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<父からの手紙> 愛子、君が生まれたのは暑い暑い七月の終りの木曜日、まぶしい陽射しが降り注ぐそんな真夏の昼下がりでした。夏期保育で出かけた小学校のプールにその身をどっぷり浸しながら、子ども達との『夏遊び』を心ゆくまで堪能して来た僕。自分の子どもを与えられる喜びと不安の中にあって、しかし自分に出来る最良の業はいつもと同じように『目の前のこの子達と真っ正面から向き合うこと』、そう思ってひたすら子ども達とプールで泳ぎ潜り、目一杯遊んだ夏期保育の日でありました。 この日の保育を終え、手術の時間を気にしながら病院へ走らせた車の中のことです。この状況と自分自身を冷静に見つめているもう一人の自分がそこにいるのを感じながら、でもそれを意識しつつも何時になくハンドルを握るその手に力が入ってしまう自分を抑えられない自己矛盾をおかしく感じたものでした。『神様にすべてを依り頼む心構え』で臨んだはずのこの日でしたが、いい年をして決して若くもないはずなのに今更その所信もこのように揺らいでしまう自分の若さと未熟さを今更ながらに突きつけられたような甘苦い時間でありました。そんな自分との対話を楽しんだのもつかの間、車を早々に病院の駐車場に滑り込ませ、それが『何物かも分からぬ意』を心に決し僕は二階の病室へ上がって行きました。そこにはベッドに半身で横たわる君の母さんがいて、ゆっくりとした動きをもってその身を起こし僕を迎えてくれました。ここまでそれぞれに何かしらの不具合があった訳でもなかったのですが、それでも顔を見つめ合えば互いにほっとした想いが伝わります。とりあえず間に合ったそのことが、なによりうれしかったのを昨日のことのように覚えています。子どもが生まれるその時に自分に出来得る最善最良の行いは、その日その時その場所に必ず佇み、神様に祈りを捧げることだとそう思っていたのですから。 そこで彼女と二言三言交わした後、先に来て別室で休んでいるお義母さんを探して来てくれるように頼まれた僕。教えられた別の病室前までゆきますと『処置中』の札が掲げてありたちまち不安に駆られます。「この部屋のはずなんだけれど」。間違いがあってはいけないので詰所の看護師さんを訪ねまして、その部屋の扉を開けてもらいました。そこにはソファーに横たわり休んでいる義母の姿が。それが後に「お義母さんもお産だった?」なんて笑い話にもなった一幕。そんな逸話のおかげもあってでしょう、少し緊張がほぐれた僕らは処置室へと向かったのでありました。 帝王切開と言うことで処置室前のベンチで待つことになった僕と義母。母さんの入室後、そこで静かに『その時』を祈り待ちます。時より中から聞こえてくるのは器具とトレーが奏でる金属音。それに加えて医療器械のモニターが度々「ピー!」と言う発信音を響かせます。TVドラマなどでそんな音によって表現される『異常』とか『心停止』などと言う非常事態をふっと連想してしまいまして、ドキドキさせられたものでした。出産後、母さんも「あの音には不安になった」と語っておりました。そんな僕の横で母さんの子どもの頃の昔話をぽつりぽつりと語るお義母さん。みんなそれぞれの想いと祈りを込めながら、神様から与えられるその時をじっと待ち望んでいたのです。そんな時、中からうっすら聞こえてきたかすかな泣き声。とっさに腕時計を見れば、時に12時44分。その後さらにその確証を掴み取るため耳をすまして処置室の様子を伺えば、確かにそして段々と力強く聞こえ出した幼子の泣き声。僕はその時神様に感謝の祈りを捧げました。隣を仰ぎ見ればまだ一心に目を閉じている義母の横顔が目に入り、「生まれましたね」と僕は彼女に声をかけました。初めは分からなかったようなのですが、じっと聞き入るそのうちに彼女の耳にも確かに赤ん坊の声が届いたのでしょう。一筋の涙をこぼしながら「よかった」とつぶやいたお義母さんの姿とあいまって、僕も胸を熱くしたものでした。 それからしばらくしてからガラス越しに見える新生児室に我が子と思われる赤ん坊、これが後に愛子と名付けられた君だったのですが、が運び込まれ手際のいい看護師さんによってあれこれ処置を受けていました。それを遠目に見ながら喜び合う僕と義母。出産にこそ立ち会うことは出来ませんでしたが、この世に生を受けた我が子を初めて喜びのまなざしをもって見つめた瞬間でした。全ての処置を施され目の前の保育器の中に収められたその子はその中で、大きな口を開けて泣き出しました。この世に生を受けたことの感謝と喜びをまるで僕らに告げ知らせるかのような君の泣き顔とその声を、嬉しい想いでいつまでも見つめていた父なのでありました。 保育器の中の愛娘を見つめながらしばらくの時を過ごした僕の前に、産後の処置を無事に終えた母さんが部屋から運び出されて来ました。麻酔のせいもあってでしょうか、少しぽーっとした顔をしていた彼女でしたが、その瞳には力強く光が宿り僕らを安心させてくれました。新生児室の前でストレッチャーが止まりガラス越しに我が子と再会せてもらった彼女は、とてもおだやかな『母になった顔』をしています。そしてしばらく君を見つめた後で病室へと運ばれて行きました。それに寄り添いながら足を運んだ僕らと先生・看護師さん達。沢山の人々の祈りのうちに生まれ、沢山の人達にその誕生を祝われて、こうして君はこの世に生を受けたのです。しばらく病室で母さんと共に過ごしたその後で、木曜礼拝を守るために日土の教会に戻った僕。そんな僕や君・そして母さんのことを牧師先生や教会の人達がとても喜んでくれまして、君の誕生を祝福し共に感謝の祈りを捧げてくださったのでありました。これが君の生まれた日、2015年7月30日の物語。みんなから愛され喜びをもってこの世界に生を受けた愛子、君に、いつか君に語り伝えたい一番最初の物語。愛すべき君の人生における『はじめの一歩』のお話なのです。 |