園庭の石段からみた情景〜園だより12月号より〜 2019.12.14
<あたち達の『キュア飼い葉桶』物語>
 4週間に渡ってアドベントの長き道のりを歩んで来た私達。最初こそ意気込み嬉しそうにクリスマスへの準備をしていた子ども達でしたが、中頃にもなると段々とその喜びがプレッシャーに変わってゆくのが伝わって来ます。なかなか思うように出来ないことを気に病んでか、はたまた「失敗しちゃったらどうしよう!」と言う不安からか、みんな顔が怖い怖い。僕などはこれまでの成長曲線からリハーサル・更に本番頃の青写真を描きつつ「これで上出来!」と思っているのに、どうにも本人達が納得してくれません。だからアドベント後半は「クリスマスはイエス様のお誕生会なんだから、楽しく嬉しくやろう!大丈夫、もう君達ちゃんと出来ているから!」とそんな声掛けを繰り返し、子ども達の想いの『くびき』を軽くしてあげたいと願ったものでした。そうは言いながら僕ら教師の『もっとがんばれオーラ』が子ども達をビビらせていたのかも知れません。『クリスマスは・そしてページェントは教会幼稚園にとって一番大切な物』と謳っているせいでしょうか、先生達にも僕らからのプレッシャーがかかっていたのかも。「そうであるならばダメなのは僕じゃん」と言うことで、この状況をなんとかしたいと心から思ったものでありました。子ども達と想いを通わせ分かち合うためには『無礼講』で遊ぶのがなにより一番。思いっきり身体を動かし遊んだり、同じものを見つめながら「きれいだね」と言葉を交わし合ったりする中で、一緒に笑い語り合いながら育まれる信頼関係や共通の感動体験は、教師と子ども達を喜びのうちに同じ目標に向かって歩かせてくれる源となってくれるはず。そう信じている園長はこの忙しい季節に先生達に「子ども達との自由遊びの外遊びを一杯しましょう」とムチャな要求を提示して先生達を余計に忙しくさせてしまったのでありました。でもそんな中で彼らのお調子スピリットや先生達への想いの投げ返しも盛んに見られるようにもなり、子ども達の表情もまた喜びに満ち満ちたものになって行ったように思います。そのせいで・準備不足で今年のクリスマスが皆さんにご満足いただくに至らなかったのならそれは園長の責任。でも『みんなで喜び祝うクリスマス』を体現したかった僕にとっては、子ども達の笑顔に満ち溢れたとても素敵なクリスマスだったと思うのです。子ども達に・そして先生達に「ありがとう」とこの想いを心から伝えたいと思ったものでした。

 そんなクリスマスへの道のりの中で、もう一つ僕らの『アドベント物語』がありました。すみれ組のダンボールハウスからスピンオフした、『飼い葉桶製作物語』。アドベントに入り聖劇の練習なども始まったことから、『飼い葉桶』と言う言葉に敏感に反応したすみれさん。すぐさま作り始めて外形は出来たものの、そこから興味の展開も造形の発展も見られません。「ダンボールハウスを宿屋に見立てて馬小屋や飼い葉桶があったら…」と思ったのは僕のひとりよがり。子ども達は潜り込んで遊ぶことに夢中でして、その飼い葉桶は忘れ去られておりました。ある日の預かり保育の時間、その事をふと思い出して『飼い葉桶製作プロジェクト』を子ども達に振ってみた僕。その時点ではただの『底上げダンボール』だった僕らの飼い葉桶ですが、「まずは足をつけましょう」と新聞紙一日分を固く巻き梱包テープで貼って補強した足を4本作って、それを底上げダンボールに取り付けました。ちょっとそれらしくなって来たものの、ダンボール箱の見栄えはそのまんま。「これでボロ隠しも出来るかな?」との思いもあってお次は「寝ワラを敷き詰めましょう」と子ども達に投げ掛けます。丁度潤子先生からもらった 使われずにしまい込まれていた色画用紙(一部日焼けしたもの)をぴりぴりぴりと割きまして、ダンボールの上からわらわらわらと敷き詰めます。子ども達も手で紙を割くこの感触が心地良かったようでしてみんなぴりぴり楽しそうにやっておりました。おりこうちゃん志向が高い今時の子ども達だけにこんな遊び、自発的にはなかなか見かけることはありません。でも「やってみたなら面白かった!」と言うことで、『製作の一環』としてのお題目をいただきながら心置きなくぴりぴりやっていた子ども達でありました。そのおかげさまで、ダンボールのボロも隠された飼い葉桶がひとつ出来上がりました。
 飼い葉桶が出来上がったなら、お次は当然『赤ちゃんイエス様』。「赤ちゃん作るよ」と呼びかけたなら集まって来たのはなぜか今度はみんな女の子。彼女達と新聞紙を一枚ずつ丸めまして、それをまとめて一つの塊を作ります。昔作った『新聞紙恐竜』は新聞の印字がそのまま恐竜の肌になりましたが、今回の僕らにはもらい物の色画用紙が豊富にあります。赤ちゃんと言うことでピンクの色画用紙を選びましてその上からくるみ付け、可愛らしい色の肌が出来ました。そしてその下には二頭身の体もつけて、巻き布仕立ての着物も画用紙で作りました。そこまで出来た所で「私が顔を描く!」と言い出したばらの女の子。マジックを渡してあげたなら、さっさかさっさか、そののっぺらぼうの上に赤ちゃんの顔を描き出しました。三歳児にしては目鼻もきちんと描けておりまして、とても上手に出来たその赤ん坊。すると彼女は出来上がった赤ちゃんを「かわいいー」と抱きしめたのでありました。「へ?」と思って見ていると、すると別の子もやって来て「私にもかして。かわいいー」とその赤ん坊を抱きしめます。確かに赤ん坊と認識出来るほどの作画力ではあるのですが、男の僕からしてみればお世辞にも「かわいいー」と抱きしめたくなるほどの『かわいこちゃん』ではありません。それでも自分の作った我が子を愛おしそうに抱きしめる女の子と、そんな彼女を見て自分も抱きしめたくなってしまったその子の姿を見つめながら、「母性とは偉大だなぁ」と思ったものでありました。

 この新聞紙人形作りがいたく気に入った様子の彼女達。「もっと作る!」と言うので「今度はマリヤさんかな」と思いながらまたみんなで造形して行ったのですが、形が出来上がるや否や「これ、セレーネ!」と言って顔を描き出したすみれさん。今をときめくプリキュアです。その絵のタッチは漫画のように記号化されたかなり練度の高いものでして、「いつの間にこんな絵が描けるようになったんだろう」と驚かされたものでありました。ばらの頃には僕と一緒の自由製作においても「作って!」「描いて!」とおねだり専門だった彼女。それがひよこクラブの塗り絵から始まりまして、段々と塗り絵でなく自分で絵を描くようにもなり、今ではこんなに上手な女の子を描けるようになったこと、本当に嬉しく見つめたものでありました。キュアセレーネは優等生の上品なお嬢様タイプのプリキュアです。「髪の毛は長くて紫なの!」と言う言葉に何か材料はないかと探してみたら、紫色の紙テープが出て来ました。「これで髪の毛出来ない?」とちぎって渡してみたならばなんかいい感じ。僕も紙テープで人形の髪の毛を作ったことなどなかったので、とってもいい勉強になりました。プリキュアはキャラクターごとに色が決まっているので、それに即した材料が見つかった時には数段それらしく見えて来るから不思議です。こう言うのも『記号化』、「キュアセレーネは紫なの」と言う知る人ぞ知る共通認識がもたらせる効果なのでありましょう。これまたそんなに似てはいないものの、みんなで「これセレーネだよね!」と喜び合える顔が出来ました。
 お次は身体、赤ん坊と違って二頭身ではいけません。「でも自立する構造部材なんて作れないしなぁ」と思っていたところに、先程新聞紙を巻いて作った飼い葉桶の足が目に入りました。「この上にこの頭を乗っけちゃおう!」と梱包テープで強引に貼り付けてその上から洋服を作って着せたなら、「ちゃんとプリキュアに見えるじゃん!」。この洋服にもとことんこだわる彼女達。「ここはひらひらのフリフリが付いているの」とその上から模様や造形をマジックで描き加えてゆくまた別の女の子がありました。ペンダントやらアクセサリーやらも一杯一杯描きつけてくれたおかげで、素敵なキュアセレーネが出来上がりました。それにしてもこんな一杯の情報量を、空の記憶から描き付けることが出来るこの子の観察力と記憶力・そして再現力のなんとすごい物であることでしょう。おんなじ物を見ていても洋服の色一つ覚えていない僕のていたらくと比べたならば、「どれだけ好きでじーっとテレビを見ているのだろう」と本当に感心してしまいます。ひとりすごい集中力でひたすら描き続けていた彼女の作画魂に感服してしまった僕。洋服のデザインを一人でやり遂げまして、その日は大満足でおうちに帰って行った女の子でありました。

 プリキュア路線に走り出して、「しまったなぁ」と思った事。プリキュア大好きなこの子達のことです、5人いるプリキュアを全員作らなければ終わらないと言うことが分かった時に「こりゃあ大変だ」と思ったものでありました。しかしそんな僕の想いなぞ知るはずもなく、「つぎはソレイユ!」「ミルキーとスターも!」と次々に名前が上がり一人ずつ作り加えられてゆきました。預かり保育の良い所、日によってメンバーが違うので、誰かが作った人形を見ると「私も!」と言う気になってくれること。おかげで『私も作りたい!』と言うモチベーションは次へ次へと引き継がれ、最後まで途絶えることはありませんでした。しかし増えれば増えるだけ困ったこともありまして、「『飼い葉桶物語』との整合性どうしよう」と言う悩みも生じて来たのでありました。「そこはイエス様を見守るプリキュア天使にしちゃおう!」とプリキュア達に翼をつけまして、『飼い葉桶を守り囲むキュア天使の図』と相成ったのでありました。しかしそれもまた物理的な問題にぶち当たります。セレーネ・ソレイユ・ミルキー・スターと作ったところで、飼い葉桶の足は4本しかありません。でも「コスモもつくりたい!」と言う彼女達。その前日に4人のキュア天使がそろったところで、有志による記念写真を撮ったのでありましたが、ある男の子が飼い葉おけの後ろから顔を覗かせている一枚がありました。「そうだ、センターが空いてるじゃん!じゃあコスモはマリヤさんでイエス様を抱っこさせよう」とそう言うことになりました。ここにまた「キュアコスモ大好き!」の女の子が登場。いつもはほよよんしている彼女が今日ばかりは目の色が違います。「髪の毛は青色で、編んであってその中にピンクも入っているの」と言うので紙テープで三つ編みを作ります。それをつけながら「髪の毛はもっと一杯!下の頭が見えちゃう!」と彼女が貼り出したのに「私もやる!」と他の子達も乗って来ました。「まだちょうだい」「もっとちょうだい」と言うので紙テープをちぎってあげたのですが、最後は「自分でやってごらん」と彼女達にロールを渡した僕。最初はそれを手でちぎれなかったこの子達。紙テープはロール方向と垂直の端面を両手で割くようにしなければ、ただ長手方向に引っ張ってもちぎれません。でもそうこうしているうちに勝手を掴んだ彼女達は自らの手で紙テープをちぎれるようになって行ったのでありました。この増毛大作戦、他のプリキュア達にも派生しまして、髪の毛ふさふさのかわゆいプリキュア達が完成したのでありました。出来上がってみれば『5人のプリキュアに囲まれて微笑む赤ちゃんイエス様の図』と言う壮大な物語のオブジェとなったこの作品。最初はノープランで行き当たりばったりだった自由製作にストーリーが与えられ、クリスマスを待ち望むアドベントのこの季節の意味づけと喜びを子ども達に与えてくれた、そんな素敵な作品となりました。そしてこのプリキュア達のようにそれぞれ自らの想いと個性をいかんなく発揮して、製作に参加してくれた子ども達。普段見られない姿も垣間見せてくれた、素敵な時間でありました。そう、この製作過程で色々な気付きと沢山のスキルアップを与えられた僕と子ども達。神様の御心はいつも僕らの想定外ですが、僕らの予定調和よりはるかに素晴らしい御霊を与えられるのです。神様に感謝、みんなありがとう、そしてクリスマスおめでとう。


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