園庭の石段からみた情景〜園だより12月号より〜 2018.11.29
<秋の年少児成長物語三部作・結>
 運動会が終わってからこっち、のんびり過ごして来た10月が終わったばかりと思っていたら、交流行事でせわしなく園内外の出入りが多かった11月が早くも暮れてゆこうとしています。『せわしなく』とは言ってみたのでありますがしかし、『発表会』や『運動会』等のような行事を背負い込んでの気ぜわしさではありませんで、「忙しかったね」と言いつつも毎日移り変わる非日常の体験の数々が子ども達の適応能力の分化に大きく寄与してくれたそんな豊かな時だったような気がするのです。運動会でがんばることの心地良さと仲間と力を合わせて何かを体現してゆくことの素晴らしさを学び、そこで見出した課題や自らの『これ楽しい!』に基づいてその後の『まったり季節』にはじっくり遊び込んで来た子ども達。そんな自分に自信を付けながら仲間達との喜びを分かち合って来た日々の後、その世界を広げるべく他園他校との交流や他施設への慰問に見学会等を数多く行なった今月のカリキュラムは、子ども達の目と心の見つめる先を更に大きく広くしてゆくものとなったような気がしています。日常のルーティーンから外れた非日常の挑戦に対して、最初はドキドキもしてしまったことでしょう。しかし一つ一つの初体験が終わってみたならば、新しい友達も一杯出来、仲間と分かち合った新たな体験を「楽しかった!」と振り返って言えるようになったたくましい姿を僕らに見せてくれたのでありました。
 この仕組まれたように出来過ぎた教育課程、こう言う目論見で先生達がこの時期にこの順番でこれらの年間行事予定を組んだとも思えないのですが、それを直感でやってのけるのが今の教師陣のすごいところ。「これがやりたいんです!」と持って来る企画の一つ一つに情熱を強く感じるものの、それが一年間を通して俯瞰で見ているような雰囲気を感じさせないところにいつも注文を付けてしまうノリが悪く腰の重たい園長。それに対して煮え切らない僕を勢いと熱意のがっぷり四つの押し相撲で押し切って来る先生達。その間に納得出来るロジックと落とし所を見つけては『それではやってみましょうか』と相成るのでありますが、いつもこのように思ってもみない成果と収穫を与えられ、「よかったね」とその結果を感謝を持って受け止めている日土幼稚園の保育なのでありました。ただそれは僕らの才分によるものでは決してありません。僕を始めとして基本的にヌケの多い先生達、そんな僕ら・そして子ども達の想いを互いに補い合わせつつ、驚くべき化学変化をもって導いてくださる神様の御心こそが、僕らと僕らの仕事を子ども達の成長のきっかけとなる保育の業へと昇華して下さっているのだと思うのです。その代りに保護者の皆さんにはお詫び申し上げることやご理解ご協力を仰ぐことも多々あって、皆さんに支えられてこその日土幼稚園の保育とその成果であると改めて感じている次第です。
 今月の交流ラッシュで分かったこと。やっと自分の想いを自分らしさを持って表現出来るようになって来たとは言いながら、お次は『内弁慶』と言う自らの心の線の細さをまざまざと自分の課題として示された子ども達。終わってみたなら楽しかったのです、でも最初っからそれに乗ってゆくことは出来ませんでした(僕も新しいことにはとっつきにくい性分なのでその想いはよくよく分かるのです)。この楽しかった思い出に支えられ、次なる機会には更なる一歩を自分の想いを持って踏み込んで、喜びと楽しさに満ち満ちた自己表現に挑んでくれることを期待しています。そう、お次にやって来るのはクリスマス。これまたそこに向けて成長ストーリーがつながって行っているようで、何とも不思議な心持ちでこれまで・そしてこれからの子ども達の姿に想いを馳せる僕なのでありました。

 これらの交流による成長の姿は出向いて行くことの多かった年長・年中児に顕著だったかと思いきや、意外にもばら・たんぽぽさん達に確かなる変化を与えてくれたような気がして、不可思議な心持ちで今この子達の姿を見つめています。これまでは仲良し仲間同士による個人遊びを謳歌して、クラスでは教師との蜜月関係に喜びを得ていた子ども達。ちょっとでもそのパラダイスを侵害し干渉して来ようとする子があったなら、「やーめーてー!」と悲壮感漂う声で警鐘を鳴らし、先生の同情も得た上での合法的な排除を行なおうとする姿をよくよく見かけたものでありました。しかし合同礼拝において度々『淋しい人の友達になってあげてください』『子ども達を私の所に来させなさい。神の国はそのような者のものなのだから』等と言う聖書のお話とイエス様の御言葉を紹介し、『上手なアプローチが出来ないお友達のこともどうぞ受け入れてあげてください。そんなあなた達の優しさを神様は喜んで下さいます。そしてそんな子どもになってくれたなら先生達も嬉しいです』ってお話しを続けてこの子達に投げ掛けて来た種がいま芽を出しつつあるような気がしています。面白いのはぼーっと外を見つめている年長児や大あくびをしている年中児よりも、僕の足元で話を聞いているばらさんの方がずっと想いが伝わっていると言うこと。僕の顔をじっと見つめながら本当によくよくお話を聞いてくれるこの子達。ですから「いけん!いけん!」と言いそうになった瞬間にふと我に返るこの子達。きっと僕の顔を見て合同礼拝のお話を思い出してくれるのでしょう。「いいよ」と言って相手の想いを受け入れてくれるのでありました。本当にこの時のこの子達は偉いです。素敵な心がここに育ってくれていると思うのです。「我慢する子の方がかわいそう」って人は言うかも知れませんが、自らの想いを持って譲ってあげられる子達の方がそれだけ心は豊かに満たされているのです。また譲ってあげたことを共に喜んでくれる大人の評価に更に想いを満たされて、「より良く生きる自分でありたい」と願える人に育って行ってくれるはずとそんな風にも思うのです。ですからそこは大いに褒め称えてあげながら、でもそれだけでは両者の成長と満たされた想いにつなげることは出来ないので、『調停者』として間に入って執り成しを行なう僕ら教師。譲ってくれた子の想いを代弁し、「次はあなたがいいよって言ってあげてね」と受け入れてもらった子に教え諭すのです。我慢してあげる方に我慢してもらう方、どちらも特別な存在でなくお互い様のかわりばんこ。相手の想いをちょっとの我慢で受け入れられる時、「どうしてもこれでなくっちゃダメ!」と何物をも受け入れられないそんな時も、みんなみんなにあるのです。大人でもそう。でもそうやって譲って譲られてし合いながら、お互いが受け入れ合えるようになることそれこそが、この世に平和をもたらすことにつながるのです。ぼくらもいつも完璧な聖人君子でなくっていいのです。かわりばんこでいいのです。そう自分に・そして子ども達に諭しながら、この子達の関わりを一歩引いた所から見つめている僕なのです。
 そんな姿が見られるようになって来たのは、この子達の遊びが『個』から『集団』になって来た証しなのでありましょう。入れ代わり立ち代わり多くの来訪者との交わりを体験した子ども達。小さい子達になればなるほど、新たな出会いと交わりに心細さと不安感を感じるものなのでありましょう。年長児のように『新しいお友達と一緒に遊ぶこと』の楽しさを感じるにはまだまだ自分達の世界の間口が狭い年少児。いつもはやいのやいの言い合っている子達同士が身を寄せ合って遊ぶ姿に思わず笑ってしまいました。でもきっとそこで育まれた連帯感や友情がこの子達の人間関係に変化をもたらせてくれたのでしょう。いつもなら取り合いでひと悶着となる三輪車の争奪戦も、前と後ろを上手に入れ替え乗り換え合いながら嬉しそうに一緒に遊ぶ姿を最近よくよく見かけます。一人で走り回る孤高の三輪車ライダーを気取るより、後ろでわーきゃー言いながらドライブを共に喜んでくれる賑やかしの友がいるタンデムライドの方がもっと楽しいと気付きを与えられたのでしょう。三輪車遊びがこのように発展して来たことを嬉しく見つめていた僕なのでありました。

 また年長・年中の十八番だったサッカーにも年少児がよくよく「いれて!」と入って来るようになりました。三輪車の爆走遊び以外ではまったり遊ぶことの多かった男の子達がサッカーに次々と参戦して参りまして、日に日に増えてゆく新顔君に僕も相当てこずらされています。ある交流会のあった日のこと、朝イチにばらさん達が「おとな対こども!」と言って僕を引っ張り出しサッカーを始めたと思いきや、しばらく経って朝のひと仕事を終えたすみれ・もも組がその中に加わり始め、その後到着した他園の子ども達が入って来てサッカー対決でまたひと勝負。お昼時を挟んでみんなでサッカーに興じたと思いきや、帰園のために一足早く帰って行った子ども達とまたお仕事のために一足先にお部屋に入った年長・年中さんが抜けた後に「まだやる!」と押し寄せて来たばらさん達にお付き合いしましてお帰り前のお片付けまで一日中サッカー三昧で明け暮れることになったその日の僕でありました。その間、子ども達は出たり入ったりメンバーをくるくる代えながらのサッカー遊びだったのですが、この僕はと言えば積算すれば一日5時間の保育時間の間、90分のフルタイムはサッカーをしていたのではと思われるほどのサッカー尽くし。その日は本当にへろへろになりながらも、この子達の運動遊びに対する想いの分化にうれしさを感じさせられたものでありました。

 この子達の集団遊びはこの他にもまたまだ新たな姿を見せています。こんな男子に対しまして女の子達は?と言いますと、この秋にディズニーランド旅行へと行って来た女の子が以前に行ったことのある子と意気投合。なぜかアトラクションではなく『ホテルの記憶』が印象的であったようでして、その子達が始めたのはなんと『ホテルごっこ』。ディズニーワールドで過ごした夢のような記憶がなぜかホテルに凝縮されているようで、そこに年少女児(まあやちゃんを含む)が集まり身を寄せ合って嬉しそうに遊んでおりました。また年中さんの間で一足先にブームとなった『ごりごり君色水遊び』をばらさんだけで興じる姿も見られるようになりました。これまでお姉ちゃん達にお世話されながら交ぜてもらっていた色水遊びを自分達で擂り鉢と擂り粉木を握りしめ、教え合いながら楽しそうにやっています。最初は2L入りの麦茶ポットに直接はっぱを入れましてその上から擂り粉木で混ぜ混ぜしていた子もあったのですが、勝手知ったる『ごりごり遊びマスターちゃん』が「こうやってやるのよ」とやって見せたなら、すぐにみんな擂り鉢と擂り粉木を使いこなせるようになりまして、ヨモギのはっぱから『綾鷹』のような透明感とお茶の濁りの入り混じった素敵なジュースを抽出して遊んでいたものでありました。
 また山の入り口にある井戸の上の坂道では、今『くるみ転がし』が大人気。一人のばらさんが始めたただただ坂の上からくるみを転がすことを楽しむ遊びだったのですが、その不可思議な面白さがももさんすみれさんをも呼び込んで、自分達で付加ミッションを設定しながら面白味の高い遊びへと進化させている様子。そう、発信源は年長のこともあれば一番下のたんぽぽさんのこともあるのです。誰かが素晴らしい感性を持って気が付いた「あ、これ面白い!」がみんなみんなに伝わって、そこに誰かのアイディアも加わって、大衆性の高い面白い遊びへと昇華してゆくのです。そこに必要なのは子ども同士の関わり合い。一人ならそれだけで終わってしまう遊びも、みんなでやれば楽しさが幾重にも増し加わって、更にそこから面白い遊びへと発展してゆくのです。そんな姿を見せてくれた今月のこの子達なのでありました。毎日の繰り返しの日々の中ではなかなか気付けない子ども達の成長ですが、こんなしてちゃんと一歩一歩確かに成長してくれています。そのことを感謝して受け止めながら、また子ども達の想いの変化と成長を見つけてゆきたいと願っている今日この頃です。この秋連載して来た年少児成長物語三部作、とりあえず結。


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