園庭の石段からみた情景〜園だより春休み〜 2019.3.11
<もしもし糸電話狂想曲>
 自然とはちゃんと借りたものを埋め合わせ『つじつま』を合わせてくれるものなのでありましょう。川が枯れる程に雨の少なかった今年の冬が、山を潤し草木を青々と育てる次の季節へとたすきを渡すように、雨の多い春の入りとなりました。おかげで幼稚園下の喜木川も再び水の流れを取り戻してくれたのですが、そこにはいつもあれほど濃く見られたハヤの魚影を臨むことは出来ません。『自然の断絶』とはもう言うもの。見た目には元に戻ったように見えても、それによって失われたものはすぐには帰って来ないのです。でも自然は もひとつ懐の大きなゆりかごです。この自然が細々とでも守られて行ったなら、きっとそこに草が生え花が咲き、魚も戻り清流を泳ぎ、鳥がこの大空を飛び交うあの桃源郷のような故郷の姿を、きっと取り戻して行ってくれることでしょう。幼稚園もまたしかり。それが本当に良いものであるならば、きっとまたここに集って来る仲間が与えられることでしょう。『地の塩・世の光』としてキリスト教保育を90年間に渡って続けて来た日土幼稚園。数の原理に翻弄させる現代にあっても、神様に喜んでいただける良き保育を示し続けたその結果、自ら「ここがいい!」と選んで来て下さった方々と共に歩んで来られたことに改めて感謝です。また今時代が変わろうとしていますが、そんな時だからこそ大勢に流されずに日土幼稚園らしく、子ども達と歩んでゆきたいと思うのです。

 今年最後のひよこクラブは11名の子ども達の参加を与えられ、賑やかに行うことが出来ました。その中で子ども達に投げかけた製作『ぽとんぽとん…の糸電話』は子ども達が大喜びの工作となりました。今はスマホの時代です。自宅の固定電話でさえコードレス。そんな現代生活の中にあって『糸電話』と言ってもどれだけの子ども達が興味を示すだろうと少々不安に思っていたのですが、なんのなんのエジソン並のインスピレーションで大喜びしてくれた子ども達。最初こそ、紙コップを持って『ごくごくジュースを飲む振りおままごとパフォーマンス』で笑わせてくれたひよこちゃん達であったのですが、段々と『糸電話とはなんぞや』を遊びながら体得して行ったこの子達。紙コップを耳に当て口に当てし、「はいこっち、あなたが持って!」とお母さんやお友達に渡して遊ぶ姿を感心しながら見つめていた僕なのでありました。やはり物理学は不変です。電池も電源もないこんなモノとモノの組み合わせによって生じるオモシロ現象を、子ども達は自ら捉え自分の遊びの中にフューチャーしてゆく大天才。トランシーバーのように一方向通信と言う法則の理解はまだ難しいのですが、カップの中を反響して増幅して来た自分の声・それも糸を止めるために結わえたクリップが振動によってびびり音を生じさせてエコーのように聞こえて来たマイボイスに喜んでみたり、糸電話のひもがぴんとなったその時にカップの中から伝わり聞こえて来たお母さんの声に大興奮してみたり、大いにこの糸電話遊びを楽しんでくれたようでありました。エジソンらが発明した電話の原理も元々はこう言うもの。音声を信号に変換して有線の伝達媒体を通して遠くに情報を伝える原理を、遊びの中で追体験したこの子達。きっとこの中から次世代の通信手段を発明してくれる発明家が生まれてくれるのではないかと、この子達の姿を見つめながら思った僕なのでありました。

 さて、ひよこ製作のおすそ分けをたんぽぽ組に持って行っては、彼らの発奮アシストに用いている今年の僕。この日は丁度給食の日で「早く食べちゃって、一緒にこれ作ろう!」と投げかけたなら、心なしか食べるピッチも上がった気がします。食事の終わったその頃に再び訪れ、約束通り製作を子ども達と一緒に始める僕なのでありました。4人のたんぽぽさんであるから出来るこの『製作サービス』なのでありますが、お隣のばらさんがどこからかこの情報を聞きつけて来て「わたしもつくりたい!」とやって来ます。いつものお面やバッグならば材料を提供したならそれでなんとか自分達で作ってくれるのでありますが、今回はちょっとハイテクノロジーの糸電話。紙コップに穴を開けて糸を張り電話の体を成すところまで作ってあげないと始まらないので、そこまでは僕のハンドメイドのマニファクチュア。それが10人を超える希望者が「僕も!」「私も!」言うものだから、ひよこクラブに続きましてここでも納品待ちの大ヒット商品となったのでありました。
 本来はこの糸電話をベースに、ここに『ぽとんぽとんワールド』のオブジェを飾って楽しむ製作だったのでありますが、ばら女子達は「これだけでいい!」と出来上がった糸電話を早々にひったくって、その内側に油性マジックで色を塗り始めました。この主旨がとうとう最後まで分からなかった僕。電話として使った時に外見的には全く何も見えないこの紙コップの内側面。それどころかインクが乾き切らずに残っていたなら、「もしもし!」ってやった時に口の周りには『泥棒ひげ』がくっきりと残るであろうこのペイント大作戦。でもなぜかその作業にみんなして興じていたこの子達の想いを面白おかしく見つめていた僕らなのでありました。幸いにも『泥棒ひげ』になることはなかった子ども達。あっちでもこっちでも原理を理解することもなく、たるんだ糸で声が聞こえて来ないはずの糸電話で大盛り上がりしていたものでありました。『面白いのツボ』は物理学では語れないもののようです。
 そんなこんなで『アナクロなモノ』から刺激を受けつつ自らのインスピレーションを一杯に用いて自分の遊びの世界を広げている子ども達。この想いこそがこの子達が神様から賜った、持って生まれて来た賜物だと思うのです。これが何に化けるかは分かりません。「それはこれからのこの子達の成長と僕らの保育にかかっているんだよね」とそんなことを思わされた、暖かな春の日でありました。


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