日土に暮らす僕らの小さな物語〜夏の書き下ろし3〜 2015.9.5
<僕らの子育て奮闘記T>
 愛子が生まれて一ヶ月が経ちました。健やかに育ち、確実に大きくなりつつある我が子を見つめながら、神様に感謝してやまない今日この頃。しかしそれと同時に子育ての大変さを身に染みてもいるところです。僕の子育てへの本格的参画が始まったのは彼女達が退院して来た8月10日のこと。それまでの入院期間中も毎日病院に通っては着替えやお買い物を届けることでお役に立っているつもりだったのですが、そんなものは今思えばまだまだ『子どものお使い』に過ぎなかったのです。

 退院後は奥さんの実家でお世話になることになっていた僕ら親子三人は、病院を出たその足で防川の家に向かいました。ちょうどお盆休みで一週間、僕が幼稚園に出なくてよかったために実現した初体験の『マスオさん生活』でありました。自分の仕事・そして趣味とも携わることなく『子育て見習い』に専念したこの日々は僕にとって貴重な学びの時となりました。哺乳瓶殺菌器具『Combiの除菌上手』の扱い方を習得するところから始まりまして、『E赤ちゃん・はじめてセット』でのミルク作りと三時間毎のミルク授乳。そして『パンパース新生児用114枚セット』を何袋も買い増しながら格闘し続けたおむつ換え。さらに洗面台シンクやベビーバスでの入浴を色々あれこれ試しながら自分達の基本形を探し求めたバスタイム。そんなこんなを教わりながら試みながら、自分なりの『かたち』を模索していた修行の毎日でありました。
 そんな中における僕のお得意お手伝いは、哺乳瓶洗いから殺菌消毒・そしてミルク作りの工程でした。これらは地道にやっていればイレギュラーが生じることもありませんで、任されてもまず大丈夫。一方、赤んぼを介するお仕事はなかなかに困難を極めまして、自分の中の『もっと出来るはず』『こんなはずじゃなかったのに』の葛藤の渦中に埋没してしまうこと数知れず。おむつ替えも自分としてはちゃんと出来たつもりなのに、愛子が嫌がってうりゃうりゃ動かす手足のせいでおへそが出たり、お股のギャザーがぐちゃむちゃっとなってしまったり。ミルクを飲ませるお仕事もこれまたなかなか難しく、最初は勢いよく飲み始めたかと思ったらあるとこでぴたっと止まってしまいます。そこでくーっと寝てしまったり、突然しゃっくりをし出したり。僕も気管に入ってひとたびむせるとそこからしゃっくりが始まる性質で、なかなか止まらずいつも苦労をしてるのですがこの子もその血を引いたのでしょうか。『赤ん坊はよくむせるもの』と聞かされても、「飲ませ方が悪かったのか、僕の遺伝のせいなのか」とそんな時にはちょっと切なくなってしまいます。日々勉強のつもりで取り組んで、ちょっと上手に出来るようになってきたつもりのところにおけるこんな失敗の数々に、落ち込むこともしばしばでした。子どもと言うものは日々変化・進化を見せるので、新たな対応に四苦八苦。ちょっと天狗になりかけたそんな頃に『思い通りにならない現実』を突きつけられて、へこんでまた振り出しに舞い戻ったような気がしたものでした。まだまだ「子育てが楽しい」なんて大見得切るには程遠い、劣等感を感じている新米パパの僕なのです。
 また便秘気味の愛子さんは一日半から二日に一回のペースでの『うんちっち』。でもひとたび出だすとそれが呼び水となってしまうよう。おむつ替えをしているところで第二弾・第三弾を発射してくれまして、おむつ換え現場がすごいことになってしまいます。お尻拭きシートが肛門を刺激するのでしょうか、自らおもむろに足と腰を持ち上げたなら『ビグザム』のようなビーム発射口が顔を出し、間髪入れずに第二射が放たれます。わーきゃー言いながらそれをやっと片付けて、お尻と足を拭き終わった頃にまた再充填が完了したのでしょう。そこにとどめの第三弾が発射され、僕らは自分達の無力と無知にうちひしがれたものでありました。新生児の便はこんなにも流動性がありこんなにも飛散するものであることを知ったあの時。『便とは垂れるもの』と言う頭があった僕に向かって突然20〜30cmもの距離を経て飛んできた直撃の『うんちっちビーム』の衝撃はきっと一生忘れないでしょう。隣室で義父母が寝ているのにもお構いもなしに、夫婦二人して夜中に大騒ぎしてしまったものでした。そんな僕らを横目に全てを出し切った愛子は一人すっきり、口をとがらせたお澄まし顔。「私は知らないわよ」って顔をしておりました。
 夜泣きをあやすのもこれまた一苦労。最初の時に抱きながら子守歌に歌った『北の国から』がなぜかお気に召してくれまして、「僕って子どもアヤしの天才?」なんて思ったもの。それから夜泣きには『さだまさしメドレー』を歌っていたのですが、そのうち段々効果が薄れてきたのか一時間歌っても寝てくれなくなってしまいまして、その時は喉がかすかすになってしまいました。ねぼけまなこの真夜中に歌うことのしんどさと、それを受け入れてもらえなかった切なさを感じさせられた子守爺なのでありました。そんなこんなもありまして、我が家に帰って来た今では愛子が『さだ好き?』らしい点も鑑みまして、ポケットにSDプレーヤーをしのばせてます。昔聞いてたさだまさしのアルバムが何枚も入ったこのアイテムを友に、愛子さんにゆっくりお付き合い。『早く寝かせる』から『寝るまでゆっくりお付き合い』へと作戦変更した僕のあやし術。しっかり僕の趣味をも取り込んで自分も楽しんでいられるのですから、これでいいのかも知れません。こうして譲り譲られ、互いの想いを満たし合いながら、愛し愛され思いやりながらきっと僕らは素敵な家族になってゆくのでしょう。その現場においては余裕など微塵もなく、ただただ毎日が過ぎ去ってゆく日々なのですが、こうして言葉に綴ってみれば確かにその足跡も軌跡も自分の心を支える力を宿してくる気がしてきます。こんな苦労の物語も後から振り返ってみたならば、その長い『道の途中』の素敵な思い出となってくれるでしょう。


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