園庭の石段からみた情景〜春の書き下ろし〜 2018.3.27
<僕らの夢一匁>
 春爛漫の春休み、日土の里では桜と桃の花が一緒に咲き誇り、その足元にはこれまた遅れて咲き始めた菜の花が今一番の花盛り。まさに『桃源郷』と呼ぶ言葉がふさわしい情景を僕らにプレゼントしてくれています。よく『北国の春・夏は短いがゆえに花盛り』と言う言葉を聞きますが、今年の春は極寒の冬を耐え忍んでのX字回復急上昇。それによってこんな『北国の春』になったのではないかと思うのです。惜しむらくはこの春爛漫を一緒に謳歌する子ども達がいないこの春休みと言うタイミングに、本当に「もったいないなぁ」と思う僕なのでありました。この絵を見ながら野山で遊ぶその中で、きっとその想いのうちに何かが芽生え、心と体の成長のトリガーとなってくれること必須の教育環境なのですが、なかなに思うようにはいきません。でも僕らは知っています。僕らの思うようにいかない以上に、予想を超えた子ども達の成長をきっと神様は備えて下さっていると言うことを。今はそれが『成長』や『その子の取り柄』のように見えない不可思議なものであったとしても。

 先日、本年度の卒園式が無事に行われ、9名のすみれさんが日土幼稚園を旅立ってゆきました。その過程で僕にはいくつかの課題とプレッシャーがありまして、無事に終わった今だからお話し出来る物語もありました。今から三年前の卒園式のこと、ちょうどこの子らのお姉ちゃん達の卒園式での出来事です。その日はおそらく雨まじりの卒園式だったのでありましょう。何か事が生じる時、条件と言うのは本当に狙ったように重なるものです。雨で湿度はうなぎのぼり、まだ寒さもあって暖房の火も焚かれており、お母さんと対面式に席が並べられた卒園生の全景を撮るためにビデオカメラには『ワイドコンバーターレンズ』が取り付けられておりました。保育証書授与も無事に終わり式も半ばを越えた頃、事件は起こりました。僕が司会を務めるその横に置かれたテレビモニターの画面が徐々に白くなり始め、答辞を語る頃の子ども達の姿は霧の中に埋もれてしまったのでありました。後から分析してみれば、湿度の高いホールの中で暖房により空気が温められて、コンバーターレンズの後玉(ビデオにねじ込んである方のガラスの表面)に温度差による結露が生じてしまったのです。これを解消するためには一度コンバーターレンズを外して結露を拭き取るしかないのですが、式は粛々と続いてゆきますし途中で進行を止めたり撮影をカットで打ち切って「はい、テイク2!」なんて言うことも出来ません。全ては『悪条件』と言いながらそのような事態を想定していなかった僕の過失(不可抗力ではあったとしても)でありました。その年の卒園生のお母さん達には本当に申し訳ない想いで卒園式のDVDをお渡ししたものでありました。あれから三年、そしてまたあの子達の弟・妹。今年は万全に万全を期す想いでプランニングやら機材の準備をして来たのでありました。まずは昨年春にビデオカメラを新しく新調いたしました。そのもうひとつ前の年の秋頃から液晶の具合が悪くなり、真っ赤なモノトーンでしか表示が出来なくなった旧ビデオカメラ。これもおそらく液晶モニターにつながっているフレキシブル基盤の配線がRGB(レッド・グリーン・ブルー)の三系統のうち赤を除いて断線してしまったのでしょう。それでも撮影された画像には問題がなかったので、赤色のモニターを「見にくいなー」と思いながらもだましだまし使っていたのでありました。今でもそのカメラは現役で、今年のクリスマスと春の音楽発表会ではそちらのカメラを使って撮影を行いました。それにも理由がありまして、新しいビデオカメラは手持ち撮影では絶大なるパフォーマンスを発揮しているのですが、発表会撮影におきましてはアナログ入力端子しか持たない昔ながらのテレビモニターに接続することが出来ず、構図・画角を確かめながらの撮影が出来ないと言う致命的な問題があることが分かったのです。今時のビデオカメラをモニターにつなぐすべはHDMI端子。画像もきれいで伝達効率も良いのですが、今まで使っていたモニターが使えない・新しいモニターを購入するためには数万円の支出が必要になる、と言うことがネックになって発表会では使えませんでした。しかし将来的な事を見据えてもこの新しいビデオカメラを発表会に使える環境を構築してゆかなければきっといつかは成り立たなくなると思い、『なにか策』を捜し研究して来た僕。今回それにヒットしたのはHDMI信号をアナログ信号に変換出来るコンバーターでした。千円ちょっとで購入出来るその商品を介して配線をつないだならば新しいビデオと幼稚園のテレビモニターがつながるのです。それにはUSB端子を用いた電源供給も必要だったのですが、とりあえずは一つ問題をクリアー出来たのでありました。
 さてさて、この新ビデオ問題はまだまだ続きます。新しいビデオカメラには長時間撮影を可能にする大容量バッテリーをつけて使っていました。付属品では一時間ちょっとの撮影しか出来ないと言うことだったので、お泊り保育や運動会・発表会などの長時間物に対応するために別購入いたしました。さて、そのセットをホールの固定撮影用三脚に取り付けようとした時のことでありました。一番大きなバッテリーを購入し普段使いでは電源切れを心配したこともなかったのですが、その大きく張り出したバッテリーがホールの三脚を取り付けている壁に干渉(ぶつかること)することが分かったのです。ここで大不具合の発生です。この三脚に付けなければホールでの撮影は行えません。しかしその三脚に付かないのです。付属品のバッテリーでは発表会をノーカットで撮ることはおそらく出来ないでありましょう。そこでまた頭を抱えて考え込んでしまった僕なのでありました。外部電源のDCコードを購入することが第一の対応策。でもこれも五千円ほどする出費につながります。「最悪それでも仕方ないよね」と思っていたところに先のHDMIコンバーターにも電源供給が必要だと言う事、今手持ちのUSB接続電源が2ポート(つなぎ口が二つあるもの)であることを思い出した僕。「これって本体の電源供給にも使えるんじゃないの?」とビデオ本体に収納されているUSBコードを引っ張り出してそこに一緒につないでみました。これが見事につながりまして外部電源供給状態でビデオカメラを使うことが出来るようになったのです。これで電源問題も解決。ひとつひとつが整えられてゆくように、問題が与えられ・解決策をあれやこれや思案しつつ・その上でより良い解が与えられる、と言う好進化のスパイラルを一歩一歩登ってゆくことの出来た僕なのでありました。

 さて、やっとここまで帰って参りました、卒園式。今回は新・旧ビデオカメラのどちらでも対応出来ると言う状況にまで持ってくることが出来たのですが決め手は『画角』でありました。旧カメラは画角が狭くワイドコンバーターレンズを使わなければ卒園式を撮ることが出来なかったのですが、『卒園式+ワイドコンバーター』にはあの『霧の卒園式』のリスクとトラウマがあるのです。十年以上撮影して来てあの時きりの本当に悪夢のようなレアケースだったのですが、この子達の年に同じことをして失敗することは出来ないと新カメラシステムで挑むことにした今年の卒園式でありました。これには嬉しいお土産もついて来まして、『旧カメラ+コンバーター』よりも更に広い画角のワイド端を持つ新ビデオカメラ。これはレンズから入った光を取り込む『イメージセンサー』(昔のカメラで言う所のフィルムに当たる部分でSONYハンディカムではCMOS方式)が旧カメラより小型化されたために可能となった進化。これが小さくなることによって同じ画角でもレンズの焦点距離とレンズ口径は短く小さくすることが出来、ユーザーの「狭い部屋でも被写体が切れることなく撮影出来る広角のワイド端が欲しい」と言う要望と相まって設計に盛り込まれた仕様なのでありましょう。これは自己分析による考察なのでありますが、機械や道具と言うものはその理屈や道理が分かって来たならば、いよいよ楽しく嬉しく上手に使えそうな気がして来るものだから不思議です。カタログの仕様表を眺めながら分からなかった項目については本を調べたりネットで検索してみたり、今の時代なら独学でも色々分かってくるもの。この様な学びの自己啓発の中に『分かることの嬉しさ』『勉強の楽しさ』を感じることが出来たなら、私達が子どもに日頃発している「勉強しなさい!」の怒声が違う言葉と想いに変わってゆくのではないでしょうか。僕らが子ども達に伝えるべきことは『学ぶことって楽しいことだよ』ってその一点。それが分かってくれたなら子どもはほっておいても自らの興味と探究心をフル回転させながら『学び』の世界にその身を飛び込ませてゆくことでしょう。ただそれも私達の望む『勉強』とは違った方向へ行ってしまうこともありますが、暇つぶしに端末ゲームに時間を消費するよりも意義深いこととなるでしょう。
 で、卒園式。去年は今年と同じ9名の卒園生だったのですが、ビデオカメラの画角の問題上、ホール会場を前の方に詰めて使うレイアウトとなりました。去年から新たに『卒園生がお母さんに保育証書を手渡して退場する』と言うセレモニーが加わったのですが、そのための動きややり取りをするためにはちょっと窮屈な間取りだったのではないかと思います。それが今年は新しいカメラの広い画角のおかげさまで、少し卒園生の座席の間隔を広げて取ることも出来、去年を踏まえた2回目と言うこともありまして周到に準備を進めてゆくことが出来ました。
 まずはカメラを三脚に取り付けて会場を見渡す構図を探ります。カメラを付けた運台の首を左右に振る機構(三脚の支持棒にそれぞれ右向き・左向きにロープを取り付けまして、それを引っ張ることにより首を振るパーンシステムなのですが)、これはその昔、大学の機械設計の授業の中で江守教授から教えてもらった『ゼロ戦方式』。『第二次世界大戦中、コンパクトで機動性の高さゆえに他国の戦闘機に対して優位性を誇っていた零式戦闘機。しかしそのコンパクトなボディーのゆえに尾翼に取り付けられた舵を稼働させるメカが入らずに設計者を悩ませた。最終的に舵をワイヤーで引っ張ると言う当時においてもアナクロな・しかしシンプルで無駄のない方式の導入によってその難問に対するブレイクスルーが行われた』と言う話が学生だった僕の心になぜか深く残っていまして、10年以上も前にこの三脚操作の課題に直面した時にその話を思い出したのでありました。以来このシステムは幼稚園の発表会のビデオ撮影を支え続けて参りました。二本の細くて頼りないロープがその設計の美しさにより十年以上も役割を担って来られたこと、本当に嬉しく感じます。それが学問の素晴らしさ。美しく正しい道理や理屈は時代を超えて通用するのです。その時限りの自己正当化のための理屈は『へ理屈』。「じゃあこれは?」とちょっと違う状況での解析を試みようとしたなら「これはまた別!これは…」と違う理屈を引っ張り出して来ることが多い現代社会の中にあって、子ども達にはそんな口の上手さよりも『本当のものはどこにあるの?』と自分に尋ね求めながら追及してゆける粘り強さを学んで行って欲しいと思うのです。想定外や定義から漏れる例外は必ず存在するものではあるのですが、より多くの物をその理屈のうちに包み込み、より多くの人を時代を超えて納得させる説得力を持つ理屈・理論の探求が『変化の速い時代』の中にあってもっと大事にされるべきものであると思うのです。
 で、卒園式。左右のパーンはその機構のために自由度が取れるのでありますが、上下は固定となってしまうのでそのセッティングが何より重要。一番奥は壇上で話をする長身の松井先生の頭が切れないように、手前は縦に並ぶ卒園生のこうちゃんの姿が切れないようにイスの位置を決めました。これもリハーサルなど数回のカメラテストの映像を後で見返し、微調整を行なってゆきました。そこから会場レイアウトのアジャスト開始です。入場の時、一礼をして会場に入る卒園生の立ち位置を決めまして、その子ども達の『礼』から必要な間合いを取りまして真理先生の席位置が決まります。そしてそれを基準にお母さん達のイスを並べ、その合間合間の斜め前に卒園生のイスを並べます。そして更にその逆の合間合間の斜め前(お母さん達のイスの延長線上)に花道となるサイネリアの鉢を置いてゆきました。そして席の間隔はカメラ画角から決められたこうちゃんの席の位置と講壇側のちーちゃんの席位置から5人の子の席が等間隔になるようにきっちり置いてゆきました。そのレイアウトが完成した時に、最後のセレモニー『お母さんへの証書授受』に美しい流れとリズムを持たせることが出来たのでした。お母さんは真っ直ぐ前に進み花鉢の手前で止まります。子ども達も真っ直ぐ前に進み、花鉢の手前で横に足を一歩ステップしお母さんの前で正対する。ひと間おいて見つめ合い花鉢を挟んで親子がその上で保育証書の授受を行うと言う、何とも美しいシーンがそこに織りなされたのでありました。そう言う意図の設計と演出でありました。
 ここで寸分たがわぬレイアウト作りにスイッチが入ってしまった僕。それぞれの相対位置を確認しながらイスを一つ一つ並べてゆきます。並べているそのうちに何か「いつかどこかでこれに似た感覚を味わったことがあるような…」、とそんな想いが込み上げて参りました。出来上がってみてこれを崩したくないその想いから潤子先生に「今度の礼拝は母屋でやってね」とお願いした時、「トミカだ!」と思い至った僕。木曜日の午後、ホールで行われている日土教会の木曜礼拝。発表会などで会場の設営が出来上がっている時には母屋のもも組の部屋で礼拝をしてもらっているのですが、この「こわさないで」の想いも含めてこれらが僕の『トミカの記憶』に回帰していることに気が付いたのです。自分で規則性・自分との約束を作って挑むトミカ並べ。その決め事に従ってただひたすら並べ・並べ直して遊んでいた幼き日。畳の目やへりを基準に自らの想いが納得に至るまで、一生懸命そろえ並べていた僕がありました。そんなデジャブに、しかも「こわさないで」と嘆願してるところまでも再現されるなんて、思わず笑ってしまいました。こんな所でお役に立つなんて、幼き日の自分を褒めてあげたい心持ちでありました。
 並び上がった会場で最終の練習を終えた後、カメラの角度と子ども達のイスの位置をちょっとだけ修正いたしました。子どものイスは実に木目パネル一枚分・約5cm程を正面から見て右側に動かし、それに伴って会場のセンター位置もその分右に移動しました。これは左側の子ども達のイスとお母さんの席が近すぎて、お母さん達の足元が少々狭く窮屈であることが分かったから。それ以上に動かすと会場のバランスがくずれてしまうので、たったパネル一枚分ではありましたが右に動かすことにしたのです。これも綿密な会場設営とリハーサルの分析によるもので、これをまた一から作り直していたならば、きっとこんな微調整は出来なかったでありましょう。そのおかげで『セレモニー』の時のお母さん達の足元にも余裕がうまれ、ひっかかったりつまづいたりすることなしにきれいに動きが流れて行ったのだと思っています。僕の自己満足かも知れませんが。
 そんなこんなでつつがなく執り行われた卒園式・そしておかげさまで出来上がりました卒園式DVD、この裏にはこんな壮大なる過去から連なる物語があり、式の成功と僕らの成長をこのように導いてくれたのでありました。その時には『やくたいもない(役にも立たない)』と思ったものや興味・そして雑学と言われてしまうような学びでさえも、巡り巡って自分を助けてくれるものになると言うこと。そのことを自らの記憶と体験を神様の御心によって結びつけられたことによって、改めて気が付かされた学びとなりました。子ども・そして大人でもまたしかり、一生懸命取り組んでいることに決して無駄はないのです。ちゃんとそれらを結びつける御心がいつか僕らに与えられるはずだから。そしてその学びや物語はこれからもきっと続いてゆくことでしょう。

 さて、最近の我が家では『二代目トミカー』と僕の『トミカの学び』が地道に繰り広げられています。僕の選びすぐったトミカに大喜びの愛娘。しまうところを作ってあげようと空き箱でトミカの駐車場を作りまして、敷居も作ってちゃんと入れられるようにして並べておいたのですが、それを見つけた愛娘。がーっと箱をひっくり返して自分の手提げ袋にがちゃがちゃ突っ込み始めたのです。「なんで?せっかくきれいに並んでいるのに」と言っても聞く耳を持つ素振りも見せない愛娘。彼女にはそんな手提げ袋(中にはレジ袋まであるのですが)がいくつもあって、自分のおもちゃや大事なものを全部そこに突っ込んで持ち歩く習性があるみたいと言うことが発覚した事件でありました。
 遠い昔、今から十年以上も前のことです。幼稚園にみほちゃんと言う女の子がおりまして、お母さんによると彼女も自分の宝物・家財道具一式を紙袋に入れてどこにでも持ち歩いていたと言う話をふと思い出しました。そんな彼女の姿にお母さんが「ホームレスみたいだからやめなさい!」と言っても知らん顔。ご機嫌にその重い重い袋を携えてあっちにこっちに持ち歩いていたそうな。そんな彼女もこの春、成人式を迎えまして、人づてにその時の写真も見せてもらいました。きれいなお姉さんになったそのせいか、はたまた成人式メイクがばっちり施されていたそのせいか、彼女を見分けることの出来なかった僕。今は紙袋のかわりにブランド品のおしゃれな手提げかばんをぶら下げているのでありましょうか。
 さてさて、愛娘の『手提げ袋ツッコミ事件』。でも「これって遺伝かな?」と思う節もあるのです。僕のばあちゃんの佐和子先生、彼女は現役で幼稚園をやっていた時には足元のコンテナに書類やら手紙やらを全部その中に突っ込んで、どこに何があるのだか分からなくしてしまう名人でありました。そしてそれが何箱かたまると当時は薪で炊いていた五右衛門風呂の焚口にどっかと座り込み、それを焚き火で結局全部燃やしていました。母の潤子先生、彼女は愛娘と同じく手提げかばんをいくつもいくつも持っていて、そこにいるものいらぬものを全部しまいこんでは失くしてしまう名人。幼稚園の必要書類から自分の鍵やケイタイまでも「ないない」言ってはあっちこっちを捜しまわっている、未だにそんな毎日です。
 そんな家系の愛娘に『再利用性のある物の片付け方』とその楽しさを知って欲しくって、僕はトミカをしまう入れ物『トミカパーキングケース』を買って来ました。立体駐車場仕立てになっているプラケースの入れ物で、おまけにすべりだいになるスライダーもついています。ナンバーやロゴのシールもついていまして(自分で貼る仕様になっているのですが)、それを貼って車を並べて片付けたならたいそう立派に見える駐車場が出来上がったのでありました。最初はこれからも取り出して自分の手提げ袋に入れていた彼女。僕はあきらめずにそこからまた取り出し黙って『パーキングケース』に入れておいたなら、彼女はいつの頃からかそれを受け入れてくれるようになりまして、自分で『パーキングケース』から出したり入れたりしては遊びお片付けが出来る、そんな娘になりました。

 もひとつ我が家でのトミカ遊びをご紹介。トミカは空き箱にその車の絵が印刷されています。その面を切り取ってカードに仕立て、「ほら、トミカカード!」と見せたならそれに大喜びをしてみせた愛娘。それからトミカが増えるごとにトミカ本体と同じくらい喜んで「トミカカード作って!」とリクエストをして来るようになりました。そんな風にトミカに喜んでくれる彼女でありましたので、同じくトミカ好きの父と意気投合し瞬く間に『パーキングケース』ひと箱ほどのトミカが僕らの宝物となったのでありました。そして「トミカクイズ!」と銘打って始まるゲーム遊び。例の手作りのトミカカードを示しながら「これは誰でしょう?」と問題を出したならば、『パーキングケース』からそのトミカを探し出してくる愛娘。「正解!これはGTRでした!」と言うと「じーてぃーあー」と模し返して来る彼女。そんなクイズで遊ぶ僕らなのでありました。ある時、「これは何でしょう?」と言う問題に違う車を持って来た彼女。「正解はこっちでした、ホンダフィット!」と言うと「違うよ、これ赤だよ!」と言う彼女。本体は柿色なのですがそこに描かれたトミカは印刷色味の関係で少々赤っぽく見えたのです。これには親バカではありますが感心してしまいました。僕らは造形によって車種を見分けているのですが、彼女は色に対する感度の方が強く、「これは色がちがう!」と眉間にしわを寄せながら一生懸命主張するのです。この微妙な色味を見分ける彼女の力に大いに驚かされたものでした。一方で持って来たトミカは『ミニクーパー』、こちらはオープンカーでもありまして「全然見た目違うじゃん!」と笑ったものです。しかしこんなやりとりを繰り返しながら、昔見たテレビで『男の脳は形状を認識する力に長けていて、女の脳は色に対する認識力に長けている』と紹介されていたことを思い出しました。そう言えば幼稚園でも年長児になってからも「これは何色?」に答えられなかったのは男の子ばかりだったなと言うことを思い出したりもして、『色』んなことがどんどん掘り起こされつながって参ります。当のこの僕も色にはとっても無頓着。先生達の「今日のあの子の服、○色でしたよね」と言う会話にも「そうだったかなぁ?」ってそんな感じ。色んな所で脳科学における仮説が検証されている僕らの日常風景です。
 トミカに加えて『アニア』も大好きな愛娘。こちらは小学館の図鑑『ネオぽけっと』をテキストに「アニアクイズ!」として楽しんでいます。図鑑の一ページを開きまして「さて、これは誰でしょう?」と問題を出す父。見ただけで簡単に「とら!」とか答えを言ってのける彼女に対して、「じゃあ探して来て下さい」と僕。アニアの中からその一匹を彼女が捜し出すその間に僕は「ネコのなかまで最大…」と解説文を読み進めてゆきます。聞いているのかいないのか分からぬ彼女ですが、「8つの亜種に分かれるんだって、ふーん」と僕の方がお勉強させてもらっているこのアニアクイズ。そんな僕を横目にさっさとトラを見つけて「がおー!」ってやって遊んでいる彼女なのでありました。この協同遊びのような平行遊びのような不思議な僕らのアニアクイズ。でも図鑑を眺めること・調べることに彼女も興味を示してくれておりまして、ほんのひとときの父娘の遊び時間を色んなものに昇華してくれています。こんなトミカ遊びにアニア遊びがこの子の想いを一杯に膨らませ、将来のいつかどこかで神様の御心に用いられ、彼女のお役に立ってくれたなら本当に嬉しく思います。50年先には僕もこのトミカ達もなくなっているでありましょうが、彼女と僕の心に温かく灯った想いと言うものはきっとなくなりはしないでしょう。それを彼女も次の誰かにバトンタッチし受け継いで行ってくれたなら、僕の想いは神様の御心と共に永遠に誰かの心に息づいて行ってくれることでしょう。それが正しく美しい・神様の御心に適ったものであるならば。そう、それが僕の夢一匁。僕らがじいちゃん・ばあちゃん達の想いを受け継いで、この地で今その想いを子ども達に伝えているように、これからも静かに優しくつながってゆくことを願っています。

 まことに世は春爛漫・花盛り。そんなこの世の春に誘われて、想いに従って書き連ねて参りました今回の『石段物語』。『無制限一本勝負』と言う課題を自分に課しながら、色んなことを語りつつ・でもそれが全て一つのテーマに帰依してゆくことを踏み外さないようにしたためて来た作品となりました。そう、皆さんの日常もきっと同じ。色んな物事・いろんな想いを、一つの糸に導かれ紡いでゆくことが出来たなら、無駄に終わる努力も想いも体験も決してありはしないのです。全ては私達のために神様が備え与えて下さるものなのだから。


戻る