園庭の石段からみた情景〜園だより5月号より〜 2017.4.28
<『想い』の力>
 今年の季節のうつろいは行ったり来たりのアットランダム、これほどまでに意表をつく変化を見せる年もありません。入園式の前の週にはまだ軽く暖房をつける程の肌寒さを感じさせ、「これは桜の見ごろはまだまだだねぇ」と言っていたかと思いきや、新学期が始まってすぐにぐぐっと気温が上がってシャツ一枚で過ごせるような気候になってびっくらこ。冬の気配の残る装いのイデタチで外で遊んで汗ばんで、それで風邪をひく子もありました(僕もそうでした)。またまたそれからも春の勢いは止まりませんで、これに乗じて待ちに待った開花の時に桜達は一気に花を開かせます。「ここが盛り」と言うところまで上り詰めた時、寒気と強い雨風が日土の里に訪れて、これまた一気に桜の花びらを散らして行ってしまいました。その後に残ったのはいつもよりも分厚く積もった『桜の花びらじゅうたん』。雨に濡れてしっとり固まってしまったせいもあったのでしょうが、熊手で掻いても掻いてもきりがないほどの『厚手のじゅうたん』となったのでありました。また軒下などには濡れ汚れていない花びら達がふわりとたまり、それを見つけた先生と子ども達が『おめでとう!花びらシャワーごっこ』をやって遊びます。花びらを集めて砂場に持ち込み、ケーキ作りのイロドリに添えていた子達もありました。
 そんなように確かに僕達のもくろみとは違った季節の移ろいではあったのですが、そのおかげで今年でしか味わえない春先の感動と遊びを堪能することが出来た2017年の春・卯月。例年なら新年度の始まりよりもずっと前に花が散り去っているその頃にこんな遊びと喜びとを子ども達と分かち合えたこと、神様に心より感謝でありました。神様の粋な計らいの御心は、やる気に満ち満ちているからこそ少々かかり気味になっている子達の想いと、未知なる新たな歩みに少々不安を感じている子ども達の心を、明るく歓喜の炎で灯し出し、それぞれの『はじめの一歩』を優しく後押ししてくれたのではないかと思うのです。それは先生達も同じです。子ども達と一緒になって桜の花びらを舞い散らせつつ「わーきゃー!」言っているそのさまは、自分の心に対する叱咤激励のようにも感じられたものでした。でもでも、そうそう、大丈夫。「全てはかみさまの御心」と、与えられた不順を受け入れその中に新たな発見とお楽しみを見つけてゆけたなら、この一年の歩みもきっと楽しく心地良い、自分の人生を彩ってくれる素敵な軌跡(ローカス)となってくれることでしょう。自分を信じ、子ども達の成長を信じ、そして神様の御心を信じながら共に歩んでゆく一年になってくれたならと、祈り願っている四月の終りの今日この頃です。

 そんな自然とのふれあい・関わり合いに満ち満ちたこの四月の幼稚園。お次に子ども達の心を捉えたのは、採り残しの黄色くなったシークワーサーでありました。幼稚園の裏山へ至る坂道の途中に一本植えられたシークワーサーの木があるのですが、それに夢中になった子ども達。採って遊べる草木・木の実は日土幼稚園には数あれど、自分で採ってその場で食べられるものとなると極端に限られてしまいます。そんな中、子ども達が戯れにかじってみたのがこのシークワーサー。そもそもカボスのように香りづけの果汁を味わう柑橘なのですが、収穫期を過ぎても採られずそのままにされてしまったせいでしょう。『超々極々早生ミカン』のように美味しそうに鮮やかな橙色で光り輝き、子ども達の心を引きつけます。水分も目減りしあのジューシーさはすでにもうないのですが、その分完熟したうまみと味わいが子ども達のお気に召したのでしょう。「食べたい!食べたい!」と採って来ては石段のところに座り込み、かぶりついていたばら組の子ども達でありました。毎日のように「ミカン採りに行く!」と眞美先生を誘って山に繰り出す子ども達。その手にかかえきれないほどのシークワーサーを採り集め、ビニール袋に入れてお家に持って帰ってゆくのでありました。『おみかんのプロ』の農家さんも一杯来てくれている日土幼稚園。「美味しいはずないんですけど…」とお母さん達もあきれ顔を見せながら、でも嬉しそうな顔で『おみかん』を握りしめ帰って来る我が子の姿を、これまた嬉しそうにマリヤさんのような優しい『母の笑顔』で見つめていた姿が印象的でありました。子ども達の「これが好き!」「これがしたい!」の熱い想いを優しく受け止めて下さるお母さん。母性とはそう言うものなのかも知れません。この包み込むような優しい笑顔と全てを受け入れてくれる女性の涅槃のまなざしが、『母』と言う言葉の響きに伴う僕の心象風景なのかも知れません。そんな戦利品とお母さんの優しいまなざしに、自分が肯定されていることの喜びを感じつつ日土のお山に通う毎日を(幼稚園じゃないの?)謳歌している子ども達。でもでも今はそれでいい。まずは自分の『大好き』を見つけ出し、それを心の糧にがんばっている自分を支えて行ってくれたなら、きっとそれでいいと思うのです。環境ががらっと変わる新年度。規則正しい生活やみんなと一緒の活動に、少なからずジレンマを感じているはずのこの子達。でも「これ、すき!たのしい!」がひとつその子の中にあるだけで、その心は確かに支えられ喜びに満たされてゆくのです。ひとつの「すき!」は次の「すき!」の探求に子どもの心を赴かせ、大冒険への旅路へといざないます。さすれば『初めての事』『やったことのないこと』だって興味と好奇心の対象に。だってこの最初の「たのしい!」だって自分でそうやって見つけた自己実現のサクセストーリーだったのだから。ここから自分達の「うれしい!」「たのしい!」を一杯一杯増やして行って欲しいと願っています。せっかく他にはない唯一無二の日土幼稚園に来てくれたのですから。何にもないけど、興味と好奇心のスパイスがその心にぱっとふりかかったなら、『なんでもある』・『なんでも出来る』そんな不思議な不思議な幼稚園。そのための自然とそれに赴くきっかけを神様はこの子達のためにあれこれ用意してくださいます。それを子ども達に紹介しながら、その手を引いて山に登りながら、この子達の新たな「たのしい!」をどんどん発掘してゆきたいと思っています。

 さてさて、すみれになりました、あの『もも組さん』(変な言い回しですが)。三月のお誕生日ラッシュでついこの間お祝いをしてもらった勢いもあって、「お誕生日が来て、おつぎはいよいよすみれ組!」の想いが急激に高まって来たせいでありましょうか。始業式の日に久々に再会した彼女達はなんか急に大人びて見えた気がしたものでした。それは春休みの3週間と言うインターバルによるものなのかも知れませんが、想いだけでなく背丈の方もなんか急にシュッときれいに伸びたような気がするから不思議なもの。ついこの間までは『ちんちくりんの幼児体型・三頭身』ってイメージだった彼女達が見た目も『お姉さん』ってなって幼稚園に帰って来てくれた嬉しい再会の時でありました。実測すれば何センチも身長が伸びた訳でもないでしょう。でも『私はすみれ組』と言う想いが背筋を伸ばし、知らず知らずのその内に腹筋背筋に力が入り、そんな美しい立ち姿を見せてくれたのかも知れません。『想いの力』と言うのは本当に大きなものだと思うのです。『進化論』では動物は『進化』によって自分の姿を変化させ、今の姿に辿り着いたのだと説いています。昔『オカピ』のように首の短かったキリン(オカピは立派なキリンの仲間なのですが)、頭の上に美味しそうに茂っている木の葉を恨めしく見つめつつ、「もうちょっと!」と首を伸ばしながら「届け!」と想いを込めながらきっと長い年月をかけて進化して来たのでしょう。それも『想い』の力なのであれば、この子達の『想い』の力もきっとこの子達の成長の糧となってくれるはず。実際、新学期が始まってからの彼女達のがんばりは、あの『もも組さん』から想像出来ないほどのものでありました。
 いつも先生に自分の『未達』を指摘されては、ふてくされて応答していた女の子。今でも未達は一杯あるのですが「あれしようか?」「これしようか?」と一生懸命自分から先生のお手伝いを探しつつ、自分のイメージする『すみれ』らしくあろうと張り切りがんばっています。ももの頃にはすぐに「むきー!」「うきー!」となって『のだめ』のように自分の心と身体の制御回路がオーバーヒートしていた彼女でありましたが、その姿もあまり見かけなくなりました。お母さんによりますとその分、お家で「むきー!」となっているようですが、それでもその後ふっと自分を落ち着けて「しゃーないなー」と言いつつお手伝いや妹のお世話をしているようです。その姿からお家でも確かにこの子の成長の跡を感じ、お母さんもそんな我が子の姿を受け入れ受け止めて下さっています。そう、どこかで内圧をベントしなければ爆発してしまう自分の心とその想い。僕ら教師やお母さん達が上手に子ども達の『制御弁』となって、上を目指して頑張れるように、でもがんばり過ぎて内圧が高まり暴発してしまわぬように、見守り想いと言葉を投げかけてゆきたいと思っています。そんな子ども達の想いを感じてあげることが出来るようになったなら、この子達と向き合う中で「むきー!」となってしまっていた僕ら教師やお母さん達の方も、「この子は今がんばっているんだな」と言う想いからちょっと自分の『押し出し分』を引込めて、子ども達の想いを受け止めてあげられるようになることが出来るのかも知れません。そう、それが譲り合い。そんな大人の姿をこの子達が感じてくれるようになったなら、こちらがしんどい時にはきっと彼女達の方がそれを感じて僕らのことを受け止め受け入れてくれることでしょう。それが出来る程に彼女達は、実は繊細で空気の読める潜在的な『お姉さん力』をすでに持っているのですから。
 また別の女の子、彼女の苦手は給食・サンドイッチに入っているキュウリ。もも組時代はサンドイッチの日に「いただきます!」のその後から彼女の「キュウリきらい!」の呪文が始まりました。そのさまはまるで『イタコ』や呪詛の文言を唱える修行僧のよう。彼女の想いの高まりに呼応しながらその声は大きくなったり小さくなったりいたしながら、延々と彼女の「キュウリきらい!」「キュウリきらい!」が教室の中にこだましていたものです。そして時より「喝!」ならぬ「○▽×※!」の言葉にならない雄叫びがもも組の部屋に響き渡ったものでした。「他の物から食べたらいいのにねぇ」「だまって最後に残したらいいのに」と声を掛けても「キュウリきらい!」「キュウリきらい!」。あげくの果てに一口食べたキュウリを「おえー」ってやっていた彼女がすみれ組になりました。最初のサンドイッチの日、「キュウリ食べたよ!」と涼しげな顔で僕に言いに来てくれたその女の子。「えー?ほんとうー?」と僕も大いにビックリさせられたものでした。吐き出すほどに嫌いなキュウリを彼女がすみれになったからと言って一朝一夕に食べられるようになるとは思えなかったのです。でも彼女は一朝一夕に食べたのです。『想いの力』のなんと大きいことでしょう。「どうして?」と尋ねても「ふんふんふん?」と鼻歌を歌いながら涼しい顔の女の子。子どもが成長するって言うことは、きっと子ども達自身のタイミングときっかけで、こんな風にさりげなく体現されるものなのかも知れません。

 子ども達の愉快な姿を思い起こしつつ、振り返って来ました新年度始まりの最初のひと月。どの子にも言えることですが、ほんとにみんながんばってます。自分の「すき!」に毎日一生懸命向き合っている子、進級の喜びをがんばることで体現している子ども達、分かっちゃいるけど素直に表現出来ていない子達も一杯あります。まずはそんな子ども達の想いを皆さんと一緒に受け入れながら喜びながら、新年度を走り出したいと思っています。一年後のゴールを遠くに見据え、でも焦らずはやらず、子ども達の心に寄り添いながら。受け入れられた喜びが、この子達に相手の想いを受け入れられる心を育ててゆくのです。『愛されて育つ子ども』をこの一年、共に体現してゆきましょう。それが神様の望まれている私達への御心なのだから。


戻る