園庭の石段からみた情景〜園だより4月号より〜 2016.4.30
<信じる力>
 今年も早、こいのぼりを上げる頃となりまして、一日一日の過ぎ行く早さを感じている今日この頃。しかし一日が終わるほんの短い帰路の途中、「今日も何事もなく無事に終わりました、神様ありがとうございます」と言う想いをいだきながら坂道を登るようになったのは、遅ればせながらに『責任』と言うものをようやくこの歳にして自覚するようになった環境の変化のおかげなのかも知れません。よくよく気がつきパワフルなバイタリティーをもって僕らを引っ張って行ってくれる若い・でもキャリアも育ちつつある先生と、実の姉さんのように一歩引いた優しい投げかけで僕を気付きに導いてくれる新しい先生と、日々の保育や業務の実体験を通しながら園長の引継ぎと学びを僕に授けてくれる潤子先生と、そしていかにも頼りない僕のためにひよこクラブや子育て講座・そしていろんなことで日土幼稚園と僕のことを気に掛けながらさりげなくお手伝いの手や助け舟を出してくれる『頼れるお世話好きのかわいい妹』のようなお母さん達に支えられながら、ようやっとひと月歩いて来ることが出来ました。このこと本当に感謝でありました。
 先日の子育て講座でも「去年は泣きながら幼稚園に行く日の方が多かった子が、今年は泣かずに・しかも朝から『幼稚園に早く行くんだ!』と張り切って行ってくれています」とお話してくださったお母さんがありまして、「きっと僕と同じような心境なのだろうな」とその子の心に想いを馳せたものでした。日土の豊かな自然と神様の愛を感じながら、「いつもみんなが僕を支えていてくれる」と信じることが出来たなら、不安も心配もいらないそんな満たされた気持ちになれるもの。そんな心持ちになれたならば、そこからは「今日は何して遊ぼうかな?」「どんな楽しいことがあるだろう」とワクワクした想いが一杯に膨らんで、毎日が楽しみに満たされた幼稚園生活となってくれるのです。その子の今の楽しみは、毎朝みんなで大きなこいのぼりを上げること。上げてすぐさま風に乗ったこいのぼりが胡桃の木の枝に引っかかってしまうことがあるのですが、「たすけてあげて」と懇願してくる彼に「大丈夫、また風に乗ってきっと自分で降りて来るから『がんばれ!』って応援してあげて」と言葉を返すと、「うん!」とうなづき「がんばれ!」と大きな声を上げながらこいのぼりを応援してくれました。きっとその姿に今の自分を重ね合わせているのでしょう。ちょっとくらいつまづいたって、神様を信じて自分の力を信じてがんばってゆくことが出来たなら、「きっときっと大丈夫!」と思えるようにもなったのでしょう。彼の想いに応えるように、度々枝に引っかかりながらもいつの間にか自力で立ち直った姿を僕らに見せてくれているたくましいこいのぼり達。そんな物言わぬ者達にも元気と勇気をもらいながら、日々成長している僕らなのです。

 今年は春先から色んな天候気候が織り交ざり、子ども達の遊びも多種多様。お天気が続けばカラカラになった菜の花の種鞘を集めて来まして『菜種』を一心不乱に採集する子ども達。バラバラと鞘まで一緒に器の中に落とした後で、砂場の目の粗いふるいに掛ければゴミと種とが上手に分離出来ると言うマニュファクチャーを開発しまして、採取出来た菜種をうれしそうにお家に持って帰って行ってます。
 また雨上がりの朝には砂場のビニールシートに溜まった雨水をそっと残して置きまして、子ども達が自由遊びに飛び出して来るその頃を見計らって彼らの目の前で「ざざざざー」っと砂場に流し込みます。すると大きく掘ってあった砂場の運河に水が溜まり、水運びに四苦八苦することなしに大胆な砂場水遊びがまたそこから始まるのです。その水たまりでばしゃばしゃやって遊んだり、水が上手に流れてゆくようにと運河をシャベルで掘り直したりと、どんどん色んな子達に遊びが伝播して広がってゆくのです。すみれさん達から始まって、彼らが飽きたその頃にはばらさんがちょこんとそこに座り込んで遊んでいる姿を見つめながら、神様に与えられた『雨水遊び』の妙と恩恵をじっと見つめている僕なのです。
 またこんな日には園庭に埋められた『雨水桶』を子ども達と覗き込むのも日課です。前日来の雨によってここまで流されて来たサワガニが、いっぺんに5匹も10匹も捕獲出来ることがあるのです。重たい鋳造網目のマンホールをのかせると「見えん!見えん!」と子ども達が寄って来て『押しくらまんじゅう』が始まります。僕がおたまを手に上からカニをすくい上げれば「かにー!」と子ども達の歓声が上がります。数匹取って「はい、おしまい」と蓋を閉じようとすると「まだいる!あそこにカニがいる!」と必死に訴えかける子ども達。僕も視力はいい方なのですが、子ども達のこう言う時の何かを視認する視力と集中力はとてもその比ではありません。「きっとまだこの中にカニがいる!」と信じながら見つめるその小さな瞳には、カニの微小な動きやその影がしっかりと映り込んでいるのでしょう。子ども達の言う『あそこ辺り』を闇雲におたまですくってみれば、その中には体長5mmほどの赤ちゃんガニが入っているではありませんか。これには僕も脱帽するしかありませんでした。こうして雨が降って翌日上がるその度に、雨水桶からカニカニ君達をレスキューしてはせっせと山に返してあげている僕らなのでありました。

 このように神様に豊かに与えられたこの自然の恵みを教材に、自らの想いの赴くままにうれしそうに遊んでいる子ども達。『この満たされた想い』が次の『がんばり』や『成長』につながることを僕らは信じています。それは『大人の思惑』と相反することもあるのですが、神様が私達を愛してくださったように僕らも子ども達を愛してあげることが出来たなら、この子達はいつか僕らの想いにきっときっと応えてくれると、ただただそう信じている僕らなのです。


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