。「そんな時はそれでいいよ」と受け入れてもらえた安堵感がこの子達の心を温かく一杯に満たしてくれたなら、やっぱりあの嬉しい達成感や楽しい連帯感を感じさせてくれる幼稚園生活を再び愛し恋しく思えるようにもなるのでしょう。リズムを崩すことを『スランプ』と大人の世界では言いますが、子どもにとってもそれは同じ。『また出来なくなった』ではなく『今は出来なくなっちゃった』、つまりリズムさえ取り戻せば『また出来るようになれる』って言うこと。だから学期初めのこんな季節は、ゆっくりゆったり子ども達と向き合い付き合ってゆきたいと思うのです。お家でもそんな目で子ども達のことをゆっくり見つめてあげてください。

 お天気は不順であっても、子ども達の心の準備は100%でなくっても、それなりに季節は巡りゆき幼稚園にも小さな秋がやって来ています。裏のお山では『ヨウシュヤマゴボウ』がワイン色の実をたわわにつけまして、子ども達の色水遊びの格好の材料となっています。原液に程近い濃さで抽出すればブラックベリーのような深い色になりますし、それをある程度薄めたならクランベリーのような透明度を持った美しい色にもなってくれる、そんな『ヨウシュヤマゴボウ』の色水ジュース。粉っぽい顔料組成の水彩絵具には見出すことの出来ないような美しさを自然遊びの中で体感しているこの子達の感性は、市販の画材で育てられて来た僕らなんかよりきっと素敵な覚醒を見せてくれることでしょう。また朝方ちょっぴり『ぐずりスタート』を見せる子ども達も先生と一緒にお外に飛び出して裏の野山を一巡り、その手に山のお土産を握り締めそのまま色水遊びや砂場遊びになだれ込めば、気持ちを取り戻しご機嫌モードに戻ってくれる、そんな子ども達のリフレッシュにも一役買ってくれている幼稚園の自然遊び。気分の乗らない時にはお部屋や自分の殻にこもってしまいがちなのは大人も子どもも同じですが、そう言う時こそこの自然の中に飛び込んで、想いのままに心のアンテナにピピッと感じる物事に自分の眼差しを向けてみれば、心のモードも不安やイライラから興味や好奇心へとチェンジすることが出来るのでしょう。色水ジュースを毎日のように嬉しそうに持って帰る子ども達の笑顔が、これからのこの子達の上げ潮モードを予感させてくれています。

 もうひとつ見つけた小さな秋。お山の入り口にみんなで足を踏み入れたなら、そこには足元一杯に転がる小さな秋の実『くるみの実』を見つけられるようにもなりました。これを子ども達とバケツ一杯拾って来まして、丸井戸の周りでしばらく水に浸けたなら、外の皮がするりと剥けてくれるのです。ここから灰汁にまみれた黒い実をたわしでごしごしこすりまして水でサラサラすすいだなら、子ども達の笑顔と共にぴかぴかのくるみが現れます。これをいくつも集め持って帰るばらさん達。一方、くるみを浸けた灰汁水の方をふるいで濾してペットボトルに詰め込めば、トパーズ色のジンジャーエールのような『くるみジュース』の出来上がり。こちらも『ヤマゴボウ』に負けずと劣らぬ天然色で子ども達に大人気。でもこちらの方は濃すぎるとただの麦茶のようで普遍的に見えてしまって・・・。きっと僕らの感じる感動とは日常からの距離の乖離に比例して大きくなるものなのでしょう。そう、人は『飽きる生き物』なのです。でもそれを補って僕らの心にインプットを送り続けるものが『好奇心』。『新しもの好き』と言う習性は何も現代人だけの世俗ではなく、人間のDNAに刷り込まれた『自身を進化させてゆくため』のプログラムコードなのかもしれません。新しいものに興味を抱き、それを自分の活動の中に取り込んだり使いやすいように改良してみたり、さらには自身がそれを使いこなせるように訓練したり、とそんな自己研鑽を積みながら人は自分の能力やスキルを高めてゆくのです。『飽きる』ことによって僕らは次の一歩を探しまた歩み出すことが出来るのだと、この子達との関わりの中から感じます。自身のスランプにさえ飽きてしまうのが子ども達。「もういいか」と納得満足したならば、またあのご機嫌笑顔で新たな自分探しに旅立ってゆくことでしょう。僕らや仲間達と共感のハーモニーを奏でながら。


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