園庭の石段からみた情景〜園だより3月号より〜 2017.3.12
<さらば、僕らのノアの方舟君>
 三月に入ってからの寒の戻りが厳しかった今年の冬。惜別の時をなごり惜しむ『なごり雪』なのでしょうか、園庭に薄く陽射しが差し込む下での『お天気雨』に雑じりまして、時より白いつぶてが降り注ぐそんな時にはとりわけ寒さを感じるもの。しかし季節は確実に春へと向かって歩を進め、椿の赤・菜の花の黄色・早咲き桜達の桃色が幼稚園に明るいイロドリを添えてくれています。そのなごり雪も降ってはみたものの、そんな春の様相に『場違い』を感じ取りもするのでしょうか。すぐに薄雨へと姿を変えて、じきに訪れた晴れ間に追いやられるようにその名残りを残すことなく消えてゆくのでありました。そう、僕らの心持ちも同じよう。ふと何かの拍子で卒園生のことをじっと見つめたそんな時、訪れるセンチメンタルな想いに「春よ、まだまだやって来ないで」と思いながらも、子ども達の未来に向けての希望に燃ゆるそんなまなざしに気が付き我に返り、「この子達をちゃんと送り出してあげなくっちゃ」とやり残した仕事・投げかけ忘れている『贈る言葉』を探しながら、自らの背筋を伸ばしつつ『弥生』の暦を歩んでいる毎日です。

 先日のお別れ会に於きまして、職員会で僕が手を上げ「やらせて」と言ってやることとなったギターイントロクイズ。2月の子育て講座『ひきがたり』で取り上げた歌達をイントロクイズにいたしまして子ども達に挑戦してもらったのでありましたが、あれから重ねた数回の練習が功を奏したのか、はたまた子ども相手だと緊張せずに演奏出来たのか、なかなか良い出来の大合唱に子ども達と相当盛り上がってしまいました。この一年この子達と歌って来た『夏はあついぞ』『とりロック』『イロトリドリ』と続けたおなじみのレパートリーだったのですが、クイズとしても意外な結果にちょっとびっくらこ。『夏はあついぞ』を当てたのは夏の教会キャンプにも来てくれた女の子でそこは「うん、順当!」と思っていたのですが、次の『とりロック』は当たるはずもないGのコードストローク(カポ5でキーはC)を一発「ジャン!」と弾いただけだったのに、もも組の男の子が「はい!とりロック!」と事もなく当ててしまったのです。しかも本当のイントロはドッドッドード!の『ド』の単音でありまして、出題があまりにも適当だったのにそれを一発で当てて返した男の子。「偶然だよね」と思いながらも、もも組のテーマソングとなったこの曲をももの男の子が当ててくれたそのことがちょっと嬉しかった僕でした。「実は彼には絶対音感や音才があってこのキーの『ジャン!』で分かっちゃったのかな?」なんて妄想もしちゃったのですが、当てた彼自身は何の邪心も無いようにただただ嬉しそうに『とりロック』を歌ってくれたのでありました。
 お次の『イロトリドリ』は『ひきがたり』では大失敗した歌でありまして、その場でのリベンジに燃えていた曲。イントロもコードを交えながら「ミドレドレミドー、レッドー」と弾いたのがそれなりに聞こえたと思うのですが、なかなか正解が出て来ません。真理先生も「なんだろう?」って言っていたのですが「ハイ!」と手を上げたのはばら組の男の子。「すみれさんの運動会のダンスのー」と答えてくれまして大正解でありました。普段から先生の話をよくよく聞いているその男の子、確かに「Wow…WoWo!」のくだりで印象的なイントロなのですがそれを4歳にして歌でなく旋律を聞いて分かると言う、しかも自分のクラスの歌でもない曲を、先生も分からなかったのに…、って所にびっくりさせられたものでした。こちらの彼こそ本当の音才があるのではと、ちょっとそれから注目しているところです。
 本当は5曲用意していたイントロクイズ。時間も押して来まして、一曲飛ばして最後のスペシャル曲『夢をかなえてドラえもん』をギターで弾いて聞かせたのですが、これはもう『勝手知ったる今年のベストヒット』と言うことで、みんなの頭からルールもスコン!と飛んで消えてしまい(当てられたら答えるルール)、あちらこちらから「ドラえもん!」「ドラえもん!」と声が上がります。仕方がないので「みんな一緒にどうぞ!」と音頭を取れば声をそろえて「ドラえもん!」の答えがホールに響き渡りました。今回はすみれさんに贈る曲といたしまして、もも組が打楽器演奏を担当し、ばら・たんぽぽさんが歌を歌うと言う『ビッグバンド&コーラス』でお送りしようと企画したこの『ドラえもん』。早速ももからたんぽぽまでが舞台に上がりましての初のお披露目と相成りました。この合奏のキモはもも組の大太鼓・小太鼓コンビ。SDデッキの音がちゃんと聞こえたならばリズムもそれなりに取れる大太鼓君。そしてその大太鼓が「ドン!」と正しく刻まれたなら「チャン!」と続けて叩くことの出来る、音楽に関しては意外と合わせられるタイプの小太鼓君。この「ドン!チャン!」「ドン!チャン!」のツービートがリズミカルに刻まれたならなんとか格好のつくこの『ドラえもん』。指揮は潤子先生であります。出だしは順調のように見えたこの『ドン!チャン!コンビ』。しかし途中で「ドン!」が完全一拍遅れて裏拍になるともう合奏はむちゃくちゃくちゃで、他の楽器もわちゃわちゃわちゃになってしまいました。それを修正しようと潤子先生が指揮をすると「ドン!チャン!チャン!うん!」の四拍子に変わってしまって「そうじゃないのにー!」と写真を撮りながら見ていた僕がジレンマに苛まれる始末。でもなんかの拍子に大太鼓の拍も戻って、それに続いて小太鼓もちゃんと合って、もも組の合奏が調子よく奏でられ始めたのです。打楽器隊の調子が良くなった頃にサビに差し掛かったばら・たんぽぽのコーラス隊も絶好調で、最後は素晴らしいエンディングと成りました。そんなこの子達の姿を見つめながら来年度の幼稚園の姿を想像し、「やっぱりすみれになる彼ら次第なんだよな」と苦笑いをしちゃった僕。噛み合った時には絶大なるパフォーマンスを発揮してくれるその一方、外しちゃった時にはこれまたガタガタの年長組になるのかなと、そんな想いでこの子達を見つめた僕でした。でもこれがこの子達の課題であるならば、また一年間かけて整えてゆけたらよい。あわてることなく焦ることなく、きっとあれこれわちゃわちゃやりあうその中で、それを教材にこの子達は成長して行ってくれることでしょう、とそんな風に思うのです。この日土幼稚園を勢いづけて行ってくれるのは間違いなくこの子達なのだから。
 このイントロクイズ、子ども達も相当楽しかったよう。最近ではちょっと大人びて来たそのせいか、あまり僕にまとわりついて来ることがなかったすみれやももの子ども達が、それ以降背後から「おんぶ!」って覆いかぶさって来たり、「だっこ!」って言ってスキンシップを求めて来たり。そんな彼ら彼女らの態度を「しょうがないなー」と言いながらも嬉しく受け止めている僕でした。またある女の子は帰りのバスの中で「ねえ、この間の金太郎ゲーム!またやって!」と言って来るので「金太郎ゲーム?なに?」と口の中で繰り返してみれば「あーあー、イントロクイズのことね!」。「うん!」とそんな勘違いの『空耳アワー』を気にもかけずに嬉しげに笑っているその子と『口イントロ』で「ふんふん!ふんふん!」と歌いながらまた一緒にクイズを楽しんだ僕らなのでありました。卒園してゆくすみれさんは勿論ですが、年度をまたいで進級してゆこうとしている子ども達にも楽しかった思い出と共にもうひとつ上に向けて頑張るためのモチベーションを高めてゆく投げかけをすることが出来たなら、それが今の僕の何よりのお仕事になるのだと思うのです。

 この一年間、もも組の部屋の外に置かれ続けた『ノアの方舟』。一学期が終わった時点で傷みの激しさから処分しようかとも思ったのですが、この方舟をよりどころにしていた子ども達があまりに多かったので、手直しを加えながらなんとかここまで廃船にせずに来ることが出来ました。この方舟の中に潜り込んでごっこ遊びに興じた子達や、友達と諍いを起こしてはクラスを飛出し方舟の中でクールダウンしていた子ども達がどれだけあったことでしょう。しかしながらダンボール製の船は傷み年老いてゆく一方で、子ども達の遊びはますますの元気さを増し加えながら激しくなってゆきまして、とうとう屋根が落ち『箱舟』の形を維持出来なくなってしまいました。この年中と言う時代に母屋部屋で潤子先生を相手に羽を伸ばしきりながら自らの想いを伸ばしつつ、自信と手応えを掴んで来ましたもも組のこの達。でもそんな彼らにしてみても、もうじきもも組の自分から巣立つ時が近づいています。その象徴としてこの方舟とのお別れをある日彼らに提案してみました。「この方舟、もうこんなにくたびれちゃったから『お疲れ様』って言ってあげようよ」。僕の抽象的な提案に「???」の顔の子ども達。僕もどう言う形の『さよなら』がいいのか考えあぐねていたのですが、「お葬式してあげる?」と尋ねてみました。「どうするの?燃やしちゃうの?かわいそう」と一人の女の子が言い出すとみんなみんなが口々に「かわいそう!」の言葉を口にして反対するではありませんか。「いや、今日は燃やさないよ。このぐちゃぐちゃになったまんまだとやっぱりかわいそうだから、片付けて『さようなら。いままでありがとう』って言ってあげたいんだ」と言うと納得してくれた子ども達。みんなで方舟を「わっしょい!わっしょい!」と担ぎながら運んで行ってくれたのでありました。
 方舟を運んで行った先で子ども達に「ねえ、お花を摘んで来ようよ」と提案した僕。みんな思い思いに野山に散ってゆきまして、菜の花や野の花を摘んで来てくれました。それを横たわる方舟君の上に飾りまして、「今までありがとう」「にゃんこごっこ、楽しかったよ」「また作ってあげるからね」と口々にお別れの言葉を贈ってくれたのでありました。それで満足したのでしょうか。あんなに切なそうな顔をしていた子ども達が急に目をキラキラ輝かせて自分達の遊びに立ち返ってゆく姿を、一人その場に取り残されて見つめていた僕でありました。『お葬式』の流れから「最後はみんなでお祈りをしてあげて…」なんて考えてもいたのですが、これはこれで良かったのでしょう。そう、誰かが言った「また作ってあげるからね」の言葉に僕らは救われたのです。お世話していた生き物が死んじゃった時にはお墓を作って「天国でこのおさかなさんが元気に暮らせますように」ってみんなでお祈りをしてお別れをしたもの。それが惜別。その命との別れを惜しみつつも、それによってその命への想いに引導を渡すのです。でも僕らの方舟は「また作ってあげるからね」の言葉によって、いつでも今でもそしてこれからもずっとこの子達の心の中にあり続ける存在となったのです。そう、後はいつかそれを具現化する時が来るのを待つだけで、もも組時代の思い出と共に方舟君はいつまでもこの子達の中で息づいてゆくことでしょう。次にその姿を現す時には、子ども達自身のアイディアがふんだんに盛り込まれた『NEW方舟』となって幼稚園に出航することでありましょう。昔流行った『宇宙戦艦ヤマト』、これも新作のお話が作られるたびに沈んだはずの『ヤマト』が甦ると言う不思議なお話でしたが、ヤマトを終わらせてしまうのに忍びなさを感じた人達が「もう一度ヤマトに逢いたい」と想いを募らせたことによるものだったのでしょう。これと同じようにこの子達のこの想いがある限り、方舟君も何度でも甦って来てくれることでしょう。そしてその度に僕らはこの方舟にまつわる聖書のお話を子ども達に話して聞かせ、神様の愛と御心を述べ伝えてゆくことでしょう。
 それにしても「方舟がかわいそう」の言葉には雷に打たれたような気がしました。いつもワイワイもめごと・諍いばかりだったこの子達。でもそれは感受性が豊かであったからこそのことだったのですが、そんなこの子達がこんな素敵な心を育てて来てくれたことを嬉しく受け止め、神様に感謝したものでありました。さあ、来年度のこの子達のわちゃわちゃぶりはいかなることになりましょうや。その大活躍が今からもって楽しみです。来年度もまたよろしくお願いいたします。


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