園庭の石段からみた情景〜園だより11月号より〜 2016.11.17
<帰郷2016>
 お散歩や『お外でのお弁当』を楽しんだ心地良い秋の気候はあっと言う間に通り過ぎてゆきまして、季節は早、冬の足音を聞くそんな頃となりました。お天気の良い日でもお外の日影や屋根の高い母屋では、どこか肌寒く感じる今日この頃。と言うことでまた今年も『着だるまファッション』に衣替えした『冬入り支度仕様』の僕なのであります。そんな格好でいるものなので、子ども達に付き合って大縄跳びなどを回してあげたその日には、すぐさま暑くなって2枚も3枚も上着を脱ぐことになりまして(僕の『着だるま』、今の時点で早くも5枚着にもなっているのですが)、縄を回しているんだか手動自家発電機を回しているんだか分からないことになっています。でも日頃、そうした自分の身体を使った一定の運動量を持つエクササイズを10分20分と続けることが少なくなっていると言うことで、冬の入りのこの時分の僕にとってはちょうど良い運動なのかもしれません。幼稚園の子ども達、それも彼らの『その気とやる気』があってこその僕の健康なのかも。そう、多くの肉体労働を機械が代わってしてくれるようになった現代において、子ども達の存在と言うものこそが僕らに『自分の身体を使った労働』や『人間としての運動行為』をもいちど思い出させてくれるのです。それは自己満足で下手にジムやフィットネスに通うよりも、よっぽど価値のある『時間と空間と営み』を僕らに与えてくれるはず。神様はそうやって子ども達と関わりながら、心と身体を合わせながら、共に成長してゆくものとして私達をお創りになったのです。僕くらいのいい年になってくると結構しんどいこともあるのですが、しかしそうすることによってきっと自分の健康とモチベーションを保つことが出来ているのだと思うのです。

 今月、青石中学の職場体験学習が行なわれ、今年も一人の卒園生が幼稚園に帰って来てくれました。幼稚園の頃から真面目でしゃんしゃんしていたその女の子、今回の実習でも一生懸命子ども達と関わって一杯遊んでくれました。遠い記憶の中にある彼女は『おりこうさん』であるが故にドライなところもあったのですが、今回は子ども達の想いを丸ごと身体全身で受け止めて、オンブをしたりベタベタともみくちゃにされたりいたしながら、それでも献身的に相手のことを受け入れ積極的に関わってあげる素敵なお姉さんに成長していたのでありました。日土在住の彼女は勝手知ったる幼稚園と、そこに通う近所のあだあだちゃん達がお相手と言うことで、声かけも関わり方もとても上手。一日目が終わって「どうだった?」と声をかけた時、「楽しかったです!」と開口一番に嬉しそうに応えてくれたのでありました。
 そう、彼女にとっての今回の職場体験、それが一番の学びであったと思うのです。『何が出来た・出来なかった』はその時々のもので、この体験を踏まえてこれから出来るようになればいい。それよりも自分が一生懸命やったお仕事が、楽しくってかつ人に喜んでもらえるものとなったことを実感出来たこのことこそが、体験学習と言うカリキュラムの目的であり趣旨を体現出来た貴重な体験となったと思うのです。この喜びに後押しされて、この子達は自ら『これからの自分がしたい仕事』に想いを馳せ、『そのために自分が今、そしてこれから何をなすべきなのか』を考えるためのモチベーションに満たされワクワクしているのではないでしょうか。

 先日ご招待いただき遊びに行った青石中の文化祭。午後のアトラクションの部で友達と一緒にダンスを披露してくれた彼女の姿を見かけました。『青石広場2016』と銘打たれたその催しは自由エントリーなのですが、彼女の姿をそこに見つけるとは思ってもいませんでした。いつもはふわふわ夢見るセンチメンタルな女の子、でも発表会等のお膳立てが整った舞台の上では役になりきりしっかりきっちり魅せてくれたそんな彼女の姿を思い出した一方、仲間と連れ立って人前に出るいわゆるこう言う『羽目外し』にはあまり乗って来なかったその女の子。彼女の学年、うちから日土小学校に上がる子は彼女一人で淋しい想いをさせてしまったのですが、小学校・中学校で素敵な仲間が沢山沢山出来たのでしょう。そんな友達との関わりと素敵な学校生活のその中で『自分を輝かせるすべ』をきっと一杯学んで来たんだねと、彼女の姿を見つめながら嬉しくなってしまった僕なのでありました。
 8年間の歳月と言う時の流れは、僕らを互いに変えて来た時間でもありました。彼女が幼稚園児だった頃、まだ三十代だった僕の身体はもっと俊敏に動けていたはずで、「僕も毎日もっと子ども達にもみくちゃにされながら一緒に遊んでいたんだったよな・・・」と彼女の姿を見ながらもう記憶の薄れつつある昔の自分に想いを寄せたものでした。でもそうした姿を誰かが心の中に留めおいて、また新しい心と身体でそれを『日土幼稚園の保育』として体現して行ってくれたなら、それが何よりなことだと思うのです。人の身体は永遠のものではありません。でもその魂の中に輝く素敵な想いの瞬きは、誰かの心を感動させ、また次なる若い心と身体に引き継がれ、この幼稚園の中に生き続けてゆくのです。それがその幼稚園の文化と言うもの、そして『日土幼稚園らしさ』として引き継がれてゆくべきものなのです。
 日土幼稚園の保育、それは『キリスト教保育』です。相手を自分の心に迎え入れ、自らの体と自らの想いをもってその全てを受け止めてあげる保育、それがキリスト教保育です。それはイエス様が私達になさってくれたこと。私達を赦し私達を憐れみ、こんな私達のことを丸ごと受け入れてくださったイエス様。僕らにその通りすることはきっと出来はしないでしょう。でもイエス様のようになりたい、イエス様に倣う『神様の御心にかなった良い行いをする者』として生きてゆきたいと願い祈ることは出来るのです。僕らはみんな神様の、そしてイエス様の子どもなのだから。


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