園庭の石段からみた情景〜園だより5月号より〜 2016.5.29
<心と身体を潤す水遊び>
 今年の五月はまことにもって『はっきり』としたお天気の繰り返し。梅雨さながらに丸一日中雨が降り続き園庭が田んぼのようになったかと思ったら、その後ピーカン天気が続きましてぬかるみに出来た靴跡が瞬く間にカピカピの凸凹に乾き上がると言ったそんな調子。気温も明け方から朝にかけまして家の中ではヒンヤリ寒さを感じる程に涼しくなったと思いきや、日中の戸外に飛び出せば初夏の日差しにジリジリ焼ける首筋をかばって日陰に逃げ込みたくなるほどの暑さに苛まれます。本当に両極端なこの気候に体調管理も難しい初夏の入りとなりました。
 しかしながらこんな『極端』であることが傾向として分かり、その傾向の中に規則性を見つけることが出来たなら、僕らはそれらに備えるための知恵を神様から与えられています。冷えて来た時に備えて長袖のシャツを羽織っておきながら、その下にTシャツや七分袖のシャツを着ると言った『暑さ寒さ』に対応出来る服装で過ごしている今日この頃。暑さ一辺倒でも寒さ尽くしでもなく、またぬるい天候でもないと言うこの状況は、これから夏に向けて身体と体力づくりをしてゆく僕達にとって、移行時期における建設的なプログラムなのかも知れません。汗をひと玉掻く毎に、暑さをこの身に感じる毎に、夏に向けて僕らの体は調子を整えてゆくのです。そんながんばった身体をほっと冷ましてくれる朝夕の涼しさは神様のご配慮なのではないかと、そんな風に思うのです。ぬるま湯のままでは決して上がってゆかない僕らの体力と対応力を、こんなエクササイズで神様は高めてくれるのでしょう。

 これほど暑さを感じる季節になったなら、朝一番の子ども達との自由遊びはお水を使ったものが良いでしょう。朝の受け入れ準備の時からタライにホースを差し込みまして、山の井戸水をたっぷりためつつ子ども達がやって来るのを待ち望みます。そしてお外に遊びに来た子達の顔を見るたび、「あっさ一番のお仕事はー?」と歌いかけるのです。しばらく『なんのこと???』って顔をしている子どももあればすぐさまピンと来てジョウロを取りに走る子もあるのですが、パントマイムで水を注ぐような仕草をして見せたなら、みんな分かって「あさがおに水!」。先日、てずから種まきをした朝顔の鉢にお水をやりにゆく子ども達なのでありました。
そんな水やりを一通り終えた後、タライに残ったお水をバケツに並々とすくいまして園庭に『ざっぱー』と撒き始めます。カラカラになった園庭の埃を抑えるのと気化熱による涼しさ効果を狙っての水撒きなのですが、水と戯れる自分自身の心地良さが一番のモチベーションなのかもしれません。そんな僕を見ていた子ども達、なんとも面白そうに思えたのでしょう。「やってもいい?」とバケツを手に手にタライの周りに集って来ました。バケツでの水撒きにはちょっとしたコツがいるものです。バケツの取っ手と底を上手にバランスよく支えながら、遠心力を使って振り撒くのですが、バケツの底に集ったエネルギーを途中でいなしながら口の方に導くことによって発射するのです。これが不発の時には『おつり』が返って来て自爆します。子ども達がやると往々にして水がバケツから飛び出してゆかずに、足元に跳ね返って来て自分達の靴を濡らします。しかしこの暑さのおかげのせいでしょう。自爆してもそれに大ウケしながら「わははは!」笑う子ども達。こうして涼を取りながら夏前の暑い季節を過ごしているのでありました。

 またこの子ども達の水遊び、『水絵描き』に発展して広がりを見せています。口細のジョウロに水を入れて子ども達と水撒きをしていた時のこと。ある男の子が「なんか描いて」と言うので「水で描くのは難しいんだよなぁ」と言いながらも「ハート!」とマークを描いて見せました。少々イビツなハートマークが出来上がったのですが「ハートだー!」と大喜びの子ども達。でもこの多少のイビツさが子ども達に「自分でも描けそう」ってそんな想いにきっとさせてくれたのでしょう。「描いてごらんよ」と促す僕の言葉に、ジョウロを手に手に地面に水絵を描き出しました。「いちご!」「黒いハート!」「ミッキー!」と子ども達のインスピレーションは次々にそれと分かる図形を作り出してゆきます。そんな水遊びの中である女の子、ジョウロを持ったまま自分がクルクルと回ってその遠心力によって幾何学模様が描けることをふとした拍子に発見してしまいました。回転速度やジョウロを持つ腕の高さを変えながらクルクル回ったためでしょう。そこに描かれた軌跡はただのシンプルな『同心円』ではありませんで、舌状花やミルククラウンを連想させるようなとっても素敵な幾何学模様。これがなんとも『無作為の中に於ける作為』を感じさせるような素敵な図柄で、思わず感心してしまいました。科学や幾何学の教本でこんな紹介を見たことはあるのですが、それを自らの体を使った遊びの中で法則として見つけてしまった女の子。将来は今はやりの『リケジョ』か、はたまた現代アートの芸術家?。自分で描いたはずの素敵な落書きを、うれしそうな・でもちょっと不思議そうな笑顔でしげしげと見つめていた彼女なのでありました。

 このように水と戯れ遊びながら、梅雨前の季節を過ごしている僕らと子ども達。こんなこの季節の水遊びがこの子達の心と身体を潤し瑞々しく成長させてくれています。毎年この国の豊かな四季は必ず巡って来るのですが、その日その時のお天気や気候は神様の御心によるものです。僕らにとって不都合なことがあることもありますが、その一つ一つに必ず意図と意味があり、子ども達はそれに導かれ成長を重ねてゆくのです。それが神様の御心。その御心を僕らはしっかりと受け止めながら、保育の中でそれを昇華・実践してゆくものとなりたいと願い祈っているのです。


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