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<僕らは日土っ子NewAge> 長い夏休みが終わりまして二学期が始まって、始業式を迎えたかと思いきや翌日にはいつの間にかやって来ていた台風21号が四国・関西のまん真ん中を縦断してゆきまして、また警報・休園でのばたばたを明けての金曜日に『敬老参観』で皆さんをJA日土にお招きしてと、そんな始まりとなりました新学期。「1日2日が土日でのんびりスタートだね」と思ってた僕らの想いを見事に覆しての新学期第一週となりましたが、一方で大人も子どもも毎年恒例の『休みボケ』や『新学期クライシス』に浸ることなく、みんな一気にくくっとテンション急上昇のロケットスタート?を切ることが出来たのでありました。やっぱり二学期はそんな季節。この秋は『非日常行事』や『人前舞台』が目白押し。『まずは幼稚園の生活とリズムに慣れましょう』と一学期に体と心をくゆらせながらやっと自分らしさを出しつつ園生活を楽しめるようになって来た子ども達からしてみれば、「なんでそんなに変わっちゃうの?」と言う想いをいだくことも少なからずあることでしょう。僕ら大人からしてみれば『そのための慣らし運転・スローテンポの一学期だったじゃない』とか『一学期の終りにはあんなに出来ていたのに』なんて思ってしまうものでもありますが、それは大人の理屈。夏休みを超スローテンポで過ごして来た子ども達からしてみれば、この『温度差ヒートショック』は身に堪えるものであったのかも知れません。でもでもそれもいっとき。家を出る時には心のどこかにぶら下がっていた「なんかちょっと嫌だなー」の想いも、幼稚園にやって来て友達とやいやい遊び楽しいことを一杯見つけちゃったりしているそのうちに、また元のペースに戻ってゆくものです。それも新たな課題に挑みつつ過ごしている中での園生活における現状復帰であるので、元の自分と比べてみたなら知らず知らずのうちに心も体も数段スキルアップをしていると言う、そんな日々を過ごしている学期初めの僕達なのでありました。 そんな様子が子ども達の遊びの中にも垣間見られるようになって参りました。これまで『個人遊び』に勤しんでいた年長・年中の子ども達が『集団遊び』に移行して参りまして『こおり鬼』やサッカーにその主戦場を移し始めたのでありますが、その空いたスペースに入り込んで来たのがばらばら男子。外遊びに飛び出し一番最初に向かうのはあの山水の流れ込むマンホール。網の目の格子越しに桶底をじぃーっと見つめていたかと思いきや、「カニがいる!ふた開けて!」と僕の所にやって来ます。今年、台風や秋雨前線による大雨が幾度となく訪れた日土でしたが、夏を過ぎてもこのマンホールにサワガニがよくよく流されて参りました。ふたを開けて数匹のカニが右往左往横歩きしている姿を見つけると、「おたまとバケツ!」と誰彼ともなく叫び声を上げまして捕獲大作戦がスタートするのでありました。 そのプロジェクトを眺めておりますと意外な構図に気付かされます。この春、日土幼稚園を卒園するまでこの『カニ桶』を覗き続け、来る日も来る日もサワガニに挑み続けた誰もが認める『カニ捕りマイスター』だったR君。その子の一番弟子でいつも横にくっついては「カニカニ!」言ってた当時の『たんぽぽ君』がきっとその後を継ぐものだろうと思っていたのでありましたが、この秋のカニ採りリーダーになったのは別の男の子でありました。彼はたんぽぽ時代には「ほら!」と虫を見せると「や・んめ・って!」と腰が引けてた弱々君だったのでありましたが、今ではクラスイチの『生物フリーク』になりまして、カニを始めとして蝶々やトンボを追いかけ回して遊んでいます。このマイペースな『カニカニリーダー』と『R君の一番弟子君』のツートップによる生物部チーム。自由人のリーダー君に合わせてあげながら自分のポジションを取っている『一番弟子君』のチームワーク&コミュニケーションが楽しそうに見えたのでありましょう。この『生物部』にこれまたたんぽぽ上がりの男の子が加わりまして、見つける度に嬉しそうに「カニー!」と僕を呼びにやって来ます。この『たんぽぽ入園三銃士』、カニに対する想いだけはR君のDNAを強く強く引き継いでくれているのですが、いかんせんこの三人とも誰もカニにさわない。おたまやバケツを介してならカニと対峙できるのですが、「ほれ、さわってみれ!」と差し出すとみんな漫画のように「ひー!」と言って逃げ出すのです。これもバーチャル全盛時代の『頭でっかちくん達』に対する大事な教育課程であると変な信念をいだいている僕でありますから、彼らの「ひー!」を承知で度々目の前にカニを差し出すのですが、やっぱりさわれないこの子達なのでありました。 それがある時、「さわれた!」と誇らしげに僕に告げた男の子がありました。その指先をじいっと見てみれば米粒ほどのちっちゃなカニがいるではありませんか。『カニ桶』が濁ってしまった時には『しゃかしゃか』と称するフルイで『底引き網作戦』に出る僕らなのでありますが、その堆積物を捨てた砂の中からこのちびガニ君がこそこそ姿を表わしたのでありました。それを指でちょんちょんと触っては「さわれた!」と本当に嬉しそうな顔で申告する男の子。これは彼にとっては人生最大の大冒険であったのでありましょう。家に帰ってからお母さんにも「カニにさわった!」とその武勇伝を語って聞かせてくれたそうでありました。加えてちゃんと『ちっちゃい奴だったけれど…』とお母さんに真実も伝えていたその正直な男の子。お母さんがそのエピソードを笑いながら話し聞かせてくださいました。 この『カニ捕り大作戦』、『カニ桶』の水が透き通っているうちが勝負です。ちびっこ達が届かぬリーチで無造作に水をかき混ぜてしまったなら、カニと一緒に流されて来た堆積物が舞い上がり直径30cm程の桶の中でも何がどこにいるのか全然分からなくなってしまうのです。そんな状況の中、彼らは地面に膝をつきながら手に持ったおたまを精一杯差し伸べてはいるのですが、なかなかに底にいるはずのサワガニを救うことが出来ません。そんな状態でやたらめったにおたまをかきかきやりながら「捕れん!捕れん!」とやいのやいの言っている三銃士君達でありました。ある時、そんな彼らにもうひとり仲間が加わりました。ばらから入って来たその男の子、体が大きくリーチも長い彼は底にたたずんでいるカニカニ君におたまがしっかり届くのです。そんな彼が救世主となりまして、この『ばらばらカニ捕り四銃士』のメンバーだけで僕の手を借りずともカニ捕りが成立するようになったのでありました。しかも彼は生き物に物おじしない『リアル生物部君』でありまして、余裕でカニにもさわれるのです。いつもは『自分がやりたい!自分がやりたい!』のこの子達がそんな彼には一目置いて、僕の『カニ、さわってみれミッション』ではダチョウ倶楽部のように「どうぞどうぞ!」と彼に道を空けるのでありました。 この男の子、『生物強さ』はどうやら相当の本物であるようです。『カニと比べてどっちが上か』と言う優劣はつけがたいのでありますが、新先生の『秋の自然教育課程』における難関ミッションに『手乗りカマキリ』と言うのがあります。虫は本来、捕まえようとすればするほど暴れ逃げ回るものでありますが、自然のままでいる気にさせてあげられたなら、落ち着いて自然にふるまってくれるものでもあるのです。また虫は僕の経験上、高いところに向かって上ってゆく習性があるみたい。でありますので、彼らが木の枝や地面を伝って歩いているその時に、進行方向から手を差し伸べましてちょっと登り気味に勾配をつけてじっと待っていたならば、彼らは道が切り替わったことにも気付かずに僕の手を伝い登って来てくれまして、見事な『手乗り芸』がそこに成立するのでありました。その僕の『手乗り芸』を羨望のまなざしで見つめる子ども達。並々ならぬ憧れと興味はあるようなのですが、「ほれ!」と差し向ける仕草をしただけでこれまた「ひー!」と逃げ出すのでありました。しかしその男の子はその場でじっとたたずみながらカマキリに向かってボクトツと手を差し伸べるのです。この『手乗りカマキリ』、僕も調子に乗ってやっていると腕を登って来たカマキリ君がいつの間にやら背中に回り視界からも消えて行方不明になりまして、「どこ?どこ行った?」と声を上ずらせながら子ども達に探してもらったり…なんてオチを迎えてしまうことも度々。やはり『自分の視界から消えること』、そして『相手が予測不能の動きをすること』に対して人は潜在的な不安を感じるものなのかも知れません。それに対してこの男の子、手に乗ったカマキリが予想外の動きを見せた時にはちょっとびくっとしながらも冷静に手を振りカマキリを自分の手から振り落とすと言うリアクションを見せるものだから、「むむ、出来る!」とそんな想いで彼の顔をまじまじと見つめる僕なのでありました。 そんなこんなで只今『新先生の生物講座』を受講しているばら男子の面々でありますが、彼らの一年先輩のももさんに目を移しますとこの『手乗りパフォーマンス』に果敢に挑戦出来るようになって参りました。一年前にはこの子達もカニやカマキリを「ほれ!」と差し出されて「わー!」「きゃー!」言っていたのでありましたが、それが一年も経ちますと自ら手を差し出そうと言う気にもなるのだから不思議なものです。そこに『やってみせる学び』の力の大きさを感じてしまう僕なのでありました。『自分の手にカニやカマキリを乗せて見せる』と言う実践パフォーマンスが、いつしか彼らに「僕にも出来る!」と言う想いを育んでくれたのだと思うのです。理屈じゃない・理論じゃない、リアリティーと実体験を伴った学びがそこにあると信じている僕なのでありました。サワガニもカマキリ同様、彼らの横歩き進行方向から掌を差し伸べてやったなら、そこにちゃっかり乗っかって来ます。でも動きの速いサワガニは駆け足で僕らの掌の上を横断して行ってしまいます。そこで子ども達が横並びに並びましてカニカニ君の行き先に次々と掌を出し伸べたなら、その小さな手による波頭の上をサワガニ君はサーフィンのように次へ次へと乗り継いでゆくのです。カニもつまもうとすれば怒って挟んでも来るのですが、僕らが自ら『道』に成りきることによってその上を歩いて行ってくれるようにもなるのでありました。 ある時このカニの姿を見つめながら、「これって僕らの目指している保育の姿に似ているね」とそんなことに気付かされた僕。『道』である僕らはカニのゆきたい方へ手を伸べ彼のことを受け止めてあげながら、その道自体を僕らの行って欲しい方向へと仕向けながら彼を導いて行ったなら、カニも自分の想いを満たしつつ僕らの望む方向へと機嫌よく向かって行ってくれるのです。それが強制力を持って腕や背中をつままれ自分の行きたい方向とは異なる方向へと行かされそうになった時、彼は全身全霊をもってその力にあらがおうとするのです。きっと僕らの目の前の子ども達も同じなんだと思うのです。結果として「『こっちにゆきなさい』と導かれた方向に行って良かった」と言う実感を伴った成功体験を得る前の子ども達に「こう言う風にやって!」と言って出される注文は、未知なる体験として彼らに不安を感じさせるものとなるのでしょう。であるならば、まずはその子の想いを受け止める『掌』となるところから僕らは始めたいと思うのです。その掌に居心地の良さを感じ「ここにいたら安心」と言う信頼関係をまずはゆっくりと構築し、その掌の上で彼らが落ち着きその状況を受け止められるようになってから段々と『僕らがこの子達に伸びて行って欲しいと願う方向へ』と僕らの体ごと向きを変えて行くことによって、お互いに想いを満たしながら互いに成長してゆける保育を体現してゆけるのではないかと思うのです。それには多大なる根気と辛抱が必要だと思いますが、神様はそのようにして私達を愛してくださいました。だから僕らもそれと同じようにこの子達に、自らの想いの延長線上に素晴らしい未来を描いて行って欲しいと願うのです。『キリスト教保育』と言う愛の教育を司る勤めを担う、イエス様の一番弟子として。 |