園庭の石段からみた情景〜園だより8月号より〜 2017.7.14
<新たなる方舟物語>
 今月は台風3号の直撃を受けながらも大事なく過ごせた、そんな感謝の月でありました。どんなに科学や文明が進歩しても台風一つ思い通りに出来ない私達。神に祈ることしか出来ない無力な者です。しかしそんな私達ではありますが、こんなにも台風が暴れまわる『気候の亜熱帯化』の原因とされる地球の温暖化とそれを助長している化石燃料の必要以上の浪費と言う行為について、自分自身の問題として考える時に差し掛かっているのかも知れません。この近年の暑い夏をクーラー無しで過ごせるほど僕らの体は強靭ではありません。でも誰もいない部屋の冷房をこまめに消したり室温の設定を適切にすることにより、消費エネルギーは確実に抑えられCO2の生成も抑制することが出来るのです。しかし言ってみればこの『やせ我慢』の行為こそ『荒ぶる自分の想い』を御せなくなって来た現代人の最も苦手とするところ。だからこそ神様の御心と自らの行為や想いを照らし合わせて省みながら、感謝と祈りを持って自分の心に向き合うことが大切になって来るのだと思うのです。
 今月の合同礼拝で子ども達に話した『ノアの方舟』の物語。これは「神の御声に耳をふさぎ傍若無人に振舞うようになった人間を、大雨と大水によって滅ぼすことを決心された神様。唯一、神の御言葉に聞き従い生きて来た『ノア』と言う老人とその一族に救いの御手を差し伸べました。」と言うくだりから始まるお話です。人間が文明を築いてゆくことにより獲得して来た能力やロジックは人類の生活をより豊かなものへと変えてゆきましたが、それと同時に増長をも生み出しました。それは僕らも例外ではありません。だからこそ『常に自分達の行いが神様の御心にかなったものであるか・自分本位の身勝手なものとなっていないか』と自らを省みることが必要なのだと思うのです。自然は大きな包容力を持って我々人間の営みを許して来てくれましたが、それにより蓄積したひずみが大いなる力となって私達の生活を押しつぶし飲み込んでしまうのは本当に一瞬の出来事です。そのことを聖書は私たちに語りかけているのですが、この学びの中から子ども達にも『自然に対する優しさや自らを律する心の強さ』を育てて行って欲しいと願っています。

 昨年度末、老朽化のためにみんなでサヨナラをした『初代ノアの方舟君』、その生まれ変わりの『方舟君2号』が例によってもも組の教室前スペースでちょっとちょっとずつ材料となるダンボールを寄せ集めながら形づくられその姿を表わして来ています。先代の方舟は大きな一個のダンボール箱から作られた一体感のある美しいフォルムのものだったのですが、今度の方舟は複数のダンボールのモジュール構成で成り立っています。だから『方舟』と言うよりは『駆逐艦』のようなイデタチで、船首があって艦橋があってその後ろに居住区があって、更にはその後ろに温泉とレジャー施設の『ビー玉コース』までついていて…とそんな感じの船になっています。新しいダンボールが手に入るごとにそれを遠目に眺めつつ、「これは〇〇になりそうだ」とそこからひらめきのアイディアが与えられどんどん増築されてゆく方舟君。作っている僕が言うのもなんなのですが、聖書物語の方舟とは異なるフォルムに「なんかちょっとぉー」と言う感じ。でも最初こそ線が細く貧弱で『方舟』と呼ぶには物足りなく感じていたのですが、後からちょっとずつ持ってこられたダンボールによって足りないところを補填して空間と強度を増し加えて行ったこの方舟。僕らの欲しい材料が与えられた訳では決してないのに、ちゃんと整えられてゆくそのさまを見つめながら、「色んなものと皆の想いが用いられて一つの形を体現しているんだよね。やっぱり神様の船だよね。」と不思議な想いに満たされる僕なのでありました。
 日々変わりゆく方舟に喜び勇んで乗り込む子ども達。開閉式の屋根やトイレットペーパーの芯をつないで作ったトンネルすべりだい式の『ビー玉コース』と言ったギミックに歓喜の声を上げながら遊んでいます。先代は潜り込めば子ども達の全身をゆったりと包み込んでくれるような懐の深さを有する『お母さん』のような方舟だったのに対して、今回のものは子どもと一緒になって楽しそうに遊んでいる『お父さん』のような方舟になりました。船のイデタチが変わるだけで子ども達の想いも遊びも友達との関わり方までもが変わる、そんな不思議な情景を目の当たりにしている毎日です。先代の『母さん方舟』で遊んでいた時にはその中に潜り込んだ誰もが「狭い!」「痛い!」「のーいーてー!」と自らの占有権を主張し合っていたものでした。それが今回の『父さん方舟』では、まずビー玉投入口にビー玉をたくさん山ほど抱えつつほくそ笑み陣取る子達がありまして、出口には転がって来るビー玉をその穴から覗き込みながら待ち構える子ども達がおりまして、その間をはしゃぎ走り回って行ったり来たりする子達があったりと、子ども達の『共有プレイランド』として成立している喜ばしい情景を僕らに見せてくれています。ビー玉を全部転がし切ると下にいた子が「次は私がやるー」と自己主張の自己申告をいたしながら、上手に上下やシフトが入れ替わり、かわりばんこで遊んでおりました。
 文字通り『ハコモノ』として作られた方舟でしたが、神様が御心をもってそれを祝福し、子ども達が想いを通い合わせる『依り代』として命の息吹きを吹き込まれました。子ども達と作り上げた手作り品であるがゆえに、彼らが乱暴に扱う度にあちらこちらがほころび壊れて遊びが一時中断したりもするのですが、そこをまたみんなでつなげてテープを貼ってと修繕しながら、また新しいアイディアを盛り込み付け加えもしながら、船体も子ども達の遊びも日々変化進化しています。そう、ここは言ってみたなら足りないモノだらけで何にもない幼稚園なのですが、『神様に日々の暮らしを守られながら、神様の御心に満たされて、日々何かが生まれ、日々子ども達の想いが健やかに育っている』、そんな不思議な教会幼稚園なのです。


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