園庭の石段からみた情景〜園だより11月号より〜 2017.10.21
<振り向けばそこに僕がいる>
 今年は本当に雨の多い十月を過ごして参りましたが、運動会のリハーサル・本番そしておまつりパレードと園行事のその日だけは雨も上がって子ども達と秋の行事を楽しむことが出来ました。小さいながらも『キリスト教保育』を自身の保育の中に体現・実践しようとしている僕達のことを神様が覚えて下さって、その日その時だけはと心に掛けて下さったことによるものだと感謝しております。運動会でも子ども達に『こうあって欲しい。こうなって欲しい』と言う大人の想いから派生した『一律のノルマ』を課すのではなく、その子その子のその時々の姿を子ども達と共に受け止めながら、『もうひとつ上の自分』を目指して頑張ろうとする子ども達の想いと姿をみんなで喜び合いながら一緒に過ごして参りました。
 今年はこの『みんな』と言う想い・連帯感が強い子ども達がそろったようで、その関わり合いの中から更にその想いを高め合いつつ成長して来てくれたこの子達。自分が跳べない段数の跳び箱を他の子が跳べたその時に、自分の事のように大喜びしながら幼稚園中に「○○ちゃんが6段跳べたんで!」とふれて回った男の子がありました。その彼の姿から聖書の『迷子の羊』の例え話に出て来る羊飼い(イエス様のことなのですが)を思い起こさせられたものでした。「いなくなった小羊が帰って来たのです。一緒に喜んでください」と村中にふれて回る羊飼いの小羊に対する絶対的な愛。帰って来たことをこんなにも喜んでもらえたこの小羊は、きっと仲間や羊飼いとの愛と絆を深く持つ素敵な羊へと成長し、自らも愛の伝道者となって行ったのではないでしょうか。一人が投げかけた愛はそこにいる仲間の心に愛を満たし、またそこからそれぞれが大きな愛を育み仲間達に投げ返し注いでゆけるそんな素敵な人間を育ててゆくのです。大きな過ちを犯した弟子達を、イエス様は大きな愛を持って赦し、「私のことを世界中に広めるものとなりなさい」と『キリストの愛』を世界中に伝える役割をお与えになりました。これは自ら『赦された経験・深く愛された体験』を持っていない人には決して出来ない仕事です。自らの体験を持ってその大いなる愛を感じることが出来た者だからこそ、自分の想いを持ってその愛を人にも伝えてゆくことが出来たのだと思うのです。先生やクラスメイト達からの大きな愛を感じ合いながら、この子達は自ら大いなる愛を発信出来る子どもへと育って来てくれています。運動会の跳び箱練習のさなかにも、そんな励まし合い高め合おうとする子ども達の姿が見られて心から嬉しく思ったものでした。

 そんなみんなの嬉しい関わり合いが育ってくれている一方、『個性』と言う自分らしさを輝かせながら一生懸命自分を発信している子ども達の姿も随所で見かけたこのひと月でありました。ある日のこと、預かりの部屋スペースに停留している方舟のそばで不思議なダンボール箱を見つけました。その箱の表面にはびっしりと手書きの文字がマジックによって書きつけられているのです。白地の肌に文字の羅列、一瞬『耳なし芳一』を連想してしまった僕。「魔除け?」。冗談交じりの発想でしたが実は『当たらずとも遠からず』であったことにその時は気付きはしませんでした。その文字をよくよく見てみると同じ字が一杯繰り返して書いてあるのです。『○△□』と書かれたその文字は実はある男の子の名前だったのです。そこでその子にそのダンボールを持って行き、ついでにその文字のいわれについて聞いてみました。すると彼の話はこうでした。『家で作ったダンボールの製作を幼稚園に持って来たのだが、自分の知らないうちになくなった。「それは名前を書いてちゃんとしまっておかなかったからじゃない?」と言われて自分の作品や材料となる空き箱にはみんな名前を書くことにしたのだ』。それにしてもここらそこらに全部自分の名前を書きまくるその男の子。でもそのおかげでありましょうか、一学期には「どう書くがー?」と言いながら先生と四苦八苦しつつ書いていた自分の名前をいつの間にやらすらすら書けるようになっているではありませんか。「『必要』こそ自発学習への最大のモチベーションになるんだねぇ」と思わず笑ってしまった僕でありました。

 彼のそんな話を聞きながら僕の中でどこかで見たことのあるような光景がデジャ・ヴューとして思い起こされ、僕は幼稚園時代の自分の姿に想いを馳せたのでありました。『男の子は収集癖がある』と事ある毎に言っている僕。でもそれは自分の幼少期の記憶に基づくもので、僕もミニカーを始めとして色んなものを集めていた子どもでありました。集めた物を自分の決めた規則通りに並べてそれを眺めて満足するのが収集に傾倒する男の子の性癖。僕もそれがいじられたり乱されることにえらく憤慨していたそうです。『並べる』と言っても狭い家の一室の中。じゃまになった母親がちょっと横によけて置いたり、僕がいない間にそれを見つけた妹が遊ぶこともあったのですが、彼女達にとっては何の価値観も見いだせないそのミニカーの並び順。触ってみたのはいいものの元の配列をきちんと覚えているはずもなく、帰って来た僕にとって『とんでもない光景』が目に飛び込んで来る訳です。僕はそれで帰るなりへそを曲げて大騒ぎをしていた子どもでした。だから幼稚園にも一杯いる、そんな僕と同じような男の子達についつい同情してしまうのです。僕らの理屈はこう、「僕が成り立たせた美しい規則性の配列を、なんで人が触れて崩壊させていいものだろうか」。遊んでいる途中に誰かが来て「貸して」と言う時には「これ、いいよ」と譲ることも出来るのです。それは『それ』を除外した残りのミニカー群に対して自分の法則・規則性を定めそれに基づいて並べ直すミッションに転向するからOKなのです。その中では規則性から外れ矛盾する組み合わせが出て来たりもするので、そこでもう一度新たなる並べ方を考え順番を組み直すのです。そうしてやっとのことで出来た美しいミニカーの配列を、事もあろうか自分のいない間に崩されて見てごらんなさい。それは怒ると思いませんか。ここまで熱弁しても響かない人には「なんのこと?」で終わってしまうことで、今の僕でもつまらないことと思います。でも当時の僕にとっては第一級の重要問題だったのです。更に追い打ちをかける「もう一度並べたらいいでしょう」の理不尽な言葉だけで片付ける母親と、それに対して自分の想いを伝えるための言語能力のなさゆえに最終的にはその状況を受け止めるしかない自分、そんな構図の中に世の中の不条理を感じ打ちひしがれた幼き日の新少年でありました。そこで僕が考え付いた作戦、それが全部の物に『しん』の名前を書きつける『所有権宣言作戦』でありました。「これは僕の物だから触ってはダメ!」と言う幼稚園児の発想レベルの愚策なのですが、ミニカーを始めとして絵本の背表紙まで全部書きつけた『しん』『しん』『しん』。だからあの男の子の『記名作戦』を見かけた時、「あっ!僕がいる!」と笑ってしまったのでありました。

 彼のダンボール作品がなくなったと聞いた時に、「潤子先生に捨てられたんじゃない?」とトッサに答えた僕。果たしてその推察は正解だったのですが、これも僕の昔の記憶から瞬間的に導き出された言葉でありました。あの『記名事件』から時は流れて小学生の頃のこと。僕の収集コレクションはスーパーカー消しゴムから始まって怪獣消しゴム・そしてキャラクターメンコへと移行して行きました。集め出すとそればかりに固執してしまう僕のこと、買い食いに走る友達を横目に見ながら決して多くないお小遣いを節約しての一点集中でそればかりに投機したものでありました。そのおかげでどのコレクションも空き缶ひと箱分にもなる僕のひと財産となったのでありました。いつの時代も小学生のブームとは実に一過性のものであります。しかし僕の記憶にはスーパーカー消しゴムとBOXYのノック式ボールペンを持ち寄ってマシーンを走らせた消しゴムカーレース、この情景がいつまでも焼き付いています。ボールペンのバネのノック力を使ってスーパーカー消しゴムをはじきながら、自分達で作り上げたレースコースの上を走らせ競うこの遊び。僕の一番お気に入りだったのはポルシェ935ターボ。パース的にちょっと長手方向に誇張された細身のラインとあのシンボリックな前後のオーバーフェンダーのふくらみが何とも魅力的であったことを今でも覚えています。しかし僕らの興味とブームが移りゆく合間を縫って、僕のコレクション達はいつの間にかひと箱ずつなくなってゆき、中学に上がる頃には僕は全財産を失くした一文無しとなっておりました。それでも捨てられたその時には僕も気付きもせずにいて、しばらくたってから「あれ、どこ行ったか知らない?」と尋ね、母親によって捨てられた事実を聞いて愕然としたのものでありました。『これを集めるのにどれだけ苦労したか』と言う他人の苦労話(僕も口に出してそんな話はしませんでしたが)に全く無頓着だったうちの母。しかしそうやって半強制的に幼い執着から卒業させられたおかげで今の僕があるのかも知れないと思うと、闇に葬られて行った僕のコレクション達には申し訳ないのですが一応感謝すべき事だったのかなと思える大人になることが出来ました。でもそんな僕だからこそ幼稚園の子ども達の大憤慨にも共感できるし、「そんなにたいしたことでもないんだよ」と慰めてあげることも出来るのです。先生達は「また子ども達の肩を持って」と思っているかもしれませんが、幼き日の痛みを覚えている者だからこそ、そう言う想いにもなれるのだと思うのです。
 彼の名前の連ねられたダンボール、捨てられた彼の無念さと共に潤子先生にも伝えられ「この名前入りのダンボールはもう捨てないわ」と言わしめることに相成りました。そう言った意味では『捨てられる』と言う『魔』から自分の宝を守り救うこととなった『魔除け』になったと言えるのかも知れません。

 そんな彼らの物語をもうひとつ。外遊びで『くるみジュース』を作っていた時のことでした。先にももさんと始めたくるみジュース作り。くるみを拾って来るところから始まって皮むき・洗い水のろ過・そしてペットボトルへの瓶詰めと、一通りの行程を仲間内で分担し合いながらシステマティックに行なってゆくマニュファクチャー・工場制手工業でくるみジュースの量産ラインを開発した僕ら。そこにばらさんがやって来て「僕も作りたい!」。日頃クラス4人のまったり生活に慣れ浸かりきっているこの子達にいい機会だよねと、「△△君、作り方教えてあげてよ」と声掛けしました。一緒にいた美香先生も僕の意図を察してくれて彼に促しの言葉掛けをしてくれます。それでも自分のくるみジュースに固執して作業を止めない彼に向かって「自分のばっかり作っているんじゃなくって、ばらさんにも教えてあげてよ」と言った瞬間、彼はその場をとことこと立ち去って行ったのでありました。彼の行き先には眞美先生がおり、「ばらさんに教えるのを手伝って」って言いに行ったのかなと思って見ていたのですが、彼は眞美先生をスルーしてその先にあった三輪車にまたがりおもむろに走り出したのでありました。この光景を見ていた僕と美香先生、「えー?なに!あれ!?」。「『自分ばっかり作ってないで』って言ったのが『作るのをやめて』って聞こえたのかな?」と話し合った僕らだったのですが、その真相は分からぬままでありました。
 でもよくよく考えてみると、やっぱり彼は僕なのです。アイディアマン&自分でやって見せることは得意なのですが、『教えて』と言われるとつい尻込みしてしまう僕。また重ねて言われると言い返す言語能力もないゆえに、現状をそっとエスケープするその様はなんかまるっきり僕の姿なのでありました。そんな彼と自分自身に笑いながら、「でもこう言う場が自分を育ててゆくんだよね」と彼に無言のエールを送ったのでありました。そう、振り向けばそこにいるもう一人の僕自身に向かって。


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