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<僕らのクリスマス成長物語> 今年は数多くの『例年並み』とは違った異常気象の中を歩んで来ました私達。年明けの寒波豪雪で凍えあがり登園や生活もままならぬそんな体験もいたしました。いつまでも寒い冬が続くかと思っていたら気温急上昇の春が訪れて、それに伴い水質環境が急変した水槽の魚達が病気になってみんな死んでしまったこともありました。また夏はまだ皆さんの記憶にも強烈に残っているあの七月豪雨で再度暮らしに混乱と大被害が生じまして、大変な想いをなさった身近な人々の姿を見つめ祈るしか出来ない体験をしたものでもありました。そんな非常事とそれに伴う災害被害がいくつもあったこの一年でしたが、僕らはこの年の最後にもうひとつショッキングな出来事を経験いたしました。幼稚園の下を流れる喜木川が枯れたのです。 一番水のない時には幼稚園から数えて3本目の昭和橋のところまで水がなくなり、白々とした川底が顔を覗かせました。過去にも日土橋を越えて喜木に入ると水が枯れることはあったのですが、日土のこんな深く入って来た所まで水が枯れたことを僕はかつて見たことがありませんでした。僕にとって喜木川は日土の自然の象徴。水面をハヤが泳ぎ川底をどんこが這いまわる豊かなる川。川面をカワセミがコバルトブルーの背中を見せながら低く飛び、コサギやアオサギ達が餌を狙って闊歩する、そんな豊かさに満ち溢れていたこの故郷の川が枯れてしまうなんて、僕は想像だにしたことはありませんでした。そんな命の輝きに満ちていたこの川が、見たことあるはずもないのですが『賽の河原』のような死のイメージに塗り尽くされた荒涼とした姿となってしまったその時に、「誰がこんなにしたんだ」と言う言葉を思い出してしまいました。 解剖学者の養老孟司先生はある著書の中で、『神戸淡路大震災で瓦礫と化した街並みを見て「誰がこんなにしたんだ!」と言った人があったが、これが現代の都市型人間の思考回路を表わしている』と言っています。その特徴として結果を目の前に突き付けられた時、『それは誰かの仕業で誰かがしたからそうなったんだ』とその原因と責任を他人に押し付けようとするのだそうです。誰が何をしなくてもそうなることはあることだと、田舎で自然と共に暮らしていればおのずと分かるもののはず。そこから諦観が芽生えゆき、そして有事を受け入れ自然や他者と共生すると言う生き方が人々の中に育ってゆくのです。しかし日本人は戦後、徹底的に自然を排除した街作りを行ない、そこでの都市型生活を謳歌して来ました。街中に限らず県道・市道の公道ではかなりの達成度で舗装化がすすめられ、雨が降って自動車がぬかるみにはまって動けなくなるようなことはまずなくなりました。しかしそのために雨水が地面に浸み込まなくなり、雨が降れば一気に川に水が流れ、山肌を削って土砂崩れを起こしたり、度々河川の氾濫を呼び起こすようにもなりました。最近のゲリラ豪雨は『温暖化による日本本土の亜熱帯化』やエネルギーの大量消費に伴う『ヒートアイランド現象』との因果関係が指摘されています。私達は自然災害の責任をインフラ監督者である行政に押し付けてしまいがちですが、そのような暮らしを望んだのは我々自身であることを忘れてはいけないのです。『望めば手に入れられる』と言う経済的・物質的に豊かな時代になりました。戦争ですべてを失ったところから「みんなでがんばろう!」と再び歩み始めたこの国のベクトルは間違ってはいなかったと思うのです。そうして豊かな生活を想像し、その実現のために皆が努力をして来た姿は美しいものでさえありました。しかし現代はそれを実現する力があまりに大きくなってしまったのです。昔も豊かさの実現と引き換えに公害や非人道的な労働条件が社会問題として浮かび上がり、その度に私達はそれらに向き合って自らの歩むべき道筋を正して参りました。現代における問題はそれらが法律に抵触するものではなく、全くの悪でもないと言う所にあることなのかも知れません。豊かな生活を享受すること、子ども達・そして自分自身がわずらわしい想いをしないで済むことを追及してゆくこと、「それがどうしていけないの?」と思うのは誰もが同じでありましょう。しかしそのためにどれだけのエネルギーが消費され、自然が・そしてこの地球が傷みを受けているかと言うことを僕らは想像出来ているでしょうか。昔の年寄りはもっともっと貧しい時代を生きて来ましたから、そのことを無意識のうちに肌で感じていたようです。「もったいない」、そう言ってお年寄りから自らのおごりや自惚れをとがめられたことが幾度となくあったものでした。 僕の祖父もそう言うことには口うるさい人でした。子どもの頃の夏休み、今の幼稚園の職員室で宿題をやっていた僕は「昼間っから電気なぞつけるな!」と叱られて唖然としたことがありました。あまりにも唐突なことで言い返すことも出来ませんでしたが、かなり憤慨もいたしました。「勉強してるんだよ、こっちは!」と。しかし今思い返したなら、この時の祖父の一喝から学んだことは大きかったと思うのです。灯りのことはともかくとして、『勉強しているから何をしてもいい』と言う考え方、それは間違っている。その考え方に基づいて子どもが育って行ったなら、『勉強して良い学校に入るためなら、ほかのことはわがまま言い通しても構わない。親を尊敬もせず、友達に優しくなんかしなくってもそれでいい』って人間が出来上がるのではないかと。今、子育てや教育に携わる仕事をしていてそんなことを思えるようになったのは、あの時の祖父の言葉があったからだと思うのです。「これは必要なんだ」と思う想いにも省みが必要だと、あれ以来「いる、いらない」でグズグズ考える癖がついた僕。その結果「これは必要」と思うことに関しても、冷暖房では設定を低めに抑えたり、ちょっと席を離れる時には部屋の灯りを消して行ったりと、おかげさまでそんなケチクサイ癖がつきました。そんなことをしたところでどれだけ電気代や灯油代が節約出来るか分かりません。でもそのことによって確実に消費エネルギーは抑えられ、熱エネルギー・CO2の排出量は抑制されるのです。そんなことの積み重ねが、これから僕らがこの自然を守ってゆく実行力となってゆくのではないかと、干上がった喜木川を見つめる度にそんな風に思うのでありました。 思い出話から話が横道にそれましたが、さて話を戻しまして、こんな都市型人間的思考は自称『いなかびと』としてこの田舎で牧歌的にのほほんと暮らしている僕には当てはまらないだろうなとずっと思っておりました。それが先日、朝の庭掃除で毎日使っている熊手の手先を見た時のことです。ふとその手先を見つめるとはっぱを集めるために曲げられているはずの返しがきれいに無くなっていたのです。大事に使っていて、壊れるようなことを一切していないと言う自負が僕にはありましたから、「だれがこんなにしちゃったの!」と思わず思ってしまいました。僕の周りの大人達は道具を無理に使って壊す名人揃い。その返しがなくなった手先を見て「また草刈り機ででも切り落としちゃったんだろう」と思ったものでした。大事にしていた熊手をこんなにされてしばらくプンプンしていたのですが、もう一度手先を見ているうちにあることに気が付いたのです。その無くなった返しの部分は鋭利な刃物で切り落とされたような切り口ではなく、角の取れた丸みを帯びた断面になっていたのです。それを見てはたと犯人に気付いてしまった僕。そう、犯人は僕自身だったのです。 毎朝幼稚園の門前の掃き掃除をこの熊手でしている僕。ここはアスファルトで舗装された固い地面。落ち葉の掃き掃除は路面の濡れ加減で集まり易かったり難かったり様々です。特に『ぬれ落ち葉』の時にははいてもなかなか集まらず、ついつい苛立って必要以上に力が入ってしまうもの。そんな時にこの手先にかかる応力は抵抗の増加もあいまって如何に大きなものとなっていることでしょう。その力で固い路面をガリガリやれば竹製の熊手です。すり減ってしまうものモノの道理と言う訳で、全ては毎日毎日一生懸命掃き掃除をしていたが故の僕の仕業であった訳です。この時ばかりは自分の思い込みと稚拙な洞察力にかなりがっかりしてしまいました。自分はこれまで自らを低きに置いて物事を客観的に見ることが出来ていると思っていたので、全然なっていない自分・そして人のせいにして怒りの行き場を求めていた自分と言うものに向き合い愕然としてしまった訳です。偉そうに言っているこの僕が現代の都市型人間そのものだったのです。 でも人間とは往々にしてそう言うもの。一生懸命生きているからこそ、毎日毎日ちょっとずつ自らの身と心をすり減らし、気が付いた時にはびっくりするくらいの疲れが心に溜まっているそう言うものです。しかし、毎日掃き掃除をしてきれいになった門前の舗装路を見つめながら沢山の満足感と喜びをも感じさせてもらって来た僕。決して無意味に熊手や心をすり減らして来た訳ではないのです。毎朝の掃き掃除のこの時間は、ひたすら落ち葉を掻きながら色々なことを考えひらめき思い付きもした大切な時間でもありました。お寺の小僧さんが修行に掃き掃除をすると言うことには、『単純繰り返し作業』を行いながら自分自身と向き合う時間を持つと言う意味が含まれているのだろうと、今回のことで改めてそう思ったものでありました。そして自分自身を今一度見つめ直し、僕の子ども達に対する目線についても、もう一度検証してみなければと思わされたそんな出来事でありました。 おかげさまで今年の幼稚園のクリスマスも無事に終えることが出来ました。今年も子ども達、それぞれに与えられたその役割に一生懸命取り組み応えてくれました。聖劇もそう。キャスティングについては先生達が描いた青写真が別にあったのですが、子ども達に希望を聞いた所それを大幅に変更しなければならない事態になりまして、いっときは「えー、だいじょうぶー?」と心騒がせたこともありました。僕らが選ぶキャスティングの基準はやはり確実性とその範囲にある子ども達のトライ&チャレンジ。しかし子ども達は僕らの評価とは違った主観性を持って自分を見つめていますから「これやりたい!」や「これやりたくないなぁ」と言う想いをいだいています。ここで子ども達の本当の力となるものは「これやりたい!」の想いなのです。それは僕らの『この子ならこれ大丈夫の想い』+その子の『でもやりたくないなぁの想い』より何杯も力があることを今回この子達は証明してくれました。 最初『ヨセフはこの子に』と言う目論見があった教師陣、そこに「僕やりたい!」と手を上げた別の男の子がありました。発表会行事がある毎に「やりたくないなぁ」ってところから始まるこの男の子。やりたくないからサボタージュややる気のない行動がみんなとの協調と干渉し、それを指摘されるからなおさらのことグダグダになると言う悪循環…と言う歩みがこれまでの彼の常でした。それが今回は本当にやりたかったのでしょうか、はたまた自ら手を挙げた責任感からだったのでありましょうか。アドベントに入ってから4週間と言う長丁場の間、一番安定して練習に取り組んでくれたこの男の子。僕らの演技指導に対しても、これまでならひとこと言われたならそこからぐずぐずスネクレ出して、『出来るのにわざとやらないパフォーマンス』をするものだから更に泥沼に沈んで行ったものでありましたが、今回はその言葉をもしっかり受け止めて自分の演技に反映してくれるではありませんか。加えて演技力・表現力は歴代のヨセフから比べてみても逸品で、それを自然にやってのけているそんな感じ。マリヤさんとのツーショット、「マリヤさん疲れましたか?もうすぐですよ」のくだりはマリヤさんの顔をしっかと見つめ、ねぎらいのまなざしと優しい微笑みで語りかけてくれまして、「君、天才!」と思わず心の中で思ったものでありました。ここはどうしてもテレが入って、セリフが棒読みになったり緊張で言葉がぶっきらぼうになったりと、毎年ヨセフさんに指導が入るところだったのですが、今年に関しては一切ノーディレクション。その上、毎回「上手上手!」と褒められるものだから彼のご機嫌も上々で、あの『グダグダ姿』を見ることのなかった今年のアドベント週間でありました。彼のそんな姿に喜びと学びを得た気がしたものです。『いっせーの、せ!』が苦手な彼が『オンリーワン』の独り舞台で自分の活かし方について成功体験を得たこのヨセフ抜擢。人から評価される喜びをこのクリスマスで一杯一杯に心に感じて、次には『協調』の場面においても『自分らしさを発揮しながらみんなの中に溶け込んで行けばいいんだ』と言うことを体現してくれることを望んでいます。それにしても本当に良かった彼のヨセフ。もっとも『根っからの女ったらし』で、この役以外では元のグダグダ君に戻ってしまうなんてことがないことを祈っています。 もう一人、今度は聖劇の助演男優賞をご紹介。それは宿屋さんの男の子。今年の登場人物リストを作っている時にある問題が発覚しました。『キャスティングするのに人が足りない』。そこで出て来た案が一人二役。一人二役を成り立たせるためにはその役同士に干渉がないことが必須条件。『同じ幕で出て来ない二役を一人でする』、その条件に一番合った役が宿屋と星だったのです。しかもそれが出来そうな子が一人おりました。去年もこの役を上手にやって見せてくれた勝手知ったる宿屋さん。しかもばら組の去年からセリフもばっちり入っていて、セリフを言いたくてうずうずしていたこの男の子。しかし『子ども達に対する平等化の為に』と言うお題目によりまして『ばらの子はセリフ無しの歌だけ出演』と言う自主規制の取り決めを作った去年の劇上で彼は言葉を発することはありませんでした。そんな彼のリベンジと去年からすでにあった安定感から、この子ならこの役プラスもう一役の二役が出来ると僕らは目論んだのでありました。得意なことを上手にやってのけて人から称賛されるのが大好きなこの男の子(誰でもそうであるものですが)。二つ返事でOKをくれるかと思いきや「ヨセフがやりたい!」。僕らの目論見はここでガラガラと音を立てて崩れ去って行ったのでありました。 ここで自分の想いを押し付けなかった美香先生はえらかった。子ども達の想いを尊重しながら配役のプランニングを再考します。他の子ども達の想いを聞いてゆくと、やはり一番人気の羊飼いに多くの手が上がりました。キャスティング3人に対して4人の立候補。こう言うのが一番難しい。誰か一人はこの役を出来ずに他の役に回らなければならないのです。先生は当人達に相談させることにいたしました。この状況がある男の子に英断をもたらせたのでありました。「僕、ゆずってあげていいよ」、彼の男気が美香先生を・クラスメイト達を・そして今年の聖劇を救ってくれたのです。先程のヨセフさんと違って根っからのアーティストではないこの男の子。演じる自分に酔いしれるタイプでは決してありません。しかしその分、根っからの真面目君。彼の二刀流への挑戦はここから始まったのでありました。 皆さんは聖劇と言うと花形はマリヤであり一番天使であり三人の博士だと思うでありましょう。しかし子ども達の一番人気は羊飼い。みんなと一緒の安心感に加え、杖と言うアイテムがなんとも子ども心をくすぐるようなのです。では宿屋・星と言ったらどうでしょう。「いいけれどやっぱり脇役よね」と思われるのではないでしょうか。僕ら教師からしてみればどの役がいい役でどの役がそうでないと言う想いはありません。だってどの役が欠けても日土幼稚園の聖劇は成り立たないのですから。しかし現代は何に対してもランクをつけなければ気が済まない、そんな時代になっているのかも知れません。でも考えてもみてください。もも組での宿屋や星は決して珍しいものではありません。これまでも数々の名優達がその立ち振る舞いで僕らを魅了して来てくれました。しかし思い起こしてみたならば、みんな『すみれあっての二番手』での配役だったではなかったでしょうか。また百歩譲って『すみれ無しの一番手』の時があったとしても、その後ろには何人かの仲間があったはず。ももさん一人で宿屋もしくは星をやった年はなかったはず。しかも両方。これを野球で例えるならば、メジャーリーグ・ルーキーイヤーに二刀流で活躍した大谷選手のようなもの。あちらではベーブルース以来と評されている彼ですが、こちらの彼は日土幼稚園聖劇史上初の大偉業だった訳であります。大切なのはどの役をやったかではありません。子ども達がその役にどのように挑みどのようにがんばったか、僕らはそこをこそ評価すべきなのだと思うのです。 この一見地味な役の一人二役、大変な割には見栄えがしないと言われるかもしれないこの配役にこの子は一生懸命打ち込んでやってくれました。彼が苦労していたのは星の唄う歌の中の1番2番、『あなたはどこから来たの』と『どこまでいくの』の使い分け。「なんでこれくらい出来ないの?」と大人は思うかも知れませんが、よくよく考えてみてください。これは4次元の時空理解と文法表現が出来ないと本当には使いこなせない大変難しい概念なのです。『今』『ここ』と言うポジションにいる星が博士に尋ねます。『ここに居るあなたはこれ以前はどこに居たのですか?』。過去と言う時間における元居た場所を尋ねるから『どこから来たの?』と現在完了形の問いになるのです。そして2番は『ここに今居るあなたはこれからどこに行こうとしているの?(でもちゃんと決まっているのよね)』とbe going to の未来形で描かれています。それを国語も英文法も習っていない5歳の男の子が役の歌で歌うのは理屈ではないのです。リズムと語呂で覚えてゆくしかないのです。さぞかし大変だったことでしょう。でも彼はそれをやってのけてくれました。最初はこのくだりに四苦八苦していた男の子でありましたが、この箇所に来ると歌のテンポをちょっと落とし、一言一言確かめるように丁寧に歌うその姿に僕は感銘を覚えたものでありました。『イヤなこと・苦手なことは早く済ませてしまいたい』とついつい早口になってしまったり、歌やセリフの途中で身体がもう次のアクションに入ってしまう子達が結構あるものなのですが、苦手を抱えた自分に対して意識を持って向き合っているこの男の子の姿は『僕らが子ども達に目指して欲しいと願うありよう』をストレートに体現してくれているものでありました。決して器用ではないこの男の子。でも今回の立候補しかり・星歌レッスンこれまたしかり、自分がどうしたら良いのかと言うことをきちんと考えて、自分に・そして周りに答えを返すことの出来る器の大きさを色んなところで感じさせてくれました。クリスマスへの道のりを歩みながらこんなにも大きな成長を見せてくれたこと、神様に感謝でありました。 子ども達のこんな姿を見つめながら、「こんなのストレス。かわいそう」と言うお母さんもあるでしょう。そう、無負荷の状態では応力・ストレスはかかりません。材料工学の世界では試験片に応力をかけ続けたなら限界値を超えると破断を迎えて破損してしまいます。掃除の熊手も日に日に手先が短くすり減ってゆき、いずれは使えなくなってしまいます。では人間はどうでしょう。摩耗によって心をすり減らすだけでしょうか。応力によって疲労破断してしまうのでしょうか。いっときは自分のシンクロポイントを探しているクラッチのように滑ることで自分自身をすり減らすこともあるでしょう。しかし、自身の心地良さとポテンシャルを存分に発揮出来る『ここ!』と言うシンクロベストポジションを探り当てたなら、そこからは自分のパフォーマンスを最大限に発揮して行ってくれるはず。そう、それが『自分らしく生きる』と言うこと。そう、そのシンクロポイントは人それぞれみんな違います。だからみんな迷い悩み生きるのです。他人のベストパフォーマンスをただただ真似ようとしてみても、それが自分には心地良くなかったりなんか違和感を感じたり、そんなことが往々にして起こるもの。それは自分の心とシンクロしていないから。神様から与えられた自分の能力と感性、それが世間にも「イイネ!」と受け入れられる才能(その時代においては評価されないこともあるのですが)とクロスオーバーしてみんなに喜んでもらえたその時に、僕らは幸せと喜びを感じるのではないでしょうか。 しかも人間は成長する生き物です。機械であるならば設計値が最大のパフォーマンスとなり、そこから外乱や稼働条件によってスコアーを落としてゆくものなのですが、人間はそこから更にパフォーマンスを上げてゆくことの出来る存在なのです。すり減っていると思っているクラッチ板がそれ以上に厚みを増すと言う成長を遂げて見せてくれたり、クラッチ同士を当てつける付勢力が大きく力強くなって行ったりと、機械では作り直さなければ向上するはずもない性能が彼らのこの経験とそれに立ち向かうトレーニングによってどんどん高まってゆくのです。ここで一つ間違えてはいけないのが『僕らは結果至上主義になってしまってはいけない』と言うこと。僕らが望んでいるのは、『この子達が今の自分よりも大きな未知なる自分に向き合えるようになってゆくこと』です。最初は「いやだなー」で逃避することもあるでしょう。心がすり減る想いをすることがあるかも知れません。でもそんな自分と向き合いながら、「もうちょっとがんばってやろう」と言う想いが育って行ってくれたなら、その子はそこで学んだやり方や自分との折り合いの付け方を武器に、次なる壁が現れた時にも「僕は行ける!やれる!」と言う自信に満たされながら前に進んでゆくことが出来るはず。人生は同じことの繰り返し。成長あってこその新たな壁がまた現れてその行く先を遮るものなのですが、その壁が高くなったとしても自分の力も前よりずっと高まっているのです。その自分を信じてがんばって行けたなら、きっとその壁も乗り越えてゆけるはず。そうやって自分と向き合いその時々の自分を乗り越えてゆく者こそが、自らの想いと力を持って未来を切り開いてゆける人になれるのだと、僕はそう思うのです。彼らのお母さん達はそうやってがんばろうとしている我が子を励まし支えてくれました。その支えがあったからこそのこの子達の成長だったと、僕はそう思うのです。 聖劇のエンディング曲の2番の歌詞に『私たちの主イエス様。子ども達を祝福し、いつも支え励まして御国の子としてください。』と言うくだりがあります。イエス様は子ども達のがんばる姿を祝福してくださるのです。そして支え励まして下さるのです。決して目の前の負荷やわずらわしさを取り除いて甘やかせてくれると言う訳ではありません。でもイエス様はこの子達のことを信じて「がんばれ」と支え励まして下さるのです。僕らもそう言うイエス様の愛に倣いたいと思うのです。借金の取り立てのように「結果を出せ出せ!」と言う投げかけでは決してなく、「自分らしくがんばってみなさい」と優しく励まして下さるのがイエス様の愛。『今はそれが出来ないかもしれないけれど、でもこのがんばりをあきらめないその事こそがなにより大事だと言うこと』を僕らに語りかけて下さっているのです。そのことを色んなところで色々な機会にお母さん達にも投げ掛けているのが日土幼稚園のキリスト教保育。その想いを感じ汲み上げてお家でも子ども達に想いを投げかけ辛抱強く見守ってくださっているお母さん達に、僕らは本当に支えていただいています。今回の聖劇への道のりでも「その役、受けておいで」と我が子の背中を押してくれたお母さんがありました。軽く明るく言ってのけたその裏に、『あの子、大丈夫だろうか』と言う想いが何度も何度も押し寄せて、我が子以上にハラハラドキドキされたと後で聞かせていただいたのですが、そうしながらも我が子を信じ支え励まし切ったそのことが確かに彼の支えとなったのです。そう、子どもを信じ切る力こそがこれからも、この子達を育て成長させてゆく源となるのです。 |