園庭の石段からみた情景〜園だより2月号より〜 2017.2.26
<ホルトノキが最後に教えてくれたこと>
 冬から春へと至る道のりをよく『三寒四温』の言葉で言い表わしますが、今年はちょっと違ったイメージに感じたのは僕だけだったでありましょうか。寒い日と暖かな日が行ったり来たりの陽気を言うのが『三寒四温』、でも今年の寒さの変動は一日のうちに上がって下がってを完結させて僕らを大いに戸惑わせてくれたものでした。朝方、放射冷却によってこの冬一番の冷え込みに凍えさせられたかと思いきや、遅い朝日が園庭に差し込む頃から気温がぐんぐん上昇し始め、午後の自由遊びではジャンバーがいらないほどのあったか陽気となりまして、子ども達を膝に乗せながら「春だねぇ」なんて言いつつタイヤブランコをゆるゆる漕いで遊んだものです。しかし山里の幼稚園ゆえか夕刻が近づくと早々と山陰の日陰に入りまして、またひんやり冬の寒さに逆戻り。預かり保育を終えて外に飛び出して行こうとする子ども達を引きとめて、「ジャンバー着てお帰りよ。外は寒いよ」と声をかけたものでした。でも子ども達のインプレッションには「今日は暑かった。ジャンバーなんかもいらなかった」と言う記憶が刷り込まれているのでしょう。楽しかった預かり保育で高揚した熱い想いもあいまって、「ジャンバーいらん!」って言いながらレジスタンスを見せる子ども達。そんな彼らをお母さん達と一緒になだめながら、なんとか上着を着せて帰路につかせたものでありました。子ども達の代謝の高さからしたらジャンバーなしで行けるのかも知れませんが、逆にモチベーションも体力もエンプティに差し掛かるのがこの夕間暮れ。一日の終りを事無く過ごし明日も元気に来て欲しいとそう願いつつ、駆け出してゆく子ども達の背中を見つめ見送る僕なのです。

 幼稚園のすべりだいの上にそびえる老木が昨年の夏、倒木の危険性があると言うことで切り倒されました。おばあちゃん先生は「やまもも」と言っていたこの木、ひげのおじちゃんによると『ホルトノキ』と言う名前があるそうです。その名前の由来は『ポルトガル』らしいのですが、実際にはこれは誤解でポルトガル原産の木ではないのだとか。僕らの子どもの頃がきっと最盛期だったのでしょう。大きく大きく枝を張り巡らし、夏の園庭に涼やかな木陰を作ってくれました。またそこに絡みついた蔦のツルがロープほどの太さになって垂れ下がり、それにつかまりぶら下がりながら『ターザンごっこ』をして遊んだこともありました。卒園生のお父さんお母さんの中にもこの木でそんな遊びを楽しんだ記憶をお持ちの方がきっとおられることでしょう。秋には緑色の実を一杯に地面に落としまして、それが朽ちた中からは長細い豆が出て来て子ども達のおままごと遊び・砂場遊びのアイテムとしてこよなく愛されたものでした。ただこの緑の実やはっぱは驚くほどのアクの強さを有していまして、子ども達がバケツに入れて水に浸しておいたなら、そのバケツは真っ黒に染まってなかなかその色が落ちないほどでありました。そんなホルトノキでありましたが、晩年は幹にキノコが生えるほど衰えてしまいました。生木にキノコが生えると言うのはその木の代謝と免疫力が相当落ちてしまっているからで、その様子を見た山仕事をなさる方々から「あれはもういけん。倒れる前に切った方がいい」と教えてもらったのでありました。そんなことで切られたこのホルトノキ。幼稚園のシンボルでもあり『トトロの棲んでいる木?』として愛されても来たのですが、切ってみると森林組合の方から「切って良かったですよ」と言われるほどの痛み方だったそうです。外から見た分には「まだ大丈夫なんじゃない?」とも思われたのですが、中身は相当疲弊していたこのホルトノキ。長年この幼稚園と子ども達に木陰を始めとして葉っぱや木の実や遊びを一杯に提供して来てくれたホルトノキ。その役目を終えて大きな切り株として幼稚園を見守ることになったのでありました。

 この冬、そのホルトノキに再び子ども達の歓声が響き渡る出来事がありました。すべりだいの上のこの木の根元は今でも子ども達の遊び場です。切られて更に代謝が落ちてしまったのでしょう。その幹は急激に柔らかくなり外皮もはがれやすくなりました。子ども達はそこをカリカリ削って新たな遊びを始めたのですが、そんな姿を遠目に見ながら「あーやってるなー」くらいに思っていた僕なのでありました。ある日、何を思ったか子ども達の集まっているその根元まで登って上がって行った僕。子ども達が削ったその幹をふっと触ってみたならば、ぼろっと朽ちた皮が崩れて来ました。その中は木屑のようになってふかふかしているではありませんか。「こんなにも痛むのが早いんだ」と驚いた僕。「この切り株から彦栄えが生え出て、もう一度大樹になってくれたらいいのに」と夢物語のようなことを思っていたのが、現実を突きつけられたような気がしたものでした。「この木はやっぱりもうダメなんだな」と思いながら木肌を見つめていた時、その奥に見覚えのある白い柔肌を見つけたのです。「これ!」の叫びに集まって来た周りで遊んでいた子ども達。みんなでそっとその幹を掘り進めて行ったなら、出て来たのはカブトムシの幼虫。それも丸まった直径が7cmほどもあろうかと言う特大サイズを始めとして計3匹。「これ欲しい!」と言う男の子に「ちゃんとお世話できる?」と尋ねると「うん!」と力強く応えてくれたので、カブトの幼虫と『この木の物語』を彼に託したのでありました。
 この世にあるものはいつかその役目を終えるものであり、それはどの命とも平等に交わされた約束です。でもその死の上に立って『伝えるべき物・伝えたい想い』を残してゆくことが出来たなら、それがこの世に生きた証となるのではとそんな風に思うのです。神様が与えられた全ての物の命には必ず意味と使命がある。僕らはそれを信じながら神様に用いられる喜びを感じながら、この地で一生懸命働き生きてゆきたいと思うのです。短いこの命を全うし、天国に迎え入れられるその日まで。


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