園庭の石段からみた情景〜園だより7月号より〜 2015.7.10
<帰郷V>
 先月、子ども達と連れ帰ってきたおたまじゃくし。ついこの間、やっと後ろ足の生えてきた個体が見られるようになってきました。捕った時には尻尾を入れても1cmに満たないようなチビチビ君達であったのが、今ではでっぷりと大きくなってその愉快な顔つきまでも見て取れるようになりました。なかなか足の生えないおたま達に「早くカエルにならなかったら夏休みになっちゃうよ」と思いつつ少々あせりも感じていた僕だったのでありますが、生えてきた足を見てふと思わされたのです。「おたまじゃくしに足は必ず生えるもの。でもそれがいつかは分からない。自然のものが僕らの都合に合わせてくれるはずもないけれど、いつかはちゃんと生えて立派なカエルになってゆくと言うのが大昔から変らぬ不変の定理」。そう、子どもの成長もそうなのです。『四歳までに五歳までに、小学生になるまでにこれが出来るようになって欲しい』と願い子ども達に想いを投げかけるのは僕らの使命であり社会から託された『幼児教育』と言う生業です。でも『子ども達がみんなそのタイミングでそれらに応えられる訳ではない』と言うのもこれと同じ当たり前の自然の摂理。みんな一人一人、神様から尊い生命と個性を与えられ生まれて来た大切な存在であって、決して画一化された製造物ではないのだから。子ども達一人一人の顔と想いを見つめながら、僕らは必ず訪れるその時を信じその時が与えられることを祈りつつ、僕らの信じるキリスト教保育の実践と実現を目指してゆく他ないのです。

 そんな僕らに神様は時としてご褒美を賜り励ましてくださるみたいです。今月、保内中学の職場体験学習で二人の卒園生がこの日土幼稚園を選んでやって来てくれました。それも男の子が二人。久方ぶりの再会、そして自らの想いをもって自分達の巣立った学び舎に帰って来てくれたと言うそのことが、僕には何よりもうれしいことでした。『自分達の過ごしたこの懐かしい幼稚園で、この仕事の楽しさと大変さを自らの体験をもって感じてみたい』と所信を述べてくれたこの二人。八年前のかわいらしい顔を思い出しつつ、ぐんと凛々しくなり言葉遣いも丁寧に美しい敬語を扱える、そんな素敵な若者になった彼らの顔をまぶしく見つめたものでした。
 昔からいろんなことに気がついて、でも口数が多い故に喧嘩の渦中にいることが多かったK君と、「あのなー、みっくんはなー」が口癖でほわわーんほよよーんとしていたM君。そんな彼らが今回の実習ではあれこれテキパキ自分から率先して行動し、僕らを大いに助けてくれる働きぶりを見せてくれました。小さい子達のことを気遣いながら、でも一緒に汗をかきつつ声を出し、共に笑いながら一杯遊んでくれました。そんな彼らはすぐさま子ども達の人気者となりまして、幼稚園で一番のやんちゃ君がこのお兄ちゃん達の手を片時も離さずについて回っていたものです。今まで僕がやっていたようなそんな役割を、この二人が十分に実践して見せてくれまして、今回の僕はそんな彼らと子ども達の遊ぶ姿を石段の所に座りながら見つめ見守っていたのでありました。
そんな僕を彼らは変ったと言うのです。「しん先生はおとなしくなった」「真面目になった」「前はもっとおもしろかった」などなどなど。「どうして?」と尋ねる彼らに「僕も大人になったからね」となんだか苦しい言い訳です。「歳を取った」とは意地で言いたくなかったのですが、確かに八年も経てば人は変るものなのでしょう。でもふと思い出したのは八年前に書いたエッセイのこと。そこで描いた「しん先生はあほや」と言った男の子と、「あれはわざとや」と考察して見せた男の子こそが今回実習に来たこの二人だったのです。腕白坊主達を叱咤激励するために声高に投げかけた言葉達の数々や、彼らの笑顔が見たくておどけてみせたそんな僕のパフォーマンスが、『新先生』と言う残像を彼らの心に深く刻み残していたことを知り却って驚いてしまった僕なのでありました。相手をおもんばかる丁寧な言葉遣いで話しかけてくる彼らに僕も丁寧な言葉を返したのでしたが、過去の思い出とその印象のギャップがこの子達に「なんか違う」と言う想いを感じさせてしまったのでしょう。『礼をもって接してくれる人には最大限の礼をもって応えたい』、それが僕の主義と願いであるのですが、卒園生に対してもそれは同じこと。こんなにも立派に成長し、昔の恩師としてリスペクトしてくれる彼らに対して、僕も対等の大人として受け答えをしたかったのかも知れません。彼らにしてみれば昔の『あほみたい』な僕とのやり取りをもう一度味わいたくてここに来てくれたのかも、そう思うとそれは大変申し訳なかったのですが、でも今回大人になった彼らといろんな話が対等な想いで出来たこと、そのことを本当にうれしく思ったものでした。
 当時は誰にも想像出来なかったこの子達のこんなにも立派になった八年後のこの姿。僕らが実践してきた保育がどんな実を結ばせてくれるのか、きっと神様は僕に見せてくれたのだと思うのです。日土幼稚園を卒園してそれぞれ違う小学校に進学した二人は久方ぶりに中学校で再会します。それぞれ色んな想いで小学校の六年間を過ごしてきたのでしょう。小学校の同級生は数ある中、六年ぶりに再会した二人が無二の親友として互いに励まし支え合う友となりました。『踏み出すことにたじろぐ心』を前に向かって引っ張って行ってくれる友に、『はやり掛る想い』を一歩引いた所から考えたしなめ諭してくれる友。そんなお互いの足りない所を補い合える二人の息の良さをうらやましくも感じたものでした。でもそこはそれ、八年前のあのエピソードからそのポジショニングは変っていないのかもしれません。あれは二人がこの園で出会い共に育ち、そしてまた六年後に同級生として再会し、八年後に二人してここに帰郷すると言うこの壮大な奇跡の物語を、遠い昔からご計画されていた神様の御心を僕らに示す為のプロローグだったのだと、今そんな風に思うのです。


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