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<僕らの子育て奮闘記U> 二学期がスタートしてあれよあれよと言う間に辿り着いたシルバーウィーク。夏休みの間はあたふたしながらもなんとか回っていた僕の生活リズムも、幼稚園が始まると次第に後手後手のよたよたになってゆきまして、この連休でやっともう一度リセット出来たとそんな感じがしています。しかしそんな毎日の中にあって、幼稚園のお母さん方から愛子に誕生祝をいただきまして、本当に嬉しく思ったものでした。こんなにも多くの方々に愛され喜びをもってこの世に迎えられた愛娘を、僕も嬉しく誇らしく思っています。これも全て神様から与えられた幸せです。でもそれは決して僕らだけに与えられた特別な幸せではありません。誰もが同じように神様から愛され守られながら生きているのです。そのことを子育てを通じて皆さんにも共に感じてもらえたなら本当に嬉しく思うのです。僕らがどうこうしようと決してどうにもならないこと、それを神様の御心にゆだねることが出来たなら、それだけで自らを心の重荷から解き放つことが出来るのだと僕はそう信じているのです。僕らをそのように導いてくれるもの、それは神様のなさることを信じる強い心であり、全てのことに感謝出来る素直でしなやかな心なのです。自らそれに気付き、その想いの中で『自分』を生かしてゆくことが出来たなら、そのこと自体が僕らを幸せに導いてくれることでしょう。毎日へろへろになりながらも、その中で僕は自分自身の行いや思考の良し悪しを省みる機会を与えられ、人の優しさや親のありがたさに気付き感じさせてももらっています。この愛すべき『子育ての日々』の大切さそして愛しさを、改めて感じさせてくださった神様に心より感謝の毎日なのです。 お母さん達にとって子育ては本当に大変です。特に励みとなるべき周りの声が自分を理解・評価してくれなかった時には、大いに落ち込んでしまうもののよう。僕はご存じのとおり昼間は幼稚園に出ていまして、ウィークデーは家事をほとんどしていません。帰ったら夜は幼稚園の事務仕事やホームページなどの物書きに追われながら、『幼稚園と教会のために働く』と言う自己実現のために時間を費やす暮らしをずっとここまで送って来ました。そんな僕に子どもが出来ました。僕に増えた仕事と言えば帰宅後の『子どもの入浴係』と『奥さんの食事中の愛子あやし&寝かせ係』。後は時々『おむつ交換&ミルク作り・飲ませる係』。そんな程度のものなのに自分の部屋のある2階から水回りの1階への行き来が増えたせいでしょうか、それともゆっくり食事する時間が取れなくなったからでしょうか。体重が3〜4kg落ちましてちょっと体もすっきりしちゃいました。高校時代は54kgで二十歳の頃いっとき60kgにまで成長したのですが、その後は長らく56kgで落ち着いていた僕のベスト体重。元々体力・筋力がある方ではないので軽量化が僕の運動パフォーマンスの源だったのです。それが結婚した頃から徐々に増え始め、つい最近ではまた60kgになろうかと言うところまで成長してしまったのでありましたが、また56kg代で落ち着きを見せて来た今日この頃。僕的には子育てと言う嬉しい労働に対する『成果と報酬』と受け止めていたのですが、ある時お義父さんから「やせたなぁ」と言われてしまいました。元々線の細い僕は太ると顔とお腹に表れてしまうタイプ。ちょっとしゅっとした顔のラインを見たお義父さんが大いに心配してくれたのでありました。ストイック志向の僕としては子育てをやっている実感として受け止めていたナチュラルダイエットだったのですが、その話が今度は僕の奥さんの方に行きまして、「ちゃんと食べさせていないんじゃないのか?」とか「お前がもっとしないと」なんて可哀そうなことを言われて彼女に気にさせてしまうことになってしまいました。「私もやせたのに…」とすねくれ顔の彼女なのでありました。 この歳で子どもを授かって子育てを始めるのですから、相当大変なことは最初から想像をしていました。でもその『大変と言う想い』を僕は幼稚園のお母さん達と共有することで、支え・支えられさせていただいています。僕の失敗話にみんな「そうそう」と共感をしてくれたり、一緒に「やっぱり大変ですよねー」と想いを分かち合ったり。仕事柄、それが許される僕はその点、本当に恵まれていると思うのです。自分の子育てが幼稚園の母さん達の子育てとつながって、互いに励まし励まされすることで僕は『自己肯定感』を一杯に感じることが出来ているのですから。でも僕の奥さんを始めとするお母さん達、『やって当たり前』『出来て当たり前』と言う目で見られてしまうのだとしたら、どこに心の糧を求めればいいのでしょう。勿論今時たくさん出されている教則本の通りに全部やりこなすことを生きがいに頑張ることの出来るお母さんもあるでしょう。でも教本の通りに子どもは動いてくれません。決して想定通りに成長などしてくれるものでもありません。またお母さん達のお仕事はその子の子育てだけではないでしょう。日常の家事もこなしつつ他の兄弟達そしてお父さんの面倒も見てなんて、今の僕らからしたら神業のようにしか見えません。自分自身で子育てをしたからこそ初めて実感出来たそんな想い。『教師』などと言ってはこれまであれやこれや偉そうに子育てに関する自論をあちらこちらで述べて来た僕ですが、それ以前に世間のお母さん達は本当に偉いと今更ながら思うに至ったのでありました。そんな大変な想いをしているお母さん達が我が子を幼稚園に送り出してくれていると言う事実を、もう一度ちゃんと感謝しつつ受け止めなければならないとそんな風に思ったものでした。 それに引き替え男と言うものは…。ちょっと子どもに一生懸命になっていて他のことが出来ないでいたりするとうちの親世代の人達は、「子どもなんか泣かしておけばいい」なんて平気で言ったりするのですから、ちょっとがっかり。自分はそうして子育てをしてきたつもりなのでしょうが、その陰にあったはずの奥さんのフォローなど記憶のかけらにもないのでしょう。でもそう言う僕も愛子が生まれて自分自身子育てをしてみなかったならばきっと、同じようなことを言っていたかも知れません。いや、今でもそう言う思想は僕の中にもあるのです。家に帰って来たら何よりも先に飛んでくる「○○して」と言う奥さんの言葉。「別に僕でなくても出来るのに」「日中、一日あったでしょう」と言う言葉が想いの中に浮かんで来るのは、きっと男の思考回路によるものです。言われたことをノロノロやって「出来ました」と言うと「ありがとう」と笑顔で言ってくれる妻。『ありがとう』の言葉を受けるにも満たないような不遜な態度と些細なお手伝いに対して、心を込めて述べられた「ありがとう」の温かな言葉。そのトーンでこの言葉を聞いた時、これは『あなたが仕事で一日家を空けていた間、私達はふたりでがんばっていたと言うことを思い出して欲しい』と言う、そんな心のメッセージに聞こえたのでした。いつも自分がしていることを旦那さんにもしてもらうそのことにより、自分の仕事を疑似体験してその労苦を理解・評価して欲しいと言う、そんな想いだったのではなかったのかと思うのです。それがお母さん達にとって旦那さんとの想いの共有、そして『自己肯定感』につながるのでしょう。それから彼女のオファーに対しては、大人げなくムッとした表情をつくろえないままのことは多々あるのですが、なるべく聞いてあげたいと思えるようになったのでありました。これも愛子のおかげによる僕の成長なのでしょう。さあさあ長々と僕らのお話をしてしまいましたが、今回の愛子ちゃんの物語をまた皆さんに聞いてもらうことにいたしましょう。 奥さんの実家から我が家に帰って来てからの愛子さんの入浴スタイルは、『ベビーバス&沐浴剤』→『ウレタンのバスマット&抱っこで入浴』→そして『僕の膝の上での体洗い&抱っこで入浴』と、彼女の成長に応じてその形態を徐々に変化させて来ました。しかし『バスマット』以降の入浴では、先ずは僕が自分の体をちゃちゃっと洗い愛子の体を洗ってから一緒に湯船に浸かるスタイルとなっています。しかも子どもがのぼせてはいけないので湯につかるのは1分間。これは育児雑誌にあったHowTOだったのですが、この晩夏は涼しかったこともあって38℃で沸かしたお風呂のお湯は僕にはちょっとぬるかったのでしょう。愛子でなく僕が風邪をひいてしまいました。こうなると愛子と一緒の入浴が出来ません。再びベビーバスを引っ張り出して来て彼女をお風呂に入れたのですが、久しぶりのベビーバスに加えまして沐浴剤から泡のボディーソープに変えていたこともあってどうにも上手くいきません。その日はあたふたしながらやっとのことで愛子をお風呂に入れたのでした。 その日は僕を気遣って別室で寝かせてくれた奥さんと愛子。久しぶりに朝までぐっすり寝かせてもらったおかげで、すぐに良くなってまた彼女達のお世話をすることが出来るようになったのでありました。しかし生活リズムがちょっと変わった身体の疲れと気候の変化それだけで、風邪をひいてしまうのですからなんと弱い僕でしょう。奥さんが色々話を聞いて来たその結果、「40℃で沸かしたお風呂でも大丈夫、さらに入浴も3分くらいは良い」と言うことになりました。そこで最近はお風呂を39℃で沸かして愛子を僕のひざに乗せ体を洗い、それから一緒に入浴3分間。そして彼女を奥さんに手渡した後、『沸かし直し』をかけながら7分間のゆっくり入浴で十分体を温めています。免疫力を高める意味でもゆっくり湯船に浸かることは良いとされており(推奨は20分なのですが僕はのぼせやすいので半分の10分)、おかげさまでその後元気に暮らしています。しかし愛子の体を洗うのも奥さんの手を借りてしている僕。『子どものお風呂はお父さんのお仕事』とよくよく耳には聞こえてくるのですが、うちは夫婦が二人そろってなんとかやっていることを思ったなら、「世間のお父さんも偉いなぁ」と思う半人前の僕なのでした。 家族の中で愛子の抱き方が一番下手なのは僕。たまに抱かれる僕の母や義母にはいい顔をするのですが、僕が抱いた途端に「おんぎゃー!ふんぎゃー!」の大騒ぎ。筋ばった細い腕が気に入らないのか、はたまた薄い胸板の居心地が悪いのか、僕が抱っこすると言う時に限って大いにわいわい言ってくれるようになってしまいました。愛子を抱いたことのなかった僕の父でさえ、初めて抱いてご機嫌を取れたと言うことで、僕は『愛子抱っこレース』の最下位に突き落とされてしまったのでありました。父が抱いた時、「座布団に寝かせてそれごと抱いてやったのがよかったみたい」と言う話を聞きまして、僕が持ち出して来たのが最近大洲のLa・Connerで買った妖怪ウォッチの丸い座布団。緑の起毛地のカバーには『コマさん』『コマじろう』がプリントされ、中身はおそらくウレタンマットであろうと思われるちょっとコシのある直径40cmほどの座布団です。それで愛子を包みまして、その上からそっと抱き上げてみたならばこれがなんとうまくゆきました。わいわい言うこともなく、僕の腕にその身を任せる愛娘。さらに必須アイテムとなっている『さだ歌入りSDデッキ』をポケットに忍ばせまして、その座布団を腕に抱きつつそこから流れてくる音楽に合わせてリズムを取りながら家中をあちこち歩き回ります。背中を叩きあやすリズムもその曲次第。曲に乗ってゆっくり歩く大きなリズムと背中を小刻みに叩くテンポのリズムとが相まって、なんかすぐに気持ち良くなってしまう愛子さん。聞こえてくるリズムと体を伝わって来る揺れのリズムがちゃんと合えば心地良くなれるのでしょう。この組み合わせであやしてやればかなりの確率で眠ってくれることが分りました。また面白いことにアップテンポの曲に合わせた細かいリズム打ちの時に良く寝てくれたりすることも分かりました。ただ寝たところをベッドに降ろすその際にかなりの確率で着地失敗、起こしてしまいまたやり直しなんてことを何度も繰り返したものでした。奥さんは「寝ても10分ぐらいは抱いていないと起きる」と主張するのですが、僕は寝たら一曲以内にチャレンジ決行で、3〜4回は自爆してまたやり直しをするのでありました。でも『自己達成感』を満たすためには自分なりのストーリーを持って挑むそのチャレンジが大事なのです。うつらうつらを何度か繰り返すことによって大きな眠気を呼び起こす、そんな『一つ覚え』の作戦を信じて勝負している僕。それで成功した時にはそのまま僕もベッドで添い寝。さだの曲をしばらく一緒に聞きながら愛子の眠りを深みに誘ってゆくのです。でもこれがしばしば裏目に出ることもありまして、僕の方が先に眠ってしまい、先に覚醒した愛子がカブトムシのようにうごうごやっているその横で、父だけが熟睡しているなどと言うていたらくを奥さんに見つけられてしまうことも度々。そんな彼女の指摘はさて置いて、いっときでも自分のあやしで娘を眠らせて、一緒に寝ることの出来たそのことを至極の幸せに感じている父なのでありました。 愛子のお相手に「身体が空かない手が空かない、仕事が出来ないどうしよう」と言うことで、この連休にエミフルまで行きまして『バウンサー』なるものを買って来ました。要するにゆりかごなのですが、シートを支持するトーションバーフレームのばね性をもって上下に揺れるメカニズム。その動きの美しさについつい見とれてしまいます。電動式ゆりかごの作為的な動きに対して、純粋に物理の法則に則っただけの作りから生み出されるしなやかな動きは見ているだけでもほれぼれしてしまいます。子どもの動きを拾って揺れ出す感度を高めるそのために、きっとその固有振動数は高めに設計されているのでしょう。ちょっと早めの周波数で振動するこのゆりかごに、当初愛子さんはイマイチ不満顔でした。それをまた『さだSD』のリズムに合わせてその周波数を制御してやったなら(揺れのリズムを遅らせるために僕の手でブレーキを掛けながら揺らしてやっているのですが)、これまた眠ってくれました。こちらは抱っこと違って下に置く時に起こしてしまうと言うことがありませんので、一度寝たならしばらくそのまま寝ていてくれるので、合間に振り返りつつパソコン仕事なんかも出来て今とても重宝しています。ただ音楽とのセットであると言う点、リズムを自分の手でコントロールをする必要があると言う点から、今こうやって使いこなしているのは僕だけ。ついこの間まで『愛子の相手が一番下手』と言うことで落ち込んでいた僕なのに、全く調子のいいことです。でもこの子は音楽と揺れが同期すると気持ち良くって寝てしまうところを見ると、リズム感はありそうな感じ。僕の初の親バカ発言でありましょうか。子どもの可能性を見つけると、親と言うものは何でこう嬉しくなってしまうのでしょう。これが子育て中の親に与えられたご褒美と言うべきものなのかも知れません。 そんなある日、愛子をバウンサーに乗せて揺らしていた時のことです。「なんかやたらとおならをぷーぷーやるなぁ」と思っていたのですが、なんか匂いが引く気配がありません。この子の『便秘&おなら』はいつものこと。それがうんちになるとえらく力んで「んー」って顔をし出すので、出た時にはすぐに気付くものだと思っていました。それが新兵器のバウンサーの威力なのでしょう。仰向けの水平姿勢がちょっと重力方向に支持されまして、その上ゆっさゆっさと揺られる訳です。お腹の中の腸回りもしっかりと刺激されてしまったのでしょう。涼しい顔をしたまま泣きもせず、すんなりとウンチッチがお出ましになってしっかりおむつに溜まってしまっていたのです。そんなこととはつゆ知らず、バウンサーを揺らし続ける『愛子ちゃんにちょっと寝ていて欲しい父』。部屋に入って来た奥さんに「なんか変じゃない?」と言われて初めてお股を覗けば太もも周りのギャザーに黄色い染み。「あー漏れてます!」とうんち漏れを確認した上で、僕らはおむつ替え作戦を開始したのでありました。その時の状況は散々たるものでありまして、おむつの上の肌着は染み出たうんちに汚染され、おむつを外してみればバウンサーの揺れによって上へ上へとポンプアップされたうんちがおへそあたりまで押し出されての大惨事。先程お風呂に入ったばかりの愛子さんでありましたが、洗面器の中で簡易再入浴となったのでありました。出るべきものが出たのは良いことではあったのですが、僕が調子に乗ったがゆえの大失敗。またまたお勉強をさせていただいてしまいました。 うんちのお話をもうひとつ。この日は普通にうんちが出てそのおむつ替えをしていたのですが、なんか薫り高い匂いを感じた僕。「病院にいるときにはミルクの甘い匂いしかしなかったのにね」などと述べながらふと思い当たった「でもこれって何かの匂いだよね」。そう、それはニンニクの香ばしい・でもかなり臭い、あの匂いだったのです。「そう言えば昨日の夕食はパスタだった・・・」。僕らが食べたその時にはそんなに感じなかったニンニク味。でも奥さんが食べて母乳になって、それを飲んだ赤ん坊の体の中でもう一度濃縮し排出されて来たせいなのでしょうか。強烈なニンニク臭を放ち、僕らの鼻に帰ってきたのでありました。こんな所で巡り巡る生態系の食物連鎖のわざを実感させられた僕ら夫婦。「授乳期間中は飲酒ダメって言うのはこう言うことなんだね」と改めて納得してしまいました。こうして愛子さんのウンチッチに度々未知なる世界を『体験』として教わっている僕らなのでありました。 人は自己の体験を踏まえて初めて本当に納得出来る、そんな生き物なのですが、愛子は世間知らずの僕らに本当に色々なことを教えてくれています。『子育て2ヶ月目』の新米パパに神様が与えてくださる『学びと気付き』、『大いなる喜び』とそして『ちょっとの苦労』の物語とこの想いが、いつの日にか大きくなった愛子に届くように、そしてこの時代の中で共に子育てをがんばっている皆さんの励みとなってくれますようにと、今の想いをこうしてしたためている僕なのです。 |