園庭の石段からみた情景〜園だより夏休み号より〜 2018.7.15
<飛べ、僕らの輪ゴム飛行機>
 未曽有の大雨が私達の暮らしを直撃し、その自然災害が残して行った大きな爪痕を各所に見つめながら再び歩き出した7月の入りとなりました。平成に入って最大規模の豪雨災害と言うことで、僕らの身の周りでも今までに体験したことのないようなエマージェンシー、日土全域での断水と給水・それに加え県道の封鎖通行止めや喜木川の護岸崩落、と言う『被災』を被った大規模災害となりました。日常生活において不便や不安・わずらわしさを感じる一方で、県下・県外におきましてはもっと散々たる現状が伝わって来る状況があるからこそ、『みんな無事で良かった』と言う感謝の念が何より先に湧き上がって来るのでありました。幸い近隣の幼稚園施設でも被災に会ったと言う連絡はなく、教会関係で伝わって来る床上浸水や今も続く断水に対する対応に日土幼稚園・日土教会としてもお手伝いや協力支援をさせていただいていると言う状況です。また幼稚園のお母さん方からもそれぞれの想いを投げかけていただいておりまして、「今年のバザー収益一部の献金を今回被災された方に送りたい」と母の会役員さん達が言ってくださったり、「浸水で着る物に困っている小さい子達があるのなら、みんなに呼びかけて洋服集めますよ」と申し出て下さったお母さんがあったり、とそんな嬉しい言葉を皆さんからかけていただいています。また幼稚園への通園路に関しても、護岸の崩落によって危険度が上がっている場所をSNSでお母さん達がその箇所と状況を発信・展開してくださったり、登降園時にその近くを子ども達が通る時には居合わせたお母さんがみんなに声をかけながらその子達を守るように自らの身体を車道に挺して安全に配慮してくださったりと、それぞれが神様から与えられた賜物である感性と気付きをフルに生かし合いながら『今、自分に出来ること』を考え提案や行動に移して下さっています。この情景を嬉しく見つめると共に、幼稚園として心より感謝し御礼申し上げる次第です。
 このような事態が起こると世間の人々(特に都会に住む人達)は往々にして他人のせい・行政に責任を押し付けて、自らの溜飲を下げようとするもの。しかしこの自然に恵みを受けて日々の糧を与えられている私達(豊かなる自然に恵まれた保育環境の中で、神様に愛され守られながら子ども達の心と身体を育んでいる日土幼稚園もしかりです)は、『これも神様の賜った自然の一部』であると今回のことを正面からしっかり受け止めながら、これらのことが語りかけている神様の御心とメッセージを心研ぎ澄ませ聞ける者となりたいと思うのです。自分達の心の中に過信やおごりがあったならもいちど自分自身の心に問い直しましょう。個々の経済力や生産力が上がり『自分の想い通り』が当たり前になって行ったことによって希薄になってしまった絆や思いやり・譲り合いなどの『人と人の関わり合いの力』を使って今一度、自分達の『人間力』を分化させ神様の望まれる本来の人間の姿を取り戻しましょう。そのことよって初めて私達は、この今の厳しい状況を前のめりに前に前に向かって歩いてゆくことが出来るようになるのだと思うのです。

 今年、ふとしたことから子ども達の間で大流行りした輪ゴム飛行機。飛行機自体は何も特別な飛行機ではありませんで、紙飛行機の中で最もポピュラーなとんがりタイプの『槍型飛行機』。その先端に輪ゴムをひとつ・二つと用途に応じて貼り付けまして、その力で飛行機を飛ばすのです。この槍型飛行機は人の手で飛ばそうとすると姿勢の乱れからなかなか『綺麗』と言うほどには飛ばないのですが、しかしそれは今回の輪ゴム飛行機ブームの中における研究によって、駆動力の加わる作用点の位置関係でこんなにも改善されるのだと言うことを学んだ僕と子ども達。子ども達が折る紙飛行機はなかなかきっちり左右対象にならず、真っ直ぐ飛ぶことに対していわゆる幾何学的に作成段階で大きな外乱を持ち合わせているのですが、しかし先端に取り付けられたゴムの原動力に導かれたならば、子ども達が作った紙飛行機でも驚くほどにしゅーっと綺麗に跳んでゆくのです。でもめーいっぱい輪ゴムを引っ張り飛行機をびゅんびゅん飛ばすものだから、すぐに輪ゴムがぶちっと切れてしまうそんな有様。それでも輪ゴムさえ付け直せばまたちゃんと飛ぶことも知っている彼らは、「また、飛行機作って」ではなく「輪ゴムつけて!」と僕のところに持って来るのです。あれこれデコレーションやオプションのついているその機体に対する愛着は僕らの知るところではないほどで、何度も何度も飛ばして遊び倒したその後も愛おしそうにお家に持って帰ってゆく子ども達でありました。
 最初はすみれ男子の独壇場となったこの輪ゴム飛行機、彼らは自分達で『輪くぐりターゲットゲーム』を考え出しました。鴨居に広告紙で作った輪っかをぶら下げて、そこに向かって飛行機を放ち輪っかを通れば『300点』と言う遊びを自ら(きっと美香先生と一緒に)考案したのです。この遊びは後にこの夏のCSキャンプの企画にも取り上げられたり、バザーの自由遊びコーナーでは立派なボード仕立ての『ストラックアウトゲーム』として登場しまして、「僕、飛ばせるんだぜ!」のばらさん達が嬉しそうにお父さんお母さんの見ている目の前でびゅんびゅん飛ばして遊んでおりました。子ども達の嬉しそうな姿、そして毎日のように彼らが持って帰って来る輪ゴム飛行機の山を見つめながら、役員さん達がその子ども達の想いを素敵な遊びに昇華してくださった結果の企画であったのでしょう。今年のバザーの企画会議にて『収益云々それよりも、子ども達が喜んでくれるバザーにしたい』と言うコンセプトが定められ、これまでになかった塗り絵遊びやこんなゲーム遊びコーナーがバザーの中では初めて開設されました。意外と言ったら失礼にあたるかも知れないのですが、このブースで長い時間塗り絵に勤しんでいた子ども達や、紙飛行機で遊ぶ我が子をちょっとほっとした面持ちで見つめていた『子守り父さん』達の姿もありまして、「このコーナー、大正解だったね」と言う嬉しい想いに浸らせていただいたバザー当日の僕でありました。子ども達は日頃楽しく遊んでいる日常の延長線上にあるこんな遊びと、バザーと言うちょっと特別なイベントの中に『特別仕様』で準備されている遊びの素敵なコンパチ・コラボレーションが、とっても嬉しく居心地の良いものに感じられたのでありましょう。『子ども達の喜ぶもの』『子ども達目線』の発想から生まれた新形態のバザーブースでありました。

 話は僕らの日常に戻りましてすみれからもも男子に伝播した飛行機ブーム、その中で僕らの遊びは『打ち上げ飛行機』へと進化を遂げたのでありました。幼稚園の母屋のまん真ん中に設けられている『明り取りの天窓』。その高さはと言いますと、二階の大屋根のその上に取り付けられているがゆえに優に7〜8mはあろうかと言う位置にあるのですが、「天井まで届くか勝負!」と言ってこの輪ゴム飛行機を打ち上げて遊び始めた僕ら。よくよく飛ぶ輪ゴム飛行機をもってしても、なかなか天窓には到達いたしません。そこで輪ゴムを2つ・3つと増やして行った僕らだったのでありますが、単にパワーを増やしただけでは真っ直ぐ飛ばずに壁に当たって墜落してしまうだけ。飛行機の描くカーブをイメージしながら、その分オフセットを持たせてねらいを定め、天窓に向けて放ちます。それが途中の『さん』に引っかかったり障子に突き刺さって落ちて来なくなっちゃうものだから、それでまた大盛り上がりの子ども達。「救援部隊発進!」と言っては仲間の飛行機を救うべく自分の紙飛行機を打ち上げていた子ども達でありました。一度、天窓下に取り付けられた火災報知機に飛ばした飛行機が見事にひっかかって大騒ぎ。この機体を救うために何度も何度も打ち上げを試みた僕らだったのでありましたが、すっぽりとはまってしまったこの飛行機を救い出すのに約2週間ほどの時間を要したこともありました。そんな愉快でちょっとマヌケな武勇伝もここから生まれたのでありました。
 この飛行機を真っ直ぐ打ち上げるのに、上を見上げて飛ばしていたのではなかなか俯角を取りづらいと言うことで、僕らが思いついたのは座椅子に座ったまま仰向けにそっくり返る『発射ロケットコクピット方式』。打ち上げロケットのパイロットよろしく、座椅子に座りつつ天窓を見上げながら、飛行機発射を試みたのでありました。格好は良いのですがこの座椅子、一個しかないので結局のところみんなで天窓の下に仰向けに寝ころんで、上に向かって打ち上げると言うスタイルがスタンダードに。しかしこれもムードはなかなかに良いものなのでありますが、立ち位置と比べて寝ころんだ分だけ発射位置が低くなってしまうので、天窓まであと数センチと言ったところで落ちて来てしまう子ども達の飛行機にしてみたら大幅なゲインロス。結局のところ立ち位置から上を見上げて飛行機を打ち上げる、元のスタイルに落ち着いたこの『打ち上げ飛行機ブーム』だったのでありました。

 こうして様々な変容を遂げながら子ども達の想いを引きつけて来た輪ゴム飛行機でありましたが、それぞれの子達の想いに花が咲き開くにはだいぶ時間差もありました。ひとつにこの飛行機、自分の両手をうまくコントロールしながら左右で違った動きをすると言うスキルが必要であるためで、それがなかなかに難しいのです。この壁にぶつかって、その後この遊びにあまり乗って来なくなった子達も結構ありました。先日の『お預かり』の時間、輪ゴム飛行機で遊んでいた時にある男の子が「飛行機作って」と僕のところにやって来ました。進化した最新式の輪ゴム飛行機にはデルタ翼後部に紙テープが取り付けられまして、アフターバーナーに点火したようなジェットの軌跡がひらひらなびく、相当かっこいいものになっています。それが嬉しかった男の子。輪ゴムを弾いて飛ばそうとしたのでありましたが、手で投げて飛ばす時の感覚が抜けない様子。放すだけでいい右手の指先がフォロースルーになってしまい、輪ゴムがぴゆーんと弾かれません。そこで「こっちにおいで」と僕の胡坐の上に彼を座らせ両手を取って「こうやるんだよ」と彼の指先を動かしながらレクチャーをいたしました。僕も子ども達に物事を教えるのはこんな仕事をしていながら実は苦手でありまして、僕のスタイルはいつも「こうやってやるんだよ」とやって見せる『長嶋流』。でもその実際に指先を動かしながら「こうだよ」と言った感覚が、彼には伝わってくれたみたい。その後、ひたすら自分で何度も何度も繰り返し『輪ゴム打ち』を練習していた彼でありました。するとその日帰るまでにマスター出来ちゃったその男の子。これにはその場に居合わせた子ども達や先生もみんなで共に喜び合ったものでした。しかもちょっと美意識の高いその男の子は美しいシューティングフォームを考案し、左手の親指を立ててゴムをひっかけながら人差し指を前に突き出してねらいを定める『弓道ポーズ』を自ら編み出したのでありました。これがなんともかっこいい。輪ゴム飛行機を飛ばせるようになった自分・そして美しく輪ゴムを引き絞る自分の姿が本当に嬉しかった男の子。その輪ゴム飛行機はそれから何日も園と自宅を往復する、彼の大切な宝物となったのでありました。そしてそんな彼の姿を僕も嬉しく見つめたものでありました。

 何の変哲もない紙飛行機に『輪ゴム』と言う動力がひとつ取りつけられたそれだけで、子ども達の想いをどこまでもどこまでも高く遠く飛ばすことが出来るようになった僕らの『輪ゴム飛行機』。でもそれは僕ら自身に関しても同じことが言えるのだと思うのです。人間も社会もここまで高められて来たポテンシャルがあるにも関わらず何かとうまく回らない現代におきまして、僕らをより良く美しく生かすために必要なもの、それは思いやりや想い合いなど神様が私達に賜った『人間力』と言う輪ゴムひとつほどの小さな小さな動力源なのかも知れません。


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