園庭の石段からみた情景〜園だより2月号より〜 2018.1.22
<日土の大雪〜神様のくれたプレゼント>
 年の瀬、「今年は寒いねぇ」と事ある毎にそんな言葉をつぶやいて来たこのウインターシーズンでしたが、雪が降る訳でもなく氷が張るほどでもないあの寒さはやはりまだまだ序の口でありました。年が明け始業式を迎えて無事に終え、「さあ、三学期!」の想いはあるものの休み明けでそれに体がついてゆけないそんな頃時分、『大雪対応、どうしよう』の課題を突如突きつけられた幼稚園。危機管理上、『自由登園』には決めたもののまだ雪も降り始めておりませんで、今度は逆に「これで降らなかったらどうしよう」って感じのお天気のまま前日の幼稚園を後にした僕らでありました。それがその晩から見事にベタ雪が降りまして、「これなら自由登園の範疇だよね」と とりあえずの状況判断の妥当性を与えられほっとしたのを覚えています。歩けば融けるくらいの積雪に「さて今日は誰が来てくれるかな?」と楽しみのうちに子ども達の自由登園を待ち望んでいた僕らなのでありました。

 そんな雪景色の幼稚園に来てくれたのは日土在住のご近所さんの子ども達。雪の中を徒歩でやって来てくれたのでしょう。『南極犬ぞり探検隊』のようにフワフワファーがついた暖かそうな風防をしっかとかぶり、やって来てくれたその『勇まし姿』に僕も嬉しくなってしまいました。自然の中の古屋敷、それを神様からの賜物として保育環境に充てている僕らにしてみれば、これしきの雪で音を上げていては日土幼稚園の名折れです。でもそうは言っても子どもがいなければただのボロボロお化け屋敷、ですからこんな状況の真只中にこの子達が来てくれたそのことが本当に嬉しいことでありました。この日来てくれたのは彼を始めとして4人の日土の子ども達。中にはお母さんは休むつもりだったのに「行く!」と言って想いを押し通して来てくれた猛者もありました。しかしそこから上空の寒気が一層強まって来たのでしょう。朝方にはほわんほわんと降っていた湿雪が一変して乾いた雪となり、時より激しく吹き寄せる風に相まってブリザードのようになって参りました。「ちょっと様子を見ながら今日は暖かい新館で過ごしましょう」と4人の子ども達と先生がばら組の部屋でまったりとオセロやカードゲーム・コマ回しなどをしてお昼までの時を過ごしたのでありました。こうして改めて見つめてみたならばお正月遊びとは本当に良く出来たものであります。インドア環境の中にあっても、家族や仲間と楽しく遊ぶためのコミュニケーション力を鍛錬してくれる学びの場がそこにあるのです。いくら自分がそのゲームに長けていてもそれだけでは『勝ってばかりいる自分』も『ずっと勝てない相手』も面白くないからそう長くは盛り上がりません。そこでハンデキャップを設けたり大人が本気モードで参戦したりすることで、「勝った負けたは順番こに巡り巡るのが面白い。その相手を慮る想いが『たかがゲーム』を素敵な交遊にしてくれる」と言うことを遊戯を通して学び体験してゆくのです。今時、電子端末相手のゲームも沢山ありますが、こう言う場においては昔遊びに敵う物ではないでしょう。ですから子ども達のこんな昔ながらのアナクロ遊びに興じている姿を見かけると何ともほっとしてしまいます。この子達が生きている今と言う幼き時代は『何をするのも自らの学びと自己啓発』、であるならば現代社会が失いかけている想いや感性を培う遊びに大いに戯れ興じて欲しいと思うのです。それがすぐさま学力を高めたり能力を伸ばしたりする『成果』につながるものでないにしても。

 この子達がそんな昔遊びに興じているそのうちに、降り重ねられた乾いた雪のおかげで『びじゃびじゃ雪』だった園庭も白い雪景色のスノーゲレンデに変わってゆきました。風も弱まった頃を見計らって、お昼からは4人の子ども達とお外に飛出し雪遊びをして遊びました。まずはお約束の雪合戦。先生達も「きゃーきゃー」言いながら子ども達と雪玉を投げ交わします。当初の湿り気が丁度良い位に雪玉に水気を与えてくれて、握って形作るのも・それを互いに投げ交わすのも丁度頃合いの良い雪玉を作ることが出来ました。それからお次は雪だるま作り。雪玉を転がして丸く大きく太らせようとするのですが今度はこの雪との適性が合わないのか、なかなか大きく丸まってくれません。それならばと言うことで中位の雪塊をぺたぺた合わせくっつける作戦に出た先生達。「雪まつりの雪像みたいにこれを削って行けば…」と言いながら子ども達と雪の塊をひとつに合わせ始めたのでありました。しかしそれも思うような『だるま』の形になって行ってくれません。そのちょっとほそおもてになり始めた頭とふっくらおなかに「これ、スヌーピーですね」と先生達。その『雪だるま』はそこから『スヌーピー雪像』へとコンセプトチェンジしたのでありました。大まかに盛られた雪塊のアウトラインを整えつつ上手に削り出されて行っただるまちゃん、徐々に『スヌーピー!』と言う説得力を増し加えてゆきます。子ども達も良く知っているスヌーピー。彼らが『黒い団子っ鼻』と『目が点』のつぶらな瞳を表現するために、そこらへんに落ちている廃材や小さい石のつぶてを探し拾って来てその真っ白な顔にあしらえたなら、素敵なスヌーピー雪像の完成です。その前に並んで嬉しそうに完成記念写真を撮っていた子ども達なのでありました。
 こうして大雪の自由登園の日に素敵な思い出を残して行ってくれた子ども達。大人になってしまえばその煩わしさから「雪なんて大変なだけ」としか感じられなくなってしまうかもしれません。でもそんな時に僕らの作為や計画では決して在り得ない神様が与えて下さったこの雪の日の自由登園の記憶を思い出してくれたなら、また自分の子ども達と雪遊びを楽しみつつその嬉しい想いをその子らに伝えて行ってくれるような素敵な大人になってくれるのではないかと、鬼も大笑いするような20年後の彼らの姿を今から笑いながら想像してしまっている僕なのでありました。


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