園庭の石段からみた情景〜園だより9月号より〜 2018.8.29
<帰郷2018夏>
 今年は大雪の寒い冬を乗り越えて、その名残りからか涼やかな梅雨時を過ごしていたかと思いきや、7月に入ると数十年に一度の大雨に見舞われまして日土にも大きな災害の爪痕が残されました。幼稚園下を走る県道が土砂崩れで通行止めになったり、川を押し流されて来た流木が水道管を傷めて断水になってしまったりと、他所と比べれば『これくらいで済んでよかった』と神様に感謝するほかない程の日常生活への影響でしたが、それでも自然の猛威をこの身をもって感じた大災害でありました。しかし僕らの知るところ以上に日土の被災は大きかったようで、流れ込んだ土砂を重機によって取り除く作業が各所で延々と続けられておりました。旧青石中学校の校庭にはその納め所のない赤土が高く高く小山のように積み上げられ、その見上げるような高さがなかなか赴き見にもゆくことの出来ない被災現場の惨状を僕らに教えてくれるものとなりました。あの豪雨から週の明けた七月の第二週、今年は早々と梅雨が明けました。それからはご存じの通り暑い暑い夏となったのですが、被災箇所の復旧のためには雨が降り続くよりはきっと良かったのでありましょう。崩れかけた護岸壁や赤土がむき出しになった山肌は、もう一度あの豪雨にさらされたならどうなるものか分かりません。こんな時には実質的に全く無力の僕らでありますが、子ども達と一緒にこの夏を謳歌する姿をこの地で体現してゆくことによって、日土に元気を取り戻すことが出来るのではないかと思いもしたものでした。母の会の役員さんや会長さんとも「こんな時にバザーをしていいのでしょうか」と話し合ったりもしましたが、僕らに出来ることは「僕らは元気だよ!みんなも一緒に元気出そう!」と発信することだと思い、「うん、やりましょう!」とみんなで想いを確かめ合いながら足を前に踏み出したそんなバザーとなりました。
 幼稚園もそれから二週間、最後まで全力で走り切って一学期を終えることが出来ました。さて暑い夏はまだまだ始まったばかり。夏休みに入って僕らは一年生同窓会を始めとしまして、三教会合同CSキャンプも今年は久々に日土で行なったり、夏期保育には日土小学校のプールをお借りしてのプール大冒険で遊んでみたり、『僕らはこの夏も元気です!』の姿と想いを発信することが出来ました。そんな交わりの中で幼稚園の卒園生が『裏山が崩れて来て避難した』なんて話も聞かせてくれて、「明るく振舞ってはいるものの、恐い想いをしたんだね」とその子の心に想いを馳せたものでした。でも僕らに出来ることは今この時をこの子達と謳歌して一緒に笑ってあげること。そう思って子ども達と関わってくれたのはきっと僕だけではなかったでしょう。先生達もそれぞれに子ども達に喜んでもらえるよう面白企画を立ち上げて、この子達と一緒に過ごす時間を目一杯自らも楽しんでくれておりました。そう、自分が楽しめもしないものにどうして子ども達が楽しんでくれるでしょう。だからこそ今年はいつも以上に熱い熱い夏だったように思えたものでありました。

 そんなこの暑い夏にもがんばっている僕らに神様は素敵なプレゼントを準備してくれておりました。お盆休みに入った晩、僕は愛娘を連れまして日土小学校まで行って参りました。その日は日土町の盆踊り大会、甥っ子達は毎年のようにこの盆踊りに出かけて行ったのでありましたが、僕は子どもの頃にばあちゃんに連れられて行って以来の盆祭りでありました。ひと月前には豪雨災害のために中止となった小学校のわんぱくフェスタ&バザー、日土の人々の想いも生活もやっと落ち着いて参りまして同じ会場である校庭には沢山の卒園生の姿も見つけることが出来ました。そこには幼稚園のバザーでいつもお世話になっているたこ焼き屋さんの屋台も出ておりまして、まずはそこへ向かいました。店先ではかわいい女の子がお店のお手伝いをしていて、僕ともちらちらと目が合います。「あれ?ここのお兄ちゃんのお嫁さん、こんな感じだったっけ?」と不可思議な想いの中その場でたこ焼きが出来るのを待っていると、奥さんがお店を切り盛りしながら「娘です」と紹介してくれます。「(うん、お嫁さんですよね)」と言う顔のまだちょっと合点の行っていない僕に向かって奥さんが笑いながら「ゆいです」と言うものだから、「えー?ゆいちゃん?美人さんになっちゃって、全然分からなかった!」と思わず大きな声を上げてしまいました。そう、その子は僕が初めて送り出した年の日土幼稚園卒園生の女の子だったのです。今は県外の学校に勉強に出ていて、久々の帰郷であったことでしょう。彼女と会ったのは小学生の頃以来、やり取りも僕の結婚式の時にメッセージカードを贈ってもらったあれ以来だったでありましょうか。本当に嬉しい久方ぶりの再会となりました。自分の卒園生の顔を忘れてしまうダメ教師の僕をまたちらっと見つめながら彼女も恥ずかしそうにでも嬉しそうに笑ってくれたので、僕も嬉しくなっちゃいました。そう、僕らはいつもこんな感じ。子どもの頃は切れ長おめめの美少女で「お父さん似なのかな」と思っていたのですが、久々に会った彼女は瞳の大きなパッチリ美人さんになっていて「お母さんに似て来たのかしら」と母娘二人並んだその姿をまじまじと見つめてしまいました。そこにお父さんが「昔みたいに新先生にだっこしてもらえ!」なんて言うものだから僕も彼女も顔を赤くしてうつむき顔に。昔の彼女の笑顔を思い出しつつ、恥らう姿もなんともかわゆい娘さんになっていた今の姿を、あの頃と同じように心のカメラに焼き付けた僕なのでありました。

 さて今回の豪雨で幼稚園として一番影響が大きかったのはやはり『お泊り保育』の中止だったでしょうか。梅雨明け間近の頃合いに日程の組まれるお泊り保育は毎年雨に苛まれ、プログラムの組み直しや花火の中止などハラハラさせられながら行なって来たものでありましたが(それでも毎年「出来て良かったね」と神様の御心に感謝して終えることの出来たお泊り保育だったのですが)、こうしてお泊り保育の当日に大雨警報が発令され始まる前から「中止にします」と連絡を回さなければならなかった年はこれまでかつてありませんでした。しかしこの与えられた御心の中にも何か神様からの賜物があるに違いないと思いつつ先日挑んだ『再戦・お泊り保育』。そこでは僕らの想いを遙かに越えた素敵な真夏の大冒険を子ども達と一緒に味わうことが出来ました。何と言っても子ども達から先生達・母さん方に至るまで、みんなが「もう一度やらして下さい」と想いを重ね合わせ声を上げてくれたおかげで実現したことがなにより嬉しいことでありました。「予定調和を皆が望むこの時代にあって、なにが起こるか分からないお泊り保育が無くなってほっとしている人もあるんじゃないか」と思ったりもしたのですが、さすが『規格外』の日土幼稚園に望んでやって来てくれる子ども達・そしてお母さんと先生達。「ここで得られるであろう体験と学びの大きさを本能で感じ取ってくれているんだね」と思うと『田舎のお化け屋敷を園舎に構えた小さな小さな幼稚園冥利』に尽きるものだと思ったものでありました。今年はこの園舎で『真夜中の二階探検』も行なわれ、『お泊り保育延期』のおかげで先になったCSキャンプで二階探検を一度経験した子ども達が(それでも昼間の探検だったのですが)「よし、僕に任せて!」と先陣を切って屋根裏部屋へと続く階段を格好よく上ってみせてもくれまして、「全てのことがこの神様の御心に結びついているんだね」と改めて感じることも出来ました。そんなこんなのみんなみんなのおかげさまで「今年もお泊り保育やって良かったね。出来て良かったね」と喜び合える『お泊り』が出来たその上に、「僕らのお泊り保育ではまだこんなことも出来るんだ・こんな可能性もあっていいんだ」と言う気付きをも改めて与えられたことに感謝したものでありました。これは『お泊り保育初挑戦』の美香先生が企画立案し、それにみんなが想いをもって応えがんばってくれたおかげです。僕の知る限り十数年来変わることのなかった日土幼稚園のお泊り保育でありましたが、新たな風が子ども達の心の中に素敵な感動と思い出を残して行ってくれた、そんな真夏の日の出来事となりました。

 このお泊り保育が僕らに残して行ってくれた嬉しいお土産がこの日もうひとつありました。それはお泊り保育を終えてその日の午後を家で過ごしていた時のこと。「ごめんください」と我が家を訪ねて来てくれたご家族がありました。それは年長進級目前の12年前の春に日土幼稚園から転園して行った双子の御兄妹とお父さんでありました。週末になると「おでかけ行きたい!」と言う妻娘の言葉に重いおしりを持ち上げて毎週のように外出しているこの僕が、土曜日の午後に家に居ると言うのは日常ではほとんどありえないこと。この日は『再戦・お泊り保育』があったからこそこうして家に居た訳でありまして、これも神様から僕への嬉しいご褒美だったのだと思うのです。この子達が香川に転園して行って一度だけキ保連の研修会で高松に行った折に再会したことがあったのですが、それですらもう遥か十年も昔。二人とも立派に大きくなって男の子は靴のサイズも27cmと僕を早くも追い越して、これから益々背丈も大きくなりそうなそんな雰囲気。女の子は今カヌーをがんばっていると言うことで、全国大会三位入賞と言う『がんばるウーマン』に成長しておりました。気が強かったのはあの頃からだけれど、今はそれに落ち着きと自信が伴なった素敵な御嬢さんになっておりました。でもその想いの強さがあったからこそここまでがんばって来れたのでしょうし、がんばって来たからこそ『自分』をしっかりと見つめることも出来るようになったのだと思うのです。そんな彼らに今の幼稚園を案内したなら「この舞台で歌を歌った!」とか「この部屋で遠足のおやつのお買いものごっこをした」なんて思い出を瞳をキラキラさせながら語ってくれた双子ちゃん。年少・年中の幼きたった二年間をここで過ごしたこの子達が、こんなにも色んなことを覚えていて嬉しそうに語ってくれるその姿が何ともまばゆく見えたものでした。ほわんほわんしている男の子ときゃんきゃん言ってた女の子が、こんなにもそれぞれの心にそれぞれの感性をもってここでの園生活に感じ入り、そこでの出来事の一つ一つをしっかりと受け止めてくれていたんだと思うと本当に驚きでありました。あの頃は失礼ながらこんなにも物事を分かり感じてくれているなんて思ってもみなかったから。『結果はその時々に与えられるものではない』と思いつつ、神様がいつか必ず与えて下さる子ども達の成長を信じて想いの丈を精一杯投げかけてゆくのが『キリスト教保育』と信じている僕ら。でもその時のひとつひとつの投げかけこの子達の心に種を蒔き、こんなにも素敵な想いを育ててくれる基となることを感じる体験はなかなかリアルタイムでは出来ません。あの頃の僕らに「今この子達に蒔いている想いの種は、十年後にこんなにも大きく育っているんだよ」って教えてあげたい想いです。ここ数年来の内装改修で僕らからしたらすっかり変わってしまった気がする日土幼稚園なのですが、園内を巡りつつ彼らはしきりに「かわってないなぁ!」と嬉しそうに言ってくれるのです。そう、見た目は少し小奇麗になったかも知れませんが、日土幼稚園の大事にしているものは外から来てふっと見たならばきっと昔から変わっていないのでしょう。そんな僕らの想いをこの子達はこの園舎から感じ取り、「かわっていないなぁ!」と喜んでくれるのです。ここにも気付きが与えられました。「そう、僕らは愚直なまでにも『キリスト教保育』の理念を掲げ確かめ合いながら、この地で日土幼稚園を守り続けてゆくことを神様の御心として与えられた者なんだよね」と。そしてこの様にふとおもむろに『帰郷』してくれる子ども達のために、これからも変わらぬ想いをいだきながらここに立ち続けていたいと思うのです。ここで育った子ども達のアイデンティティーを支え続ける変わらぬ『心の道標』として。神様の御言葉と愛をこの世に述べ伝える者として。


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