園庭の石段からみた情景〜園だより6月号より〜 2017.5.28
<『おすそ分け』の不思議な力>
 青空と桜葉の新緑をバックに泳ぐこいのぼりを見上げながら、過ごして参りました皐月五月。当初は気候も不順で中頃を過ぎてようやく例年の陽射しと暑さを取り戻して来た感のある今月でありました。この不順さが山の木々と草花に大いに影響を与えた様子。「今年は沢山採れるかな」と思っていた裏山のさくらんぼが蓋を開けてみれば全然でがっかりしたり、そうかと思えば凡そ十年ぶりに野イチゴが大豊作となりまして先生・子ども達が嬉しそうにその実をついばんでみたり。そしてこの春、子ども達に大人気のスマッシュヒットとなったシークワーサーは、今年の花も咲き終わったと言うのにまだ黄色い果実がついて残っていたのを「木が弱ってしまうから採ってしまおう!」とハサミを持って子ども達と一緒に繰り出せば、まだまだあるわあるわ黄色い実。それをまた皮を剥き喜び勇んでかぶりついたのでありましたが、「前より美味しくなっている!」とみんなみんな大絶賛。そもそもよそでは香りづけ果汁として用いられるこのみかん、日土幼稚園では子ども達によってその美味しさが再発見されたばかりか、次の年の花が終わるこの季節まで木につながりながら完熟させられたとっておきの果実達がますますもって美味しくなることが突き止められたのでありました。子ども達のために神様が用意してくださった自然の恵みとそれが無作為に保たれるこの日土幼稚園の環境(結局大人は誰もこの実を常道通り収穫しようとしなかったがゆえの偶然と必然)が、子ども達の心の琴線をかき鳴らしこのような素敵な体験を僕らに与えてくれたのです。この巡り合せの不可思議さに神様の御心を感じてしまう僕なのでありました。神様のなさることは実に不思議で、でもそのために全てが整えられてゆく必然性をも感じる御業に、僕らはただただ用いられる器としてお役に立てたことの喜びを感じるだけ。つい先日『みかんの花まつり』に行って来た子達によって、そこで『シークワーサーの種飛ばし大会』が始まりまして、これまたもってひと盛り上がり。こんなにしながらこの子達の感動と体験がどんどんと膨らんで行った、今月の日土幼稚園でありました。

 今年も花の日礼拝のためにお家から素敵なお花を持って来て下さり、本当にありがとうございました。ホールの講壇に並べられたお花達、それらは先生達がイロドリや姿形を見据えながらお花を取り混ぜ活けてくれたもので一見どれが誰のだか分からないものだったのですが、それを「これ、僕の!」と誇らしげに指差し笑う子ども達。この子達のお花に込められた思い入れの大きさを改めて感じさせられたものでありました。でもそれはきっとそうなのでしょう。お家からお花を持たせてもらうその時に、彼らはいろんな想いをその小さな肩に背負って出て来たのです。おばあちゃんが毎日お世話して咲かせてくれたお花をそのおばあちゃんの笑顔と一緒に抱きしめながら持って来てくれた女の子、お花屋さんで「このお花!」と自分で直訴して買ってもらったお花を嬉しそうに抱えて来た子ども達、そして当日自分は体調が悪くお休みすると言うのに「僕が選らんだこのお花だけは届けたい!」とお花を託し届けてくれた男の子もありました。そんな一人一人の想いが込められたお花達に囲まれて、本当に素敵な花の日礼拝を守ることが出来たのでありました。
 翌日、すみれさんが『日土のめぐみ』にお花をおすそ分けしに行った時のこと。前もって連絡をしていたとは言え、『めぐみ』の皆さんが子ども達のことを今か今かと待ちわびてくれておりまして、着くなり大盛り上がりの大歓迎で迎えてくださったのでありました。花の日のお花とカードをお渡しした後、そんなおじいちゃんおばあちゃんのためにすみれさんがそこで礼拝を行なって、讃美歌を歌い「おじいちゃんおばあちゃんがいつまでも元気でいてくれますように、神様守ってください」とお祈りをして来たのでありました。そんな子ども達の想いの込められた礼拝だったのですが、大勢の人前と言う緊張感もあってのことでしょう、その声はちょっと小さ目だったみたいです。一人のおばあさんが「全然聞こえん!わからん!」とぶつぶつ言っているのが聞こえて来ました。耳の遠いお年寄りにとって、目の前で聞こえない会話やパフォーマンスをされることが苛立ちにつながるのはよくよく分かります。でもこれから交流をしようと言う時に「子ども達大丈夫かな?」とそちらを心配した僕だったのですが、今年のすみれさんはすごかった。礼拝がほどよいウォーミングアップになったようで、それから披露した『ドレミの歌』のパフォーマンスはいつもの元気モード100%でやってくれるではありませんか。その後の手遊びも絶好調で初対面のお年寄りとのふれあいとは思えないほど、お互いに嬉しそうにやってくれておりました。ふとそんな状況を見渡しているとさっきのおばあさん、彼女も嬉しそうに声を上げて笑ってはしゃいでしているではありませんか。自分の知っていた『ドレミの歌』がよっぽど嬉しかったのでしょうか、はたまた子ども達の想いがじわじわとその心に届き沁み渡ってくれたのでありましょうか。素敵な笑顔で子ども達に笑いかけてくれているそのお姿を僕も嬉しく見つめさせていただいたものでありました。想いの『おすそ分け』の力はこんなにも大きなものなのです。家族から・幼稚園のみんなから託されたお花を持って来た子ども達、「これを喜んでくれる人達のために」と頑張ることが出来ました。そしてそんな子ども達の想いが淋しいお年寄りのかたくなな心を解きほぐし、幸せを分かち合うことも出来ました。そうして本当に多くの人々が嬉しい幸せな気持ちに浸ることの出来た花の日礼拝となったのです。『おすそ分け』と言うとどんどん目減りしてゆくもののように感じますがそうではない、この想いはどんどん増えてふくらんでゆく魔法の力を持っているのです。そんな素敵な『おすそ分け』の力を心一杯に感じることの出来た今年の花の日でありました。皆さんのお花と想いの『おすそ分け』に感謝です。


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