日土に暮らす僕らの小さな物語〜冬の書き下ろし2〜 2016.1.16
<僕らの子育て奮闘記X>
 新しい年を迎えました。今年は単にうちに家族が一人増えただけではありませんで、実に賑やかなお正月となりました。年末年始に清水の孫達があちらこちらから帰って来て、元日は長老の『佐和子おおばあちゃん』を囲みながら子やら孫やらひ孫やら総勢24名で迎えた清水家のお正月となりました。今年は愛子もその中に入れてもらったのでありましたが、「初めて見る知らない人達一杯!」みたいな変に『よそ行き』の顔をしていた愛子さん。押しの強い親戚のお嫁さんに耳元であれやこれやまくしたてられ、「ふえーん」と泣き出してしまいました。それを見ながら「この子も僕と同じB型だなぁ」と自由を愛するその気質に思わず笑ってしまった僕なのでありました。

 病は気からと言いますか、弱り目に祟り目と言うことでしょうか、前回のスランプの只中に風邪をひき込んでしまった僕。しばらく母子の眠る寝室を離れ自室で眠ることになりました。僕の部屋の夜具は奥さんがうちに嫁いで来た際にベッドも布団も片付けてしまい、僕の寝具は『いぐさマット』と『スリーシーズン寝袋』。元々寝相の悪い僕。いつもの布団は寝ている間にすぐに蹴っ飛ばしてしまいまして、明け方冷気に起こされるなんてこともしばしばあったのですが、厚着をした上に寝袋をまとえば保温効果も高まって、『風邪ひき時』にはかえってよく眠ることが出来たものでした。もっとも夜中のおむつ替えやミルク作りも僕を気遣った奥さんがみんな一人でやってくれたおかげさまでその『風邪ひき週間』におきまして、二学期終盤のスタミナ切れと子育ての肉体的・精神的疲れをリセットすることが出来たのです。それによって二学期最後の怒涛のようなクリスマス週間、ひよこクラブから始まって幼稚園のクリスマス・日曜学校のクリスマス・そして最後の日土教会のクリスマス、と元気にやり遂げることが出来たのでありました。
 でもそれもこれもみんな奥さんのおかげです。自分がしんどい時にも愛子のお世話だけはきちんとやって、母親の想いの強さを見せてくれた彼女。一方、体調が悪いともうそれだけで子どものお世話どころではなくなってしまう僕の弱さ。それをもって「だって愛子の命がかかってるんだもん」とさらっと言ってのける彼女。日頃『過剰』とも思える愛子に対するお世話と心配の数々に「そこまで必要?」と思うこともあったのですが、『お母さん』の我が子への想いの強さの根源を垣間見せてくれたそんな出来事でありました。でもどこの家庭でもきっと母親とはそうなのでしょう。その気になった時だけ張り切って見せるお父さんほどあてにならないものはないと言うことをよくよく知っているお母さん達。幼稚園に来た時にはそんなことを感じさせることもなく明るく振舞う素敵な笑顔のその向こうで、「みんなこんなに身体を張ってがんばっているんだな」と改めて教えられた気がしたものです。これは自分で子育てをやってみないと分からないこと。僕も今まで分かったようなつもりでいたのですがその実、全然分かっていなかったのです。多少、いやもしかしたら多大な偏狭があるかも知れませんが、根底にはその我が子への想いの強さがあることを理解してあげることが出来たなら、僕らはもっと彼女達を安らかな心持ちの中に憩わせてあげることが出来るのかも知れません。「こんなにやっているのに理解してもらえない」と言う想いが彼女達の心を孤独にさせてしまうと言うことに、この歳にして自身の体験をもって気がつかされた朴念仁の僕なのでありました。

 そんなことをやっと感じることが出来るようになって来たこの僕に、『鶴の恩返し』の機会が訪れました。三が日の終わる頃、松山の病院にちょっと入院することになった奥さんに代わって僕が愛子の面倒を見ることになったのです。今までは奥さんのお手伝いと言うことで、言われることをそれなりに意味も分からず言われるがままにやっていた僕。だからちょっとした言葉のニュアンスの違いを汲み取れずに勘違いして、奥さんの想うお手伝いが出来ていなかったこともしばしばありました。それを「ちがう!」と言われてムッとして、とそんなことも度々あった僕の子育てお手伝い。それを一人でやってみる機会を神様から与えられたのでありました。
 日頃お手伝いはしているものの、その目的や流れ・段取りなどを理解出来ていなかった僕。そんな僕のために彼女は『愛子のお世話の手引き』をA4三枚に渡るレポートに記して残して行ってくれました。それを頼りに全てを自分一人でやってみれば、今まで口で言われても理解出来なかった物事や段取りが一日を経るごとに自分の中に沁み渡って来るのが分かります。字面の通りやってみて「なんか違う」と感じたそんな時、レポートとその物(愛子の衣服やタオルや用品などなど)をじっくり見比べてみたならば、「あー、これはこう言うことだったんだ」と分かることがあるのです。思い返してみたならば、これは自分の実践をもってしか物事を理解・体得出来ないそんな不器用な僕の昔からの勉強方法。人にあれこれ言われない場所で一人あれこれやってみる。そこからそのことに対する意味付けや意義に初めて気付き、学びを得てゆくのです。またそれが分かって来たならば、「ここはこうした方が効率が良い」なんてことも考え出して、自己実現へのチャレンジの中に楽しささえも見出すことが出来るようになってゆくのです。奥さんが無事に帰って来ましたそれからも、「これはこうしたらいい?」「これとこれはやっとくからね」とそれまでの慣性であれこれやってのける僕を見ながら「しんさんが自分から動いてる」と驚かれてしまいました。それほどにそれまでの僕は『役立たず』だったのでしょう。やっぱり自分で動けると言うのは気持ちの良いもの。でもこれって幼稚園の子ども達にも通じることだと思うのです。『あれこれ』と口で言ってもそれが伝わらずにイライラしてしまう大人に対して、『あれこれ』と訳の分からぬことをまくしたてられ理解出来ないままやっているから上手くいかず、それをまたまくしたてる言葉を聞かされる子ども達の切ない想い。大人も子どもも言葉が共通理解を生み出すまでには、共通体験の中に於けるコミュニケーションが不可欠なものなのです。それを自分の言葉が相手の心に「つうと言えばかあ」と言えるほどに響き渡る『アイコン』となってくれるまで、辛抱強く投げかけ続けることが何より大切なことなのです。また相手に考えるインターバルを与えつつお付き合いすることも肝要です。一方的に言われ続けるとイヤになってしまい、逆効果になってしまうものなのです。自身の体験によってそんなことも感じられるようになった僕なのでした。僕の子育て実体験は色んなことに派生して、『僕』と言う人間を再構築してくれています。

 さあ、僕に対して大泣き娘になってしまった愛子との再対決が始まりました。奥さんがいた時には僕の手におえない程に愛子さんが泣き出したなら、最後は「お願いします」と現実逃避も出来たのですがそれはもうかないません。夜中に泣き出した愛子の声にも、隣で奥さんが動き始めたら「もうだいじょうぶ」と思ってしまってぱっと対応することが出来なかった僕。しかし『自分しかいない』と言う想いが僕のパフォーマンスを最大限に引き上げてくれたのでしょう。明け方に愛子さんが隣の布団でうごうご動き出したなら、ささっと起き出し機嫌のよい内にミルクを作り、それが冷める間にオムツを替えてと、別人のような目覚ましい働きをした一週間。ミルクが終わって腕の中で愛子をあやしたなら、親孝行な彼女は朝までもうひと寝入りしてくれて、僕もそんなに寝不足になることもなくお留守番をすることが出来たのでありました。
 首の据わりがしゃんとし出したその頃から『縦抱きだっこ』が出来るようになった愛子さん。そのおかげなのでしょうか、今回僕も彼女の大泣き三昧の大スランプを脱することが出来たようで、ようやっと人並みにあやせるようになりました。縦抱き抱っこでゆさゆさゆさ、横寝に持ち替えゆらゆらゆら。その動作を繰り返しているうちに彼女は僕の腕の中で寝てくれるようになったのです。やはり『時が満ちる』と言うことはきっとこう言うことなのでしょう。彼女の成長と僕の成長が相まって、僕らの関係に変化をもたらせてくれた『ふたりでお留守番』。僕の長いスランプと彼女に対する自身喪失の哀しき日々がこうして終わりを告げたのです。またそれがいつひっくり返るかは分かりませんが、「それも神様の御心」と受け止めることが出来たなら、これからもきっと乗り越えてゆけると信じています。
 それはそれで良かったのですが、寝息やいびきを立てて眠る所まで寝ておきながら、下に降ろした瞬間に「ふえーん!えん!」と泣き出す愛子さん。この子の背中には高性能のジャイロとタッチセンサーがついているのではと思うほどの的中率で怠惰な僕の野望を阻んでくれます。特に『お昼寝時』にはそれがすこぶる顕著に表れるようでして、先日は愛子さんを下に降ろせないままに抱き続け、彼女はそこで『2時間35分』もの間眠りつづけたのでありました。その時は彼女を抱きながら極小音で字幕の洋画を見ながらの暇つぶしを試みたのですが、その作戦がうまく行って『ずーっとぐーっと』寝入ってくれた愛子さん。新記録達成にお調子に乗ってしまった僕でありました。しかし昼間寝過ぎたその晩はさすがに眠ってくれませんで、『過ぎたること及ばざる如し』を痛感させられてしまいました。うまく行っても『お調子注意』、そんな学びを得た出来事でありました。

 何でも口に入れて確かめる、そんな月齢に差し掛かって来ました愛子さん。何でもハムハムやりながら箸休めに「くぴくぴぷるるー」なんて言ってるそんな姿を見ているうちに、『Dr.スランプ アラレちゃん』の『ガッちゃん』を思い出してしまいました。作者の鳥山先生も赤ん坊のそんな行動からインスパイアーされて、あんなキャラクターを作り出したのでありましょうか。『何でも食べちゃう』がデフォルメされて『自動車までガジガジ食べて飲み込んでしまう天使の子』と言う愛すべきキャラクターがきっと生まれて来たのでしょう。でも本当に何でも食べてしまうそのイメージはこの時期の赤ん坊につながるもので、多大な驚きと少々の呆れ顔をもちまして我が子の行動をじっと見つめている僕なのでありました。
 そんな日常の中、車に乗って遠出する際に僕が彼女のチャイルドシートの横に座って子守りをする機会がありました。しばらくは機嫌良く乗ってくれていたのですがお約束通りぐずり始めました愛子さん。大泣きする愛子さんですがその手を握ってあげたならぎゅっと僕の指を握り返してくる愛らしさ。泣き止まぬ愛娘の気が晴れるならとされるがままにしていたのですが、不意にその指を自分の口に入れ始めた愛子さん。そしてそれによってぴたっと泣き止んだのでありました。「これっていいのかな」と思いつつも「さっきちゃんと手も洗ったところだし」と容認をしていたところ、えらい力で噛み出したのです。まだ歯が生えていないとは言え、かなりのあごの力にちょっと驚かされてしまいました。そしてしばらく噛み噛みやったその後で、すーっと寝入ってくれたのす。それは偶然に発見した『泣き止まし術』だったのですが、毎回『僕の指しゃぶり』と言うのもお互いにとってまずいと思い奥さんに電話で相談したなら、『歯がため』と言うおしゃぶりがあると教えてくれました。それもうちで使っているベッドメリーにぶら下がっているプラスティック製の花形のおもちゃがそうだと言うのです。早速ベッドメリーから一つ取り外しまして愛子に与えてみたならば、それを噛み噛みやってご機嫌さん。これは良い物を見つけたと事ある毎にそれであやすようになりました。『泣き止まし』から『寝かしつけ』までテキメンな効果を見せてくれているその新アイテムに最近大いに助けられているところ。苦手な車移動もそれでご機嫌を取りながらなんとかかんとかやってます。こう言う体験に基づく『大発見』は大いに自らの身を助けるものとなってくれるもの。やはり自らの経験の中で得た観察&考察こそが僕の子育てを強力にサポートしてくれるものになりうるのだと、改めてそう感じさせられた大発見でありました。

 愛子のためにいろんな方からお洋服をいただきまして、いっぺんに『洋服持ち』になった愛子さん。それを着せる僕の方が四苦八苦しています。それは乳児服の『ボタン留めパッチン』や留め紐が、一着一着異なった構造になっているからです。特に前留め部分が足留めに移り変わるところが分かり難くって、毎回違ったところにボタンを止めては奥さんから「またちがーう!」と言われていた僕。それが今回のお留守番でこれまた人並みに分かるようになりまして、手数を多くこなすことが何よりの構造理解につながることをこれまた実感させられました。それが分かって来ると乳児服の進化の系譜にも気付くようになるものです。数年前のモデルでは前留めのパッチンが『等ピッチ』で上から下に向かってついているのですが、ピッチが狭く変化するところで『足留めに移りますよ』と言うインフォメーションを告知しているのでしょう。でもこれってなかなかに分かりにくい。それには僕以外からもきっとそう言うユーザークレームがあったのでしょう。それから少ししたものの中に『対応する凸と凹のパッチンに同じ色をつけてアナウンスする』と言うモデルが現れました。なるほど、これはだいぶ分かりやすい。でも夜中の寝室など薄暗い場所ではそれも完璧ではありません。すると最近のモデルには『パッチンを生地に縫い付ける方向を前留めと足留めで変えている』と言うものが出て来たのです。前留めは表からつけていたパッチンが足留めに移ったその部分から裏側に付け替えてあるのです。これなら構造的に凸凹ペアーを間違えることが不可能に。「考えたなー」と乳児服の開発者のひとひねりに脱帽させられたものでした。

 お留守番のその間、僕の両親にも色々手伝ってもらいました。哺乳瓶を洗ったりミルクを準備したりするその間、父や母が愛子を抱っこしてあやしてくれたのですが、最初はご機嫌まっすぐな愛子さんも段々と斜めになって来て、最後は「やいの!やいの!」の大騒ぎ。それを見て「僕だけじゃないんだ」とちょっとほっとしたりもしたものです。そこで愛子を受け取ればまたご機嫌もなおるので、両親には申し訳ないですがそこで与えられる自己肯定感にちょっと勇気付けられました。結局その場の『満ちたりぬ想い』に気分を害して泣き出して、その状況をちょっと目先だけでも変えてもらえたならまた気分がリセットされて泣き止んで、とそんなルーティーンが彼女の中で構築されて来たのでしょう。それぞれ朝のお出かけ前の準備などもあるのもあって、愛子さんの雲行きが怪しくなると大泣きする前に次の人を見つけてバトンタッチ。そんな継投策でお留守番を乗り切った僕ら控え選手の3人なのでありました。『爆発する前にお隣へ』の情景に「爆弾ゲームみたいだね」と言って思わず笑ってしまいました。やはり子守りは人海戦術に勝るものはないようです。

 それまでは「愛子ちゃん、可愛いでしょう」と言われると「まだ可愛いと言えるほど余裕はありません」と照れ隠し半分に答えていた僕でしたが、今回この子のお世話を全部僕に任されて、それなりの手応えも感じることが出来たことによりまして、「なんか可愛いかも」と言える心持ちになりつつあります。『自分に応えてくれる子は可愛い』と言う身勝手な父親の想いも甚だしいのですが、でもこれまでの失敗続きのプロセスを経てそう思えるようになったことに大いなる価値があったと思うのです。奥さんは愛子が生まれたその時から「この子はかわいい」と言ってはばからなかったのですが、それが母親の愛情と言うもの。「生まれて来てくれてありがとう」とそのことだけで我が子の全てを受け入れられるお母さんの大きな愛。それに対して男親の愛とはこのように全くもって利己主義です。出来ることは何でもしてあげたいと言う母親と、過剰な彼女の過保護を見つめながら「これくらいでいい」と時間&コストに関する費用対効果で線引きをしてしまう男親。でもこうして我が子のお世話を丸々一日全部全部やってみたならば、ちょっとはお母さんの気持ちが分かるようになった気がするのです。これもきっと神様が与えてくださった試練と学び。彼女のやりたいことを今でも全部理解することは出来ないのですが、この体験によって『彼女がなぜそんな風に思うのか』と言う根幹の部分に多少とも触れることが出来ました。それによって僕らの子育ての歩調が前よりもシンクロして来たような気もしています。『もっと効率の良い方法があるのでは』などとそんな目線で物事を捉えてしまう僕のことです。今でも『労使交渉』のように落とし所の模索のやり取りが二人の間にありはするのですが、それにもお互いの想いを感じられるようになったおかげでしょう、前よりも感情的にならずに話が出来るような気がするのです。お互いに生い立ちも立場も考えも、異なる二人が折衝するのですから一朝一夕には合意に至ることは出来ないでしょう。『分かり合う』なんて言っても相手を理解することは簡単なことではないのです。そんな僕らに出来ること、それが『赦し合う』ことであり『受け入れ合う』ことだと思うのです。それがキリスト教的愛であり、家族愛の源であり、そしてひいては世界平和を実現する思想を生み出す土壌となってくれるものだと思うのです。クリスチャンなどと偉ぶってみても家庭内平和でさえ実現出来ない僕らに世界平和など守れるはずもありません。僕らにとってこの子育てはお互いの夫婦理解から全人類の世界平和にまで想いを馳せる尊いテキストとなりながら、僕らを導いてくれるものであると信じています。まだこの先、幾多の困難はあるでしょうが。愛子を僕らに与えてくださった神様の愛に感謝です。


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