園庭の石段からみた情景〜園だより3月号より〜 2018.2.22
<親の心 子知らず、子の心 親知らず>
 本当に大雪のなせるわざに多くの驚きと気付きを与えられた1月2月となりましたが、季節はようやく春めいて参りました。つい先週まで大寒波で雪・氷に凍える日々を過ごしていたかと思いきや、今週は春の穏やかな陽射しが園庭までに差し込んで、極寒対策の先週来のイデタチで園庭を走り回ったなら筍の皮のように二枚も三枚も上着を脱ぎ捨てるようなありさまに。寒さが緩んだことありいの、発表会も終わって心に時間にちょっと余裕が出来たがゆえの心境の変化ありいの、またそれによって外に飛び出して身体を動かせば部屋のストーブの前に座り込んでいる身体とは比べ物にならないほどに代謝が上がって自分の中で熱エネルギーを生成する能力が改善されたことなどなど、いろんな要因が僕らに『春』の実感を与えてくれています。でもそれは気象条件から行事日程に至るまで全てのことがこのタイミングで整え合わせられたことによるおかげだと思うのです。今将棋の世界の話題が熱く、何十手先を何十通りの組み合わせで読むなんてことを軽々とやってのける若者が活躍しておりますが、やってみて一手一手の結果として感じたことをフィードバックし次なる唯一の一手を見出すなんて考え方しか出来ない単細胞の僕にしてみれば、今年のこの巡り合せはまさに奇跡・僕らのために整えられた神様のなせるわざだと思うのです。父なる神様の心・親の心はその時々には受け入れがたい時もありますが、全てのことがひとつのことを実現するために脈々とした流れと手はずを整えながら準備されている、神様の賜る一手一手であるのです。私達人間はそれをその時々には意味が分からなくとも、神様に感謝をいたしながら・その意味を考えながら真っ直ぐ受け止め向き合うことで、その意味を確かめ意義付けてゆくことが出来、そう成し得た時に確かなる神様の御心を感じることが出来る者なのかも知れません。

 うちの中では『子の心 親知らず』の場面を度々突きつけられているダメ親父のこの僕のお話をひとつ。休みの日には家で仕事をしたり体を休めたりしたい想いに駆られながらも、大きい奥さんと彼女にそっくりのちっちゃい奥さんの想いに寄り添わなくっちゃと、毎週のようにお出かけをしている僕ら。普段朝は彼女達より先に家を出て、帰りは彼女達より遅く家に辿り着くと言った僕の毎日。日頃なかなか構ってあげられない罪滅ぼしの想いもあって、「しょうがないなぁー」と思いつつもあっちこっちに彼女達をお連れするため車を走らせています。そうは言っても僕の『ちっちゃ奥さん』は朝には「いってらっしゃい!」、帰れば「おかえり!お父さん!」と明るく僕を見送り・帰りを待ちわびてくれておりまして、父の帰宅と共に甘えに走り寄って来てくれる彼女に対してお互いに安らぎを感じているつもりの僕でした。
 それがある日の明け方のこと、僕が朝の準備に起き出そうとしているところに彼女が寝ぼけ言葉でこんなことを言ったのでした。「おとうさん、いかないで!」。その一言を発しただけで、またすやすやと寝息を立てて眠ってしまった彼女。この言葉には はっとさせられました。彼女の深層心理の中に『お父さんはまた私を置いて出て行っちゃう』と言う想いが澱のように溜まっていたのでしょう。幼稚園の園長としてどんなにがんばっているつもりでも、幼児保育のあり方について常に考えているつもりでいても、そして父親として精一杯やっているつもりであっても、自分の足元の実生活においては多分に家族の想いを犠牲にしているのかも知れないと言うことを彼女の寝言によって気付かされた僕なのでありました。これは奥さんに対してもきっと同じ。僕が思う存分幼稚園で仕事をすることが出来ているその裏では、彼女達の我慢と献身がいつも僕を支えてくれていると言うそのことを、省み感謝して受け止めながらこのことを決して忘れてはいけないと思わされたそんな出来事でありました。いつも小言ばかり言われていると、ついつい忘れてしまいそうになる彼女達の心の叫びを大切にしなくっちゃと思いつつ、この時の彼女の寝言を事ある毎に思い出している父親失格のこの僕なのでありました。日頃はちょっとお母さんが見えなくなると半べそかいて「おかあさんがいいの!」と言う愛娘。『お父さんなんていなくても全然私はかまわないのよ』って素振りの彼女なのですが、子どもの心は僕ら大人よりちょっとだけ複雑に出来ているみたい。そんな子ども達の想いに自分の想いを寄せ合わせながら、彼女達のゲインのちっちゃな発信信号に真摯に心を向かい合わせながら、その小さな心達に寄り添いつつ歩んでゆきたいと思わされた、そんな『子の心 親知らず』の出来事でありました。

 いつの時代もどの世代も『子の心 親知らず』と感じることの方が多いものなのかも知れません。それは自らの想いを発信したい・相手に受け取ってもらいたいと願いつつも、言語による表現能力の未分化ゆえに自分の想いを親に的確に伝えることが出来ないままにドカドカと押し進められてしまう親のペースに流されてしまう子どものジレンマが、きっとそう感じさせるものなのでしょう。
うちのリビングには1/18スケールのミニカーが一台置いてあります。それは『アルピーヌ・ルノー A110 1600S』と言う昔のフランス車のレプリカです。僕が小学生の頃、ヨーロッパに社用出張で出かけることになった父親がお土産に買って来てくれた物と同じ車。まだ直線形状が主流の70年代(それは造形技術の未成熟度に加え、直線が近未来のイメージを顕していた当時の気風のゆえだと思うのですが)にあって、直線によるシャープさを表現しつつそのラインに上手に曲線を交え『粋』と言うものを表現したフランス人のセンスが感じられ、子どもながらにひと目で気に入ってしまいました。自分に子どもが出来ますと『子どもの為』と言い訳をつけながら久しく足を踏み入れることのなかったオモチャの世界に再接近してしまうのが、趣味度の高いダメ親父の一般傾向なのかも知れません。愛娘がちょっとミニカーに興味を示したことに気を良くした僕は、トミカを始めとする自動車玩具について調べを進めているそのうちにこのアルピーヌ・ルノー を見つけ出したのでありました。昔、お土産にもらったルノーは深い青色のガンメタリックでした。当時もトミカをそろえて並べ、ひとり喜び遊んでいた僕だったのですが、あんなに美しい車はかつて見たことがありませんでした。その車を大事に大事に持っていた僕。例によって勝手気ままにいじくりまわす妹の魔の手から守るための魔除けとして、底面に『しん』と書きなぐった僕のサインもでかでかと書いてありました。それがこれまた例のごとく母親によっていつの間にか闇から闇へと葬り去られてしまいまして、あれから40年ほどの時が過ぎ去って行ったのでありました。色味やデカールの装飾などあの時のルノーとはちょっと違いはしたのですが、それを見つけた時、少年時代の記憶と想いが走馬灯のように巡り巡って瞬時に僕の心を熱くしたのでありました。トミカよりもちょっとお高いお買物とはなったのですが、あのルノーの思い出を再購入・再反芻したいと願う者にとっては正当な対価であると思われたのです。いい歳をしてつまらないセンチな買い物をしてしまった僕なのでありました。
 それをさりげなく居間に飾って置いたのですが、それを見ても父はあのお土産に買って来てくれたルノーのことを思い出してくれた様子はありませんでした。海外に行って「日本円に換金し直すのが面倒くさいから」と言いながら手持ちの有り金全部をはたいて家族へのお土産を買って来てくれた若かりし頃の父。先程のくだりは照れ隠しだったのかも知れませんが、そんな家族を思う彼の想いも含めてあれは僕の大事な宝物でありました。さて、父への40年越しの感謝の想いを顕したつもりのルノーは空振り・『子の心 親知らず』に終わった訳であったのですが、その当のルノーは今は僕の思い出のゆりかごとして・さらには時々に気が向き触って見せてくれる愛娘の遊び相手として、うちの中にあって小さな思い出を積み重ねて行ってくれています。普段はトミカを乱暴に扱って僕をひやひやさせてくれる彼女ですが、これは僕が大事にしていると言うことを感じ取ってくれているのでしょう。大事に大事に扱ってくれているような気がしまして、これまた嬉しい想いを今度は僕と彼女で紡ぎ出す思い出の中に焼き付けてくれているところです。いつの日か、彼女がもう少し大きくなったその頃に、「これはね…」と僕が父に言葉で伝えることをしなかった想いを語る日が来るでありましょうか。

 今年の2月の子育て講座『ひきがたり』の最後にさだまさしの『夢一匁』と言う曲を歌い、皆さんに聞いていただきました。自分のいだいた夢と言うものは自分を奮い立たせるための糧でありますが、次の世代にも伝えてゆきたい夢でもあるのです。自分がこの時代を精一杯生きた証し・道しるべとなると共に、それを次の時代を生きる子どもや孫達にも想いの継承として受け継いで行って欲しいと願うもの、それがきっとみんなが夢と呼んでいるもの。でもその夢は掌に乗るほどに小さく軽いものでいい。大きすぎる夢や期待は、それを受け渡された子ども達にとって重荷となってしまうから。と言うそんな歌(僕の解釈)です。でも今の私達はその夢の設計図を事細かに書き綴り、『こんな子になって欲しい』と子ども達に自由度のない夢や想いを押し付ける存在になってしまってはいないでしょうか。自分が生きた証としての想いはそっと伝えられたらよい。その生きざまの中に子ども達は自分のアイデンティティーを感じ取り、何か共感出来るものをその中に見出してくれたその時に、「ああ、私はお父さんの子なんだなぁ」ってきっと感じてくれることでしょう。その想いを持って彼女達は彼女達らしい『自分らしさ』を掴み取り、生きてゆく勇気と希望を手にしてくれたなら、あとは何になっても彼女が選んだものならばそれが何より一番ではないかと思うのです。敷かれたレールに乗りきれずに、それが負い目となって彼女を悲しくさせるのならば、何のための夢であろうか。ただの親の保身や自己満足のための夢ならば、親の想いに応えられない自分の悲しみを数えて涙するそんな生き方を子ども達に強いてしまうかもしれません。この歌の中で「生まれ来た命よ、健やかに はばたけ。悲しみの数だけを決して、数えてはいけない」とさだまさしは歌っています。そう、「どのようにでもどこへでも、想いのままに  はばたいておゆき」と次の時代を生きる子ども達にエールを送っているのです。

 『親の心 子知らず』『子の心 親知らず』、これらは真実だと思います。どちらも『知っているつもりでもそうじゃない』と言うのが当たり前。それぞれ別の人格なのですから。それを「なんで知らないの?」「何で分かってくれないの?」って口調で問いかけるから悲しみを重ねることとなり、自分を不幸にもするのです。ただただ私達に出来ることは相手のことを想い慮ること。自分の思い描いた道筋では決してないけど、自分の夢を自分の想いに基づき一生懸命生き抜いて、力一杯はばたいてくれたなら、それに勝る喜びはありはしないでしょう。親は我が子にそれを望み、子は親のその想いを感じながら自分の歩むべき道のりを自らの手で掴み取り、『自分』と言うものを体現しながら喜びに満たされ歩んで行けばよいのです。人の英知と言ってもその冬の気候や『春』の訪れのタイミングでさえ、時を過ごしてみなければわからない。ただただ私達にとっての真実は、『我々は父なる神の御心の意図をその時々に於いては分かり得ない心幼き者であること』と『しかしながら自らの子どもである人間の想いを父なる神が知らないなどと言うことは決してない』と言うこと。私達の想いを知った上でその歩みに必要な喜び・そして課題や困難を与えつつ、信じる者にこそ救いと御恵みを賜るお方、それが父なる神様であるのです。私達はただただその『親の心』を信じて歩んでゆきたいと、願い祈る者なのです。


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