園庭の石段からみた情景〜園だより11月号より〜 2019.11.10
<僕らのムジナ狂騒曲>
 今年は『晴れた日ばかりの秋』を送って来まして、通常保育では『お外で遊べない日』がほとんどなかったこの一か月。東京では『雨が降らなかった日がほとんどなかった十月』であったのに比べたなら、本当に神様の御守りのうちに日土幼稚園の日々の保育が行われていることを感じます。おかげさまで子ども達、この秋の一番気候の良い季節に毎日ひづちのお山に繰り出して、沢山の感動体験を思いっきり味わうことが出来ました。一方でこんなにお天気続きなのに行事となると毎度お天気の心配ばかりをさせられて、でも当日を迎えてみれば『いざ本番』のその時だけはお天気が守られてちゃんと行事が行なえた、そんな十月でもありました。でもこう言うドキドキとちょっとの緊張感がなかったならば、僕らはきっとこの豊かに与えられた日常を『当たり前のもの』と感じて、神様に感謝することも忘れてしまうのでしょう。天候・気候・季節・山や森・虫や木の実と言った神様が与えて下さる『自然』が、子ども達に・そして僕達に教えてくれているものの一つ一つがどれだけ大切であるかと言うことを改めて感じている『霜月の入り』です。

 さて、こんな自然の中に長く暮らしている僕らでも時々にしか出会えないお客さんや情景を目にすると、なんだか嬉しくなっちゃいます。先日、お昼時を職員室で過ごしていた僕の所にすみれの子ども達が駆け込んで来ました。「しんせんせい、来て!なんかいる!」。このところ色んなものが堂々と姿を現わすようになって来た幼稚園。最近ではタヌキがサッカーゴールの周りをぐるぐる追いかけっこしたような足跡を残してゆき、またネズミが縁側を駆け抜ける姿を見かけたりもしていたので、「子ども達、今日は何を見つけたのかな?」と行ってみると、柿の木の下でもっさり動く黒い影。「あれです!」と指差す真理先生とその姿を見てみたら、なんと大きな太い腰回り。「タヌキじゃないですよね」「うん、あれアナグマ」。そうアナグマが白昼堂々と園舎の裏に現れたのでありました。何年か前、やはり砂場の上の柿の木の下でアナグマを見かけたのですが、最初はそれが何か分からなかった僕。しかし「うちの庭にアナグマが出るんですよ」と言うお山の上の農家さんのお母さんの言葉を思い出して、「あれ、アナグマ!?」と識別することが出来た次第でありました。
 いくら図鑑に載っていても『この辺にもいる』と言う現地情報がなかったならば動物の識別は難しいもの。『アナグマ』なんて生き物がこの辺にいるなんて知らなかったら、「ふっといタヌキだな」で終わってしまったことでしょう。ましてや『クマ』なんて言うものがそこらにいるのだとしたならば、それこそちょっと住んでいる者からしたら恐ろしい。でも『アナグマ』と言いながら彼は『熊』ではなくイタチの仲間。またタヌキはイヌ科でハクビシンはジャコウネコ科と、幼稚園に現れるお客さん達は素姓も様々なのですが、昔は『ムジナ』と言われ人を化かす者としてあれこれ伝説を作って来た主達です。夜の灯りは月明かりしかなかったその昔。山の中で何か思いもよらぬ不益を被ったその時に、人は誰か他のもののせいにしたいと思い仲間にもそう言って共感してもらおうとしたのでありましょう。そう言う時は往々にして錯覚や思い込み・その時々の体調や不安定な心理状態による『自らがやっちゃった』の逸話なのでありましょうが。酔っぱらって足元がふらつき、木の根に足元を取られて崖に落ちて…なんて言う話のその因果を『ムジナ』のせいにしたと言ったところでありましょう。子ども達の目の前に現れたアナグマ君。なんとも堂々としたフテブテしい態度で、落ちている柿の実にむしゃむしゃと美味しそうにかぶりついています。ガラス越しとは言えウロウロバタバタ動き回っている子ども達の人影を承知した上での余裕のふるまい。さすが『ムジナ』と呼ばれ、人を化かすと言われた貫禄を十分に感じさせるアナグマ君のパフォーマンスでありました。
 しかし『何かのせいにする』と言う性癖は古今東西人間は変わりません。特に幼稚園の子ども達、ぶつかったり転んだりうまく行かなかったことによって課せられた心と体の痛みや悲しみを、何かに転嫁して自らの溜飲を下げようとする姿が日々顕著に見られます。狭いところをすり抜けようとして友達にぶつかり、逆に「痛い!○○ちゃんがたたいた!」なんて訴える姿は日常茶飯事。『ぶつかる』と言う現象は双方の相対的運動に起因するものなのですが、動的に運動している方・高速で移動している方により大きな原因があると考えるのが世の中のセオリー。しかし双方の動きを客観的に見る目と感覚が養われていなければ、「相手が悪い!」となるのは自然の理なのかも知れません。ですから、そのような状況を沢山園生活の中で分かち合って、「そうじゃないよ。自分はどうだったの?」と自らを省みる体験を積み重ねてゆかなければ、『大人になってもみんな人のせい』って言う人間になってしまうのではないでしょうか。当人達にしてみればそう言葉で言い諭す教師を、「僕は悪くないのに。先生ムジナに化かされている…」と感じているのでありましょうが。

 一躍子ども達の注目を集め『時の人』となったアナグマ君。あまりに野次馬が騒ぎ出したのがうるさくなったのか、ゆっくりと重い腰を持ち上げてちょっと先に置いてあった乗用車の下に潜り込んでゆきました。「あれ眞美先生の車じゃん。あのアナグマ、眞美先生が化けているじゃない?今度先生のおしりを見てごらん。尻尾があったらアナグマだよ、きっと」と囁いたなら、「おー!そうかー!」と大盛り上がりの子ども達。後にその話をしたならば「じゃあ尻尾をつけておこうかしら」と乗って来てくれたお茶目な眞美先生でありました。さて、僕らと子ども達のムジナ合戦。それからどうなったことでありましょう。実体験に基づいたおとぎ話を味わいながら育つ子ども達、大きくなった頃に笑いながら思い出してくれるでしょうか。


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