園庭の石段からみた情景〜園だより春休み〜 2019.3.6
<帰郷2019春>
 今年は暖かい冬を過ごして来たものの、立春を過ぎてもまだ冷たい北風の吹く日々が続いていたのですが、その北風君達を共に連れて行ってくれたのでありましょうか。祖母の葬儀の日以降、本当に温かい陽射しに包まれた春の日が続くようになりました。春へのともしびとして長い間ほんのり咲いていた白梅や川津桜が散り始め、それに代わって もひとつはっきりとした濃い色の陽光桜が花を満開に咲き誇らせ、辺りの土手一面に咲き乱れる菜の花も今が花盛りでありましょう。これまで もひとつ素直になれなかった息子・孫らの男連中が、祖母を本当に送った後にちょっぴりしゅんとしている今の姿に、『しんみり』よりも『華々しく賑やかなこと』が好きだった彼女が「そんなんでどうすんの。ほら、もっとぴっとせいよ!」と語りかけて来ているのでしょう。そう、息子なんてそんなもの。そして母とはそう言うもの。息子を想う母の心とはそう言うものなのかも知れません。

 祖母の前夜式・葬儀では彼女のおかげで沢山の懐かしい顔にお目にかかることが出来て嬉しかったのですが、それと共に参列してくださった方々の幅の広さに改めて驚かされたものでした。僕とはあまり面識がないような雲の上の人々で言ったなら新旧の市長さんから始まりまして議員さんや側近ブレーンの方々。「こんな人達とばあちゃんはどんな交流があったんだろう?」と変な興味が湧き上がって来たものでありました。どこにでも首を突っ込んで顔を出し飛び回っていた彼女。「きっと色んな人達に良くして、沢山の人達から愛されたんだろうな」と思ったものでした。天性の社交性に加え、『あなたの隣人を愛しなさい』と言う聖書の御言葉を信じて生きた彼女は、どんな人にも優しかったんだろうと、この葬儀に訪れて下さった沢山の人々を見つめながらそう思わされたものでありました。でもその中に僕も知っている卒園生の姿を見つけるとやっぱりほっとするものです。もう高校生になったその子達を見つめながら、祖母が幼稚園の現場を退いてから10年ほどにもなることを思い起こしました。「祖母とFace to Faceで関わり『英語遊び』で英語の楽しさを教わった最後の世代がこの子達なんだな…」と思い、彼らの想いを嬉しく受け止めさせてもらいました。「この子達も、おばあちゃん先生が大好きだったんだな」と。
 翌日は日曜学校のために午後から幼稚園まで降りて来た僕と母。結果として誰も来なかった日であっても、毎週準備を整え子ども達が来てくれるのを待ち望んでいる僕ら。その日も出席者がなかったのですが、日曜学校の終わりの時間頃、一本の電話が届きました。「はい、日土幼稚園です」と言う僕の言葉に「こんにちは、〇〇〇〇〇です」とフルネームで答えた若い女性の声。それは卒園生の女の子でありました。卒園してから十数年の時が経つ彼女。「名字だけ言って誰か分からなかったらいけない」と言う想いから述べたフルネームであったのだと思うのですが、日土幼稚園に入園して来た時分、三歳になりたてのおちびちゃんだったにも関わらずこの時と同じように「〇〇〇〇〇です。よろしくおねがいします」としっかり言ってのけた武勇伝をこれまた思い出してしまったりして、なんだか嬉しいやらおかしいやら。「明日、みんなで幼稚園に遊びに行きたいのですが…」と言う彼女の言葉に「どうぞ、よろこんで」と本当に喜びつつ答えた僕なのでありました。電話を置いた後、「今日、日曜学校に出て来て子ども達を待っていてよかった」と思った僕。この子の仲良しが昨日の葬儀に来てくれたのを見かけたのですが、おそらくそこから仲間内に話しが広がり、「みんなでおばあちゃん先生に会いに行こう!」と言うことになったのでありましょう。今日、ここに居なければこの電話を取ることも出来ませんでした。これはきっと「幼稚園も教会・日曜学校もいつも通りちゃんとしてゆくことこそが、祖母への何よりの恩返し」と事ある毎に自分の中でつぶやきつつ、ヘタレながらもがんばっている僕への、祖母からのプレゼントだったのかも知れません。

 翌日、約束の時間にやって来ました、日土幼稚園の第76回卒園生。9人もの同級生が一緒に遊びに来てくれました。懐かしの顔を見つめながら「おー、来た来た」と彼・彼女達を迎えたのですが、「だれ?」と分からない子がいるのはやはり女の子。「君、だれだっけ?」と聞くのも失礼且つ教師としてのプライドが許さないので、「絶対思い出してやる」とこの子達の会話に聞き入っていた僕なのでありました。
 高校生女子、よくしゃべるしゃべる。ポンと思い出した昔話を披露しては「懐かしい」「懐かしい」。時々置いてけぼりになりそうな男子に話題を振って、しどろもどろの彼らの返答に「あー、おかしい」。一人二人いる口達者な男の子の言葉も、それがさらに火をつけて女子の集中砲火であえなく撃沈。一歩引いて構える男の子にはちゃんと会話に入って来られるようにボールを回し、彼女らをいじってやろうとする口達者君には手厳しい言葉の洗礼で倍返し。「でもそうやって彼女達はこのコミュニティーのコミュニケーションを上手に取り持っているんだろうな」と思わされた情景でありました。
 この子達の思い出話。「あそこでゴクセンごっこしたの覚えてる?」。「おばあちゃん先生、『キューカンバー』って教えてくれたよなー」。「あそこのトイレ、すぐそこまで行っていたのに間に合わなくて、私おもらししちゃったの。あの時一緒にいたのは××ちゃん、あなただった」。「ガブちゃんて外国人の先生が来て体操を教えてくれたよね」「ああ、ガブちゃん、ガブちゃん!」。「工業高校のお兄さんが実習で来て遊んでくれたよね」「うん、紫色の人」(何が紫色だったのか僕は思い出せません)。堰を切って流れ出す思い出の数々。その中でも色を伴う記憶がいくつも飛び出て来るのに驚かされたものでした。女性が色認知力に長けているのは脳科学でも実証されているのですが、男の子の口からも12年以上も昔の記憶に色が出て来るのには驚きました。僕などは『思い出はモノクローム』。大学時代写真部でモノクロ写真の世界に没頭していたそのせいか、『光と影の陰影』とか『コントラスト』についてはよくよく語れたりもするのですが、色となると昨日自分が何色の服を着ていたかも覚えていないほどのていたらく。そんな僕だったので、この子達が幼稚園にいた頃にはグレーのTシャツが僕のユニフォーム。その同じものを10枚以上も買い揃え、夏の暑い日には子ども達と水遊びをして全身びしゃびしゃになるもので、一日に何度も着替えていたと言ったそんな感じ。結婚してからはそんな僕に奥さんからクレームがついて、一枚一枚異なるプリントTシャツになったのですが、それでも襟付きシャツや長袖のカラーシャツなどはユニクロの同じモデルの色違いをまた10枚揃えて着ていると言うそんな感じ。モデルやメーカーが変わると着心地や使い勝手が変わるので、同じもので揃えてしまう僕。長年使っていたものが廃盤やモデルチェンジしてしまうことが僕の一番の死活問題となるのでありました。
 幼稚園の幼い時分にはまだ男性脳・女性脳と言った男性ホルモン・女性ホルモンの分泌に伴う脳特性の分化が顕著ではなく、男子でも色に関する感度が高いと言うことなのでありましょうか。そんな男も女もなかったこの子達が12年後ともなりますと、目の前には貫禄のある男子連がずらっとそろって座っていて、「おー、成長したねー」と思わされたものでありました。僕らが高校生時分は、僕を含めてなんか『お坊ちゃん』と言った感じの男子が多く、今から思えばとっても子どもじみておりました。僕などもいつまで経っても中学生と間違えられた高校時代。周りも似たような面々でありまして、仲間内でも実年齢以上の貫録があるのは一人くらいなものでした。
 この子達の話、話題は思い出話から次第に進路の話へと移りゆきます。9人のうち地元に残るのは一人、その彼も自宅から宇和島にある学校までの通学だとか。ひとりひとり未知なる新生活に向けて希望と抱負を語り、また最後は笑いで占めると言うエンターテイメントを僕の前で披露してくれました。僕の友人、高校時代から貫録があった彼も僕らの仲間内では唯一の就職組でした。やっぱり社会に出ること、家を出ての独り暮らしをすることをこの歳にして決断すると言うことは、その子に大いに人生について考えさせ、それによって貫録をつけさせるものなのかも知れません。のほほんと自宅から近所の大学へと通っていた僕がいつまでも子どもじみていたのに対して、この子達は早くも人生の第一の決断を自ら選び取ったのです。きっかけは祖母の葬儀にあったのかも知れませんが、その自分の判断を励まして欲しくて背中を押して欲しくって、この子達はここに戻って来たのかなと思ったものでありました。きっとこんなことを面と向かって言うと「ウケる!」と言って大笑いされるのでありましょうが、でも無意識の内にもそう言う想いが働いてここに戻って来てくれたのなら、彼らが卒園してからの12年間をここで守って来てよかったと思える僕なのでありました。

 この子達を連れて今の幼稚園内を案内して回ります。外見は変わらないのに内装は全部新しく今風の建物になっている幼稚園に驚く卒園生。見た目は変わっていても空間の記憶はこれまた確かに自分の中に刻み付けてあるようでして、「こんなに狭かったんだ」と口々に言うこの子達。そう15人でイスを並べて礼拝していたこの部屋が、9人でうろうろ歩くだけで「せまい」と感じるこの時空認識感覚の不可思議さ。こう言う実感を経て初めて、子ども達は自分が大人になったと言う自己確認をしてゆくのでしょう。ホールの片隅に置いてあった聖書に手を伸ばし、ページをめくってみる男の子。12年ぶりに触れる聖書は忘れていた教会の臭いのするものだったのでしょう。卒園記念でもらった聖書もきっと部屋のどこかにうずもれているか、もう二度と手の届かないところに行ってしまったか。そんな彼が聖書の背表紙を見て手を伸ばした姿に神様の御心を感じます。今は希望一杯の旅立ちを控え、想いも高ぶっている彼でありましょう。でも何かに疲れてしまった時、再び彼が聖書に手を伸ばすようなことがあれば、今度は教会に導かれることがあるかもしれません。そんな有って欲しくない彼らの挫折を頭の中から振り払いながらも、帰って来てくれる日のイメージを啓示された神様の御心に想いを馳せたものでありました。
 その後、園庭に出て誰からともなく遊び出したこの子達。あの懐かしの大すべり台におしりをつけて滑り降り、一発でジーンズをドロドロにしていた男の子。一方の女子は「絶対におしりが入らない!」とわーキャー言いながら可愛らしく盛り上がっています。あの当時からある『てんとう虫ドーム』の天井穴から入ろうとして、足をついた所がふにゃっとたわみ、「やばい!やばい!」と焦りまくっていた男の子。僕でもそこに立てば多少はたわむものの、破断の限界点は経験からして「まだ大丈夫」と知っています。しかしながら彼が立った時のたわみ方は僕のそれより幾分大きい気がしたものでした。この高校3年生の男子連、身長は僕を追い抜いた子が何人もいたのですが、体重の方はみんなこの『痩せぎす』の僕よりはるかに重たくなっているのでしょう。そんな所にも「もう、この子達に抜かれたな」と言う想いを実感したものでありました。また4連のブランコもこの子達が乗ったら支柱が大きく揺れ出して僕も彼らもドキドキしたり、幼稚園のプラバットで野球を始めたなら力があり過ぎてボールが前に飛ばなかったり。そこでも昔とは違う自分を確認していたこの子達。山の上まで駆け上って「おーい!」と下の仲間に声をかけたり、あの丸井戸の周りに集って懐かしの井戸端会議に花を咲かせたりいたしながら、あの頃に戻って過ごす幼稚園での時を味わいかみしめていたものでありました。

 3時にやって来た彼らは5時に流れる日土の『夕焼け小焼け』が聞こえて来てもまだ名残惜しそうにその場から離れようといたしません。そこを仕切るのがやはり女の子。「おかたづけー!」と言いながら遊び足りない男子を促しながら、帰り支度を始めます。こう言った『ここは幼稚園』を体現するセンスはやはり女子の方が秀でているようで、潤子先生がおやつをふるまった時にも「お祈りしよう」と言ってくれた子があったそうな。いつも幼稚園で食事をする前にしていたお祈り「天のお父様、これからみんなで、おいしい△△を、いただきます。ありがとうございます。アーメン」をみんなでしてくれたと聞きました。おばあちゃん先生の遺影に向かって手を合させていた彼らの後ろ姿から、「やっぱり世間に出たら手を組んでのお祈りじゃなくって、『手を合わせる』んだよね」と教会幼稚園を巣立ち離れてからの月日を想ったものでありましたが、そうではなかったのです。今でも日土幼稚園への想い・そしてここに通った懐かしき日々は確かにこの子達の中に息づいているのです。
 二年前にも中学校を卒業した卒園生達が訪ねて来てくれたことがあったのですが、その時はまたみんなでいつでも会える間柄であることに変わりはなかったからでしょう。中学を卒業した喜びもあって無邪気さを一杯に振り撒いて行ったその子達の帰郷でありました。今回のこの子達の想いもきっと変わらないでありましょうが、彼らの背負った決断と本当に見たこともない新天地での未来にかける希望とを勝手に感じてしまった僕の方が、なんか胸一杯になってしまいました。彼らはそんなこと何も感じずにただただ「懐かしい!」で来てくれたのでありましょうけれど。でもそれでいいのです。どう感じるかは人それぞれ。その感じたことから想いをたぎらせ、次に自分のなすべきことを見いだせたならそれでいいと思うのです。この僕は「また来ます!」と言ってくれたこの子達の為に、そして彼らが帰って来るその日のために、門戸を開け続けこの幼稚園を閉じてはいけないんだと想いを新たにさせられました。そして彼らにしてみたら、これから繰り出してゆく新生活の中で必ずや向き合うことになるであろう沢山の不安や悩みのその中で、この日この時に口にした「また来ます!」の言葉を履行するために、その日一日をがんばって生きて行ってくれるのではないかとそんな風に思うのです。故郷に錦を飾らなくともいいのです。敗れ燃え尽きてここに帰って来ることになったとしても、『自分には帰る場所があるんだ』と言う想いが彼らの心の片隅にあったならばそれだけで、この子達はこれからの未知なる人生をその時々に於いて自分らしく精一杯生きてゆけるはずだから。『老婆心も甚だしい』でありますが、それが僕らがこの幼稚園を続けてゆく意義であり、神様から託された大切なお仕事なのだと思うのです。

 園舎を巡り案内をしている途中、ある男の子から「先生はやっぱり変わりませんね」と言われ「そんなことないよ」と笑ったものでありました。12年も経てば人は変わり、子どもは育ち大人は年老いてゆくものです。でもこの子達から見て『変わらぬ新先生』であったことは僕にとってもこの子達にとっても大きな喜びだったのです。僕の通った東京の高校も大学も今では校舎は建て替わり、知っている先生は誰ひとり残っていないと言うそんな現実。そんな母校のキャンパスを訪ねてゆけば、思い出を捜しに来たのに警備員にケゲンな顔で「写真は撮らないでください」なんて言われてしまって、あれ以来二度と母校に足を運ばずに現在に至っている僕。それほど自分の通った学び舎が変わり、自分が青春の全てをそこに刻んだあのキャンパスに拒まれたことのショックは大きいものでありました。「そんな想いをこの子達にはさせたらいけない」と言う想いから、祖母から母へ・母から僕へと大切に守り受け継いで来たこの日土幼稚園。その幼稚園と僕の姿を見つめながら、「変わってませんね」「なつかしい!」と言ってもらえたことが、これまでがんばって来たことに対する神様からのご褒美なのだと思ったものでありました。
 世の中、変わるのが当たり前なのです。最適化・快適化・効率化を推し量ってどんどん新陳代謝をしてゆくのが現代社会のスタンダード。でも僕らは子どもを相手に幼稚園をしているのです。神様から与えられた僕らの個性と言う賜物と、先達から大切に守り引き継がれて来たこの建物と伝統と言う賜物をもってこそ、ここは『日土幼稚園』だと胸を張って言えるのです。目くるめく間に全てのことが変わりゆくこの現代において、一つくらい変わらないものがあってもいいでしょう。全ての物に寿命・そして終りは用意されているものです。であるならば、僕は行けるところまでこの賜物達を拠り所に、ここで日土幼稚園らしい幼児保育をしてゆきたいと思うのです。きっと「もうここまで」と言う時はやって来るでしょう。それは仕方のないことです。でもその時に神様は「これまでよくがんばった」と褒めて下さると思うのです。そしてそう褒めてもらえるように、これからも一生懸命生きてゆきたいと思うのです。神様と子ども達に心から喜んでもらえるように。

 こうしてこの子達はそれぞれに帰って行ったのでありました。あの頃よりもずっと大きくなった心と体に想いと思い出を刻みながら。「またおいで」と言いながら坂の下り口まで見送って行った僕。「怪我に気を付けて」、そう言いながら彼女達を再びこの懐かしの幼稚園から送り出してあげるので精一杯でありました。でもでもきっと大丈夫。この子達は僕が思うよりもしっかりと、自分の両足でこの大地を踏みしめていることが分かったから。みんな、ありがとう。みんなみんな、また来てね。
 さて、誰か分らなかったあの女の子。彼女の正体は、幼稚園時代は明朗闊達・小麦色のボーイッシュ美人だったあの子でした。それがばっちりメイクを決めまして「どこのアイドルでしょう?」って大変身でやって来たので全くもって分からなかったサプライズ。そんな今年の『帰郷2019春』の物語でありました。


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