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<おさるのジョージ達の学び合い> 二学期が始まりました。今年は残暑と言う言葉を使うこともなさそうな、そんな心地良い九月を過ごしている今日この頃。朝から晴れて園庭に陽が射しこむようなそんな日も、吹き抜ける風がさわやかで「秋だねぇー」と感慨に浸ってしまいます。空を見上げれば吹き絵で描いたような巻雲(すじ雲)が流れゆき、日土の山に吹き寄せる風の流れのありさまを僕らに見せてくれるよう。連日の寝不足で眠気の抜けぬ僕の頭をちょっとすっとさせてくれる、秋らしい今年の秋の情景です。 こんな心地良い気候の中、朝一番から園庭に飛び出してくる子ども達。たんぽぽさんからすみれさんまでこの子達が夢中になっている今の流行りは色水遊びです。ビニール袋にヨウシュヤマゴボウの赤い実やオシロイバナの花を入れ、水を注いでもみ出します。袋一杯に溜まった赤ワイン色の色水ジュースを1Lも2Lもある大きなペットボトルに入れまして、意気揚々とお家に持って帰ってゆくのです。でもペットボトルとキャップのペアーが合わない時もありまして、その時には持ち運びの間に漏れ滴って僕らの方が大騒ぎ。お部屋やバスで決壊してはおおごとと、ついついやいのやいの言ってしまいます。そんな僕らのあわてぶりが子ども達にはおかしく映るのでしょう。当の本人達はおかしそうにケラケラ大笑いなのでありました。 また夏休みの楽しかった思い出がきっと残っているのでしょう、バーベキュー。別の場所では『自称・バーベキューごっこ』が開かれています。雨風・台風も多かったこの夏の終り、園庭やすべりだいの周りにはお手ごろな小枝が一杯一杯落ちていて、それを拾って積み上げ周りに落ち葉なんかも散らしてやれば、立派なアウトレジャーの雰囲気に。でもでもさてさて、焚き火だけは立派なのですが何を焼いて食べるのかは謎・謎・謎。焚き火を燃やせば食べ物がおのずと出てくる魔法のバーベキューなのでしょうか?子ども達のロジックは実に興味深い不思議なファンタジーで満ち満ち溢れているようです。そんな遊びに興じているばらさんの後ろを追いかけながら、同じように薪を集めてはご機嫌な顔を見せているたんぽぽさん。『誰が教え誰が教わっている学業の学び』とは一味違うひとまねこざる達の『見よう見まね』の学び合い。人の遊びの中に自分にとっての『面白さ』を見出して、自分の想いをも満たしてくれる遊びへと昇華させてゆくその行為は、自分の世界を広げてゆく自己研鑽として子ども達の心をしなやかにそしてまばゆいばかりに磨いて行ってくれることでしょう。それに伴いこの子達の『バーベキューごっこ』がこれからどう展開してゆくか、どのような進化を見せるのか、今からとても楽しみです。 さて一方で砂場にその目を移してみれば、そこではまた大運河と数々の山々・宝島がそこいら一面に建設されて、子ども達の『ジオラマ砂場遊び』が所狭しと繰り広げられています。毎朝タライ一杯に溜めた山の水を子ども達の出動と共にバケツで砂場に流し込めば、その流れをつなぐように子ども達が水路を切り進めてゆくのです。山を囲むように切り開いた水路がいつの間にやらあっちの山こっちの山まで伸びてゆきまして、とうとう砂場一面にこんな大運河を作り上げてしまったのでありました。そんな遊びを最初に始めたのはすみれさん。砂場の子ども用バケツでは飽き足らず、8L入りの大きなバケツに水を汲んで、よちよち歩きで砂場まで水を運んではザザーっと運河に流し込みます。たっぷたっぷしているバケツの水にウケているのか、はたまたよちよちやってる自分の姿に笑っちゃうのか、うひゃうひゃ言いながら繰り返し水を砂場まで運び続けるすみれ男子。水汲みもやらされてやったら労働ですが、楽しんでやっていたなら立派な遊びになると言うことを、体現して見せてくれた彼なのでありました。そしてその水運びの作業がきっと面白そうに見えてしまったのでしょう。それを真似し出したのはばら組の子ども達。ちっちゃいバケツに水を汲んではせっせせっせと砂場に運びます。その過程で靴が濡れズボンが濡れしたなら、さっさとそれらを脱ぎ始める男の子。いつの間にか裸足のパンツ姿で砂場遊びをしておりまして、先生達を驚かせていたものでありました。 そんなこんなあちらこちらで学年の垣根を飛び越えて共に関わり遊んでいる子ども達の姿を見つめていると、二学期も順調に始まったようなそんな気分になってきます。朝はシクシクめそめそ泣いちゃう子や、一日の途中でちょっと淋しくなっちゃう子達もあるのですが、お兄ちゃんの楽しい遊びに入れてもらったりお姉ちゃんに手を引かれお世話されてるそのうちに、またご機嫌笑顔を思い出してニコッと笑ってくれるので僕らも助けられています。大人が言葉で「だいじょうぶよ」と言うよりも、『大丈夫』や『そんなのなんでもない』はたまた『楽しい』『おもしろい』『これやりたい!』を言葉でなく態度や行動・表情で体現して見せてくれる子ども達のほうがよっぽど説得力を持っているのです。彼らにしてもメソメソ君達を「僕が何とかしてあげよう」などと言う大層な野望を持っている訳でもなく、『自分が楽しみたい』『自分の言うことを聞いてくれるこの子といると、ちょっと嬉しい気になれる』と言う純粋な想いからの行動であるが故に相手に押し付けがましく思われることもないのでしょう。そんな子ども達の関わり合いの世界を垣間見てると教えられることが一杯で、無作為なこの子達の行動にこそ学ぶべき事柄が一杯含まれているのです。今は良好なそれぞれの異年齢ペアも、自分の想いが通らなくなるとまた相手が変わりシャッフルされてゆくことでしょう。そうして色んな相手と関わりながら色んな友達を作りながら、その中で人との付き合い方や『自分』と言うものを客観的に見つめる目を養ってゆく、この子達は『成長途上』の子ども達なのです。 |