園庭の石段からみた情景〜園だより6月号より〜 2015.6.22
<子ども達の瞳を輝かせるもの>
 今年も梅雨に入りました。毎日しとしと降りしきり、時々ごーっと豪雨なんかも降りまして、翌日は真夏のような日差しが降り注ぐ、そんなまったく『梅雨らしい梅雨』を過ごしている6月です。普通なら行事も予定通り消化出来ずお洗濯も乾かない、そんなうっとーしい季節に子ども達だけは水を得た魚のように生き生きと目を輝かせてます。
 雨の降ったその翌日、彼らが決まってしゃがんで覗き込むのはホールの出口外に設置してあるマンホール。蓋が格子になっていて中の様子が上から見えるその雨水排水口はサワガニを簡単に捕まえることの出来る定置網。今年もそこで何匹も大きなサワガニを子ども達と捕獲したものでした。網目越しの雨水桶、光の加減でよくよく目を凝らさないと中にカニがいるのいないのを判別するのは難しいのですが、子どもの目と言うのはなんと高性能なのでしょう。「いないねー」と言った僕の横で「いるよ!いるいる!」と声を高める男の子。その声に引き戻されてもいちど覗いて見るのですがやっぱり僕には見えません。「いないじゃーん」の僕の言葉に「いるってばー!」、必死に訴えかける彼の言葉に動かされ重いマンホールの蓋をあけたなら、半分砂に埋もれて隠れている大きなカニカニ君がいるではありませんか。「ほらいたー」と誇らしげに胸を張る男の子。これにはほんとに脱帽するしかありませんでした。

 このお話には実はプロローグがありまして、ひと月ほど前に時間はちょっとさかのぼります。その頃『せっけんクリーム』遊びが流行りまして、丸井戸のところに子ども達が集って石けんをおろしでゴシゴシゴシ・泡だて器でシャカシャカやって遊んでおりました。そのお片付けの際、子ども達がいつもの砂場道具のようにここのタライで器具をごしごし洗った結果、大量の『せっけんホイップ』とせっけん水がこの雨水桶に流れ込んでしまったのです。ここには色んな生物達がやって来ることを知っている僕はその様を見てどうしたものかと考えてしまったのですが、子ども達と先生にお願いして『せっけん遊び』を幼稚園入り口の排水溝周りに移動してもらった、と言う経緯があったのです。子ども達には「ここに石けんが流れてくるとカニカニ君が死んでしまうから、石けん遊びはあっちでやってね」と説明して回ったところみんな納得してくれまして、新館入り口が新たな『せっけん遊び』のメッカとなっていっとき栄えたのでありました。そのみんなの『環境保全』のおかげさまで、今年もこの桶でカニカニ君達と遊ぶことが出来まして、雨上がりや雨と雨の合間までも子ども達は園庭に繰り出してこのマンホールを覗き込んでは大喜びしています。この子達はこの歳で『自然を守る』と言うことと、その結果『自然が応えてくれると言う喜び』を体験としてその肌に感じてくれたことでしょう。ちょっとの我慢と煩わしさの代償に、自然は素敵な贈り物を僕らにプレゼントしてくれるのです。これは『物質的豊かさと利便性』が生活の中で当然の大前提となってしまった現代においてはなかなか感じることの出来ない素敵な体験だったと思うのです。「みんながこの『みぞこ』をきれいにしてくれたおかげでまたカニカニ君が来てくれたねぇ」と声をかければ、うれしそうに頷いて応える子ども達。その言葉の中に彼らがした事とこの喜びの因果関係を含ませてあげることによって、この子達は『環境保全・自然保護』の意味と意義を学び取ってくれるはず。そんな想いで園庭に生物を見つけた際には子ども達にそのような声かけをしている僕なのでありました。

 そんなこの幼稚園に現れる生き物達との触れ合いがこの子達の心を「自然大好き!」に傾倒させてゆくのでしょうか。カニやイモリを捕まえて、一通りお世話なんかもした後に子ども達が言い出す言葉は「○○ランド作ろうよ!」。カニやイモリ・デンデン・ホタルにおたまじゃくしまで、空き箱を箱庭に見立て生き物達の塗り絵・切り絵をはべらせた、色んな『○○ランド』をみんなで作って遊んでいます。最初は僕の手描き塗り絵のコピー印刷に子ども達が色付けをして、それを箱の中に貼り付けていた○○ランドだったのですが、あるとき数人のももさんが「自分も描きたい!」と言い出したのでありました。僕のクロッキー帳を見つめながら自分にも貸せと言うその子達。「君達も自分の自由画帳を持っているじゃん。それに描いたらいいんだよ」と言うとその言葉が終わらぬうちに自由画帳を取りに走り出し、自分達の画帳を持って来たのでありました。
 そんな彼らは決してお絵描きが得意な子達ばかりでなく、あまりそんな姿を見たことのなかったような子達もありまして、この子達の食いつきにちょっとびっくりしてしまった僕でした。そんな彼らとの『お絵描き教室』、出来上がった彼らの絵をスキャナーで取り込んでみたり、その絵を塗り絵やバッグに仕立てたり、そんな遊びを彼らと一緒にしているうちに、いよいよこの子達のやる気と技量が上がってゆくことに気が付かされます。製作と言えば「できん!できん!」「どーしたらいいの?」といつもそんなスタンスだったこの子達が、自分の描きたい絵を自らの想いに従いながら嬉しそうに描いているその姿を今こうして見せてくれている、そのことに大いに感動させられている僕なのです。
 そう、子どもの可能性は無限大。彼らの心に、興味や好奇心を奮い起こさせることの出来るエッセンスをほんの一滴おとすことが出来たなら、そこから彼らの世界は無限に広がってゆくでしょう。何が彼らの心の琴線に響くものとなるかは僕らにだって分かりませんが、その顔を見つめていればきっと『それがそうだ』と分かるはず。彼らの瞳の輝きは、そのための高性能バロメーターなのだから。


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